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2018-05

伊勢への道のり⑦ 神宮の「光」と「闇」

つづき。

てんでバラバラになった記事をまとめるのは一苦労ですが、、、、実際、あんまりまとめる気はなかったりもする(*´▽`*)

・・・ってことで、「伊勢への道のりシリーズ」がこのページをもって、ようやく終えます。

良かった、、、ここだけの話、書きだしたのは良いんだけど、着地点が見つからずはやく終わりたかったんですよね・・・・へへへっ・・・・・。

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伊勢への道のり⑥ 天照様とスサノオ様

つづき。

さて。とりとめのない話を気分のまま、ダラダラと続けておりますが。ここで一旦、神話に戻って『天照様 VS スサノオ様』を思い出してみると・・・・・。

伊邪那岐様に命令された天照様は「高天原」を治めます。

「高天原」は今でいう神界の中心。

お祓い・お清めの祝詞で一番メジャーな大祓詞も、「高天原爾神留坐須 皇賀親神漏岐神漏美命以知氐:たかまのはらにかむずまります、かむろぎかむろみのみこともちて」から始まっておりますが、簡単に訳せば、

高天原(たかまのはら)にいらっしゃいます、御親の神、神漏岐神漏美命(かむろぎ・かむろみ)の神様のご命令によって・・・

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伊勢への道のり⑤ 海女とゴサイ

つづき。

志摩スカイラインを通って鳥羽へ。国道167号線沿いに鎮座する伊雑宮は、「いそべさん」の呼称で古くより伊勢志摩地方の海女さん達が深く信仰してきました。

もっとも大きなお祀りは、『御田植祭(おたうえさい)』。

なんとも稲や米を愛する日本人らしいお祀りでほのぼのですが(´ー`)・・・神田を清め、そこに忌竹を刺して地元の青年たちが奪いあう。

このお祭りの日は、「ゴザイ」と呼ばれ、この日だけは海女さんたちも海に入ることを控えます。

なかなか興味深いのが、この「ゴザイ」です。

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伊勢への道のり④ 夜の倭姫

つづき。

さて、ここはせっかくの神様ブログなので、神様からのお言葉を頂戴してみました(´ー`)



沈みたる湖のごとく、この地にありてこの地にない別世界と申しましょうか。その御姿はまさしく地にありし、我が手にありし鏡と同じで、真を映し出す。おのが生涯を写す鏡とありましょう。人が辿りし己の道は、険しくとも温かくとも、その一歩の想いが大切なことでもございまして、後世に残るわたくしの物語などとるに足りぬ話とはなりましょうが、本来、人が歩く。人生を生きるということは貴賤も上下も天も地もなく、いずこの里へ帰る想いひとつと伝えておきましょう。


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伊勢への道のり③ 瀧原宮の立地

つづき。

この地の立地はなんと言っても、

「熊野参詣伊勢路(熊野古道)」

の通り道となっておりまして、熊野と直結しております。ここに通っている、「紀勢自動車道」を北上していきますと、みえてくるのは、

「丹生山 近長谷寺」 や 「丹生山 神宮寺」

丹生山は、昔の近長谷寺や神宮寺の『山号(頭にお山の名前がついてある)』になるのですが、この二か所のお寺に祀られているのは丹生大師。

そう、『空海さん(弘法大師)』の別名です(´ー`)

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伊勢への道のり② 神様のこぼれ話

つづく。

神様のお導きにより、「御杖代(みつえしろ)」となって各地を祭祀しまくった倭姫なのですが、その身分は皇族に連なる身、今のイメージと違って『たった一人の旅』ではなかったと推測されます。

なんせ皇族ですから。また各地で地元のまつろわぬ者たちの妨害?を防ぎながら、祭事を行い歩いたということは、ひょっとして軍隊も率いていたかも??

祭事(神祭・祭祀)も1人ではできないことです。


今でも立派な神名として名を残す神々も、当時は一緒に歩いて、または軍隊の指揮官として、倭姫の護衛として、また祭り要因として随行していたと推測されます(´ー`) その貢献度によって、今でもご神名の頭文字には一定のキーワードが授けられております。

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