霊能者のつぶやきトップ > アーカイブ > 2010-12
2010-12
努力と天才の神のお話 ④
続き。
道真様の栄華が極められた時。
人としての心からの幸せを感じていたのは時はこの時かも知れません。
60代、醍醐天皇に譲位(天皇の代を譲る)された59代宇多天皇でしたが、「上皇」として宇多天皇の支配は続き政治を監督し続けました。
このたびは 幣もとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに
「この旅は忙しく、手向山の神々様に捧げる幣も用意してありません。せめて、この美しい手向山の紅葉をお受け取りくださいませ・・・・・」
これは百人一首に納められた道真様の一句です。上皇(元宇多天皇)にお供をされ手向山八幡宮に参拝された時の歌です。いつまでも、どんな地位に立たれても神々様に畏敬の念を忘れていない事が解る歌ですね。
努力と天才の神のお話 ③
『阿衡事件(あこうじけん)』
仁和3年(887年)11月21日、藤原基経の推薦により臣籍から皇太子となった宇多天皇は、その即位に際して、基経を関白に任じる詔勅を出した。基経は先例により一旦辞退する。天皇は左大弁橘広相に命じて二度目の詔勅を出した。その詔勅に「宜しく阿衡の任をもって卿の任とせよ」との一文があった。阿衡は中国の殷代の賢臣伊尹が任じられた官であり、この故事を橘広相は引用したのである。これを文章博士藤原佐世が「阿衡は位貴くも、職掌なし」と基経に告げたことにより大問題となる。怒った基経は一切の政務を放棄してしまい、そのため国政が渋滞する事態に陥る。基経は厩の馬を全て市中に放って怒りを表したという。心痛した天皇は基経に丁重に了解を求めるが、確執は解けない。翌仁和4年(888年)4月、天皇は左大臣源融に命じて博士らに阿衡に職掌がないか研究させた。基経の威を恐れた博士らの見解は佐世と同じであった。広相はこれに反駁する。 6月、天皇は先の詔勅を取り消して、広相を罷免した。天皇は無念の思いを日記に記している。基経は執拗になおも広相を遠流に処すことを求める。広相に罪がないことを知る天皇は窮するが、讃岐守菅原道真がこれ以上は藤原氏の為にならない旨の書を基経に送り、基経が怒りをといたことにより、ようやく事件は収まった。この事件により基経は藤原氏の権力の強さを世に知らしめ、天皇が事実上の傀儡であったことを証明したのである。ーwikipediaよりー
・・・初っ端からウィキ丸パクリで申し訳ないです(苦笑)
努力と天才の神のお話 ②
続き。
「これ、道真。お主も少しは愛想良く笑えぬか。いかに才能に溢れていても、世を渡る才だけは無に等しいと見えるの。はははは」
「・・・・これは島田様。私はただ、わたしの信念を貫くのみ。いかに人が私の悪口も申してみても、天に背いたつもりもなければ恥ずかしい事をした覚えはありませぬ。」
島田忠臣(しまだ の ただおみ)様、道真様よりも17歳年上の方で漢詩の詩人として高く評価された道真様の師にあたる方です。特に文章博士の地位にあった道真様の父、菅原是善(すがわらのこれよし)公に特に愛されその願いによって道真様の歌の師匠となられた御方でした。
努力と天才の神のお話 ①
間に合うか解りませんが・・・・今年最後の力を振り絞って、「努力と天才の神、菅原道真公伝」ですmm
心温まるストーリーでと、リクエスト頂いてたんですが、、、、ちょっと難しいかも(苦笑)この神は学問の神として有名ですが、その真の姿を知る方はあまり多くありません。福岡の方で初詣に行かれる方はぜひ一読して参拝して頂きたいです。まぁがんばります(笑)
『努力と天才の神、道真公伝』
皆さんもすでにご存じの、福岡を代表する神社 「太宰府天満宮」。
そこに祀られる神様は、人間より神となられ、幼き頃より天才と謳われた神。天満宮様、菅原道真公とはただの学問の神ではございません。先に菅原氏の歴史を簡単に説明しときますと、遡れば祖先は天穂日命(あめのほひのみこと)神と言われる由緒正しき家柄、元の姓を 『土師(はじ)氏』 と言われます。土師氏とは古より土偶を作ったり、古墳を作る職に従事された家ですね。
その問題は本当に問題なのか?
