- 2025-09-05 (金) 12:48
- 教訓
つづく。
「日常で気づかない内にこびりついちゃう、”罪穢れ”はどこからやってくるのか?」
自分が思うに、この「罪穢れ(カビ)」は「自分の魂」から”も”発生します。
そう結論だけ乱暴に書いちゃうと、日々を真剣に必死で生きている生真面目な方から、
「いやいや、こう見えても真っ当に生きてますよ?」
「なるべく誠意をもって人と接するように心がけています!」
なんてクレームが湧きそうですが、、、、それはそれで素晴らしい生き方ですし、自分の人生を豊かに過ごすには大切な要素の一つでもありますが、やはり罪穢れをうんでいるのも、大雑把にいえば自分の魂。自分の魂がそこに存在しているが故に、そこに罪穢れが同時に発生していると自分は思います。
細かく説明すると、いわるゆ「問題」と捉えているものの原因、実は「外から、内から発生!」だけのシンプルなものではないと考えています。双方の、「罪穢れ(カビや菌)」が合わさっての問題かと。
今まで生きてきた中で培われてきた「習慣」や「個性」。経験を元にうまれてきた「知識」や「行動」。心理的安全性を確保するために気づかない内にとってきた「無意識の行動」。
振り返れば「この問題は、もしかしたら自分のこういう部分が原因か?」と思い当たる節もあれば、「いやいや、これは明らかにあの人(外部からの菌)が原因だろ?!」と思われる人もいらっしゃるでしょうね。
現に自分が職場のパワハラを受けていた時代は、「確実にあの人がいなくなれば絶対に自分の人生がより豊かになるはずっ!」って、毎晩・毎朝、日中も確信しておりましたから(;´∀`)
※今もその人は、何も変わることなくいつも通りに存在しておりますが今はパワハラを感じていません。まぁ、この話はまたいづれ。
話を戻しますと。
他人や周りの環境から、いきなり「罪穢れ」=カビや菌をぶっかけられる時も多々ありますよね。人間、人の間で生きていますし生きている間に四六時中ふれているのが社会=周りの環境です。実際にカビが生える環境さえ整えば(?)どんどんカビも増幅していく。問題もでかくなれば、そんじょそこらの清め祓いや、効果が謳われる洗剤をつかってゴシゴシ磨いても落ちないです、、、、、。
生きている間中は、内から外からの罪穢れから逃れられることは出来ませんので、自分が考える問題解決方法はいくつかありまして。
〇自分の中に罪穢れの菌を発生させる土壌や原因はないのか?
これが一番、手っ取り早い。自分の考え方や習慣から問題化している要素も多いので、まずは問題そのものを分解・解析してみる。そのことによって問題がクリアになったり簡素化したり。問題が簡素化すれば、より拭き取る労力が楽になっちゃったりする。
〇より豊かな生活の為に必要なカビや菌もあるという認識
細かいこと言えば、カビと菌は違うものなので本来であれば同じ扱いはダメなんでしょうけど。面倒なので一緒にすれば、要はブルーチーズについているアオカビや納豆菌のように、上手に育てれば豊かな生活の為のカビや菌も存在しているということ。良い育て方をすれば、その人の個性になったり、味になる。
〇それで忘れられるなら「漂白剤」を使うのもあり
あるカビ落としの洗剤なんて、「これ一吹きで、カビを殺菌!」なんて謳いつつ、単にカビを漂白している状態に近いとか、、、、なんて便利で有能な洗剤なんだろ!(笑)潔癖な人なら無理でしょうが、「みていてちょっとモヤモヤする・・・」レベルの不快度ならば、自分のようなズボラな人間なら本気で磨かず、視えないならみえない程度で幸せな人生を送りたい。そっちに大切な人生の時間をとられたくないと考えます。
〇時間が解決することもある
結婚したての時、嫁姑問題で自分がミスり(その時の嫁の心の状態や想いも考えず、強引に母に喜んで貰おう、嫁に笑って貰おうと自分よがり・頑なになってしまった自分の罪穢れです・・・)師匠に泣きながら相談に行ったとき、「あと10年は我慢しろ」と言われました。「あと10年すれば、問題は解決するんですか?」と尋ねてかえってきた答えは、「あと10年もすればお前の母親は死ぬだろ?それで解決だ。」「・・・・なるほど。」と(笑)お陰様でまだ母は生きておりますが、今振り返れば確かにその時の問題は解決したかなぁ~・・・・あれから別の問題も多々、発生はしましたが経験できた自分には大したことなかったかな、、、、、あの時の経験で
「まぁ、まだマシか。」と漂白剤を使うことができました。
いろんな方とお話をする時、
「元気ないから、もっと頑張らないと!」
「魂が燃えていない自分が悪い・・・」
「本気じゃない。覚悟がない。」
「結局自分は変われない。何をやっても駄目だ。」
とおっしゃられる方も多いんですけどね。最初に戻ると、
「魂そのものは万能であり無敵」
なのです。いくら瞬間的にテンションあげたり燃料を投下して一時的に輝かせても、「罪穢れ」自体を認識しないと、こびりついた汚れはより濃くなって余計に目立ったり、気づかない内に目立たせてしまうだけに近いですかね、、、、、。
濃くなる罪穢れを無理して消さず、どこから来てるのかを確認して対処を決める。選択肢を作って上手に祓い清めてしまう。その過程の中で、より深く自分自身を知れ、人を知れる。
ちなみに、神道の『大祓詞(おおはらえのことば)』を好きな方は訳されたことがあるとは思いますが、、、、あれ、実はそれぞれの役割を持たれた神々様が、どの様にして「罪穢れ」を流すかまでの過程が書いてあるんですよね(笑)
素人を食い物にしているネット神道家やなんちゃって霊能者が、「聴けば幸せになる」とネットで言霊信仰を持ち出して飯の種にしているアホが多い昨今です。言霊信仰(言葉の力によって新しい力が生まれる)は確かに存在し、古くから日本人は言葉を大切に扱ってきましたが、どうせ学ぶのであれば利用するだけではなく、あと数歩、深い知識や成り立ちを学べば自分から生まれる「罪穢れ」も流れていくんですけどね。なんか勿体ない話です。
自身が「一生解決しないんじゃないか・・・・」
と諦めていた問題が、ひょんなことからサクッと解決した時の爽快感や感謝の気持ちは代え難いものです。「その問題はどこからきたのか?」「どこをどう変え、どういう努力をするべきか?」何かの参考にして頂ければ幸いですm(_ _)m

- 前の記事: 魂の輝きによる、問題の解決方法①