う~寒い、寒いです。しかし昔の方がこの季節でも、身が切れる位寒かった覚えが・・・・
そう考えるとちょっと淋しいですね。季節もだんだんおかしくなってるのでしょうか。もしかしたら年齢と共に自分の体感がおかしくなってきてるのかも(笑)朝一番の鑑定を終え、今日は一日フリーです。いろんな方の話を伺うとですね・・・・・外も寒いですが、人によっては心が切られるほど痛い方もいる。その方の辛さはその方しか解らない。なので、決して「あなたの気持ちは全部わかります。」とは言えませんけどね、その方が苦しみ、その中で努力して一生懸命生きているのは本当に心が痛くなるほど解る。
そして時々、自分はこう思っていました。
残すところ、あと2週間・・・・・・
- 2010-12-14 (火)
- その他
感動の瞬間から一夜明けて。浮かれていられたのも一夜限りで、年末に向けてラストスパート・・・・と思いきや、徐々にエンジンを上げていこうと考えている管理人です。もうこの歳なので、そろそろ慎重に、ゆっくりと確実に行こうかなぁ~と。
昨日はたくさんのコメント、ありがとうございました。笑いながら読ませて頂きましたよ、「何のこっちゃ、さっぱり解らんけどおめでとう!」ってコメントが多くて(笑)種明かしは年末の総まとめの日記にでも書かせて頂いて・・・・・あと、『神様物語』 のリクエストもたくさん頂きましてありがとうございます!本当は、「道真様か、弁財天様のどちらかを選んでね~」ってつもりだったんですが・・・・・書き方が悪かったですね、興奮してて思いつくまま打ちこんだ結果がこんな感じです。さすがに皆さん、神様好きが予想以上に多くて、さらに人それぞれ、ご贔屓にされていらっしゃる神々様の名前が豊かに並んじゃって・・・・・・あ~期待に応えて全部、書かせて頂きたいんですが自分も実は神祭をさせて頂いた神様しが存じ上げないんですよね・・・・・・・・・。
新しい年と、新しい自分。
- 2010-12-14 (火)
- その他
ついにやりました。協力してくれた皆、本当にありがとう。
先程、まばゆくてとても小さな、そして限りない可能性のある大きな一歩を踏み出しました。
蔭日向となって管理人を上手にリードしてくれたシス担。
太陽のように最高の輝きを持って見守り暖めてくれたあの方。
知恵をたくさん出してくれたRちゃん。
必死になってくれたスーパー大工さん。
そして蔭ながら力になってくれたあんな人やこんな人。
ついにやりましたよ。自分が「やった」訳ではありません。皆のお蔭で「出来ました」。
魔法の言葉、『少しずつ』
今日は村カフェ2号店の店長さんに甘えさせて頂き、すごく有意義な時間を過ごさせて頂きました。勉強会と銘打ってそれぞれのミッションステートメント(個人の憲法的なもの?)を制作する・見直す。まぁ忘年会も兼ねてですね、佐賀の唐津にホテルの一室をとって頂き、皆でご飯を食べてお風呂にも入って、勉強もする・・・・・いや~最高でしょ。
今日の自分のテーマは、『少しずつ』。
日頃はせっかちな所も多く、ついつい先走ってしまいがちな管理人、、、、、相当、周りの人に迷惑を掛けてます。自覚してます、すみません。
神から恐れられた神のお話 <あとがき>
本格的に寒くなってきましたね・・・・・・・
もう12月の中旬ですよ?!あと3週間ぐらいでお正月ですよ!!どうします??・・・・って、もうどうしようもこうしようもないですね・・・・・・早いなぁ~正月はお年玉がボンボン出ていく年齢になったら正直、辛いです。甥っ子は一人なんですけどね、、、、家族で挨拶に来てくれる家族の子供達や、先輩の家に挨拶に行くと、出るわ出るわで・・・・・・「一回、飲み行ったと思えばこんなもの・・・・・・」と考えつつ、何回飲みに行った計算になるのか考えたら怖い(笑)あと、『忘年会』 ですね、、、、なるべく参加はしない方向で行ってるんですが(めちゃくちゃ太るし)どうしても避けれない忘年会もある。・・・・・・外は寒いし、はっきり言ってそんなに楽しくはない季節です(爆)
天津甕星様の祭りも、確か3年前の今の季節だったと思います。
神から恐れられた神のお話 ⑤ その後・・・・・
続き。
思兼大神様は皺くちゃの顔に、多分さらに皺を寄せ語りはじめました。
「これはわしも亡くなったじいさんの、じいさんの、そのまたばあさんの・・・・・」
「え?先程の話に婆さんなんて登場しましたっけ??」
「黙らっしゃい~っ!!・・・・細かいことはどうでも良い。黙って聞くのじゃ。とにかく、昔々に”大国主”と呼ばれる神がおっての。この神を鎮める時にバラバラに別けられた話は物語で聞いてもおろう、、、、、あ、その前にまず、神の魂と申しても大きく別ければ二つ、”和魂(にぎたま)”と”荒魂(あらみたま)”に別けられもする。これは各々、少しは聞いた事があろうか。さらに別ければ、”幸魂(さちみたま)”と”奇魂(くしみたま)”と4つに別ける事ができる。そして・・・・・あ、その前に・・・・最近またダダ落ちしてる、ランキングボタンをポチポチしてから進むのじゃ。」
霊能者のつぶやきトップ > アーカイブ > 2010-12