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霊能者
霊界への扉 ① (ある霊能者から見た風景)
霊界の事を詳しく聞かれた時、答えれる範囲・自分が知り得る範囲は決まっています。日々、相談に乗らせて頂く中で、霊障の相談が10あれば、その内の3ぐらい本物の霊障があればいい方で、、、、後は自分達で作った霊界と言っても構わないと思います。(その作り上げた霊界の真偽は問えませんけどね。それが、その方の”霊界”というだけの事、、、、自分にはお役に立てなかったという事です)大きな意味で 『特殊な能力で人を助ける』 と言えば聞こえはいいんですけど・・・・・個人が今の社会を見ていろんな感想や見方があるように、各霊能者が違った霊界を見てそこに見解を加え、、、、それが 『解決への手助け』 になれば、それはその霊能者が「力のある霊能者」と呼ばれる様に、自分はそこに人間としての相談者の方との相性や、あの世を見る技術、どこまで深く見抜くか、また解釈の仕方によってさまざまに変化していくものだと思います。
個人の考えとしては、人界の乱れは霊界の乱れ、霊界の乱れは神世の乱れ、神界の乱れは人界の乱れから始まっている・・・・・この三つ巴?の様な簡単な図式が出来上がると思います。
『村雲から見たら、”霊界” や ”神界” はどういう風に視えるの??』
以前からこの質問が多かったので、書ける範囲で出来るだけ解りやすく?(苦笑)、自分の”仮説”も交えながら何回かに別けてお伝えできればと思います。これも飽くまでも一介の霊能者のつぶやき、村雲が見ている「視えない界」の数多くの角度の一つなので参考までに。「信じるか、信じないかはあなた次第っ!」みたいな。
あなたは瞑る派?瞑らない派??
村雲村でコメントを読んだ時、フト考えてみた。
『自分は祈る時、目を瞑ってたっけ?瞑ってなかったっけ・・・・??』
改めて考えてみれば、いつも瞑ってますね大方は。なんか、そっちの方が祈りに集中できる気がするし(気がするだけですが(苦笑))、特別目を開くとどこを見ていいのか分かんない。目移りしたり、深夜だと思わず後ろを振り返りたくなる。そう考えると一つ懐かしい話を思い出しました。昔、面白い経験があってですね・・・・・・夜中の深夜に神棚に祈ってると、どうしても隣に誰か居る気がするんですよ・・・・・・・。いや、神様には申し訳ないけどそれが気になって仕方ない。「気にしちゃダメ。祈りに集中~」と思えば思う程、気になる。で、思わず横を見た。・・・・・・・・・すると、そこにはですね、、、、、、、、、、、、
赤ちゃんを抱く。
さっき、古い友達が子供産んだので顔を見に行きました。『抱いてみる~?』と言われて・・・・・いつも赤ちゃんを見せに来てくれた、見に行った友達は言ってくれるんですけどね、、、、正直、抱き方が解らないから怖いです(苦笑)甥っ子さえ怖くて抱かなかったんですけど・・・・・抱いてみました、生まれて二日目の子。意味もなく心が熱くなってきました。・・・・・感動した。パパでもないのに(笑)
「トラウマやコンプレックス」 と 「おなら」
自分のコンプレックスの一つに「大学に行っていない」というものがある。
ある日、師匠にそれを指摘された時に、『えー何言ってるんですか~あり得ん、あり得ん(笑)』と聞き流した想い出がありますが、歳を取れば段々と分かってくる。意識をして考えれば、”確実” にこのコンプレックスが自分の人生にとってどこかで根深く根をおろし、ある意味、”自分らしさ” の妨げになっている事に気づかされる・・・・・トラウマも同様に。一度、このコンプレックスを解消しようと思い、自分にとっての大金をハタいて通信の短期大学に入学はしたけど・・・・忙しさにかまけてあえなく退学。まぁこれは時期をみて一生の内に卒業できればいいと考えています。
時々、「トラウマやコンプレックスを忘れる方法を教えて下さい。」と依頼があるけど、これは無理な話だと思う。『元彼を忘れたい』 と同様、大きな事故か脳みそをイジられて記憶を飛ばす以外、忘れる事なんて有り得ない。一度、日記にさせて貰いましたが(「臭いものには蓋」)どうしても臭いのするものには人間、蓋をしようとします。その臭いは人生を形成する根底にあって気づかない内におそろしく影響力を与える。現在の行動に、未来への創造に。
反対に、人生を手っとり早く(?)変えたければこの根底に働きかければいい。これは、「トラウマやコンプレックス」に対しての付き合い方を変えるいくつかの方法です。
やってみて良かった事
- 2010-08-17 (火)
- 霊能者
「神事をやっていく、神様とお付き合いさせていく人生の中で、これはやった方が良い事を教えて下さい。」 という、ありがたいメールを頂きました。「やった方がいい事・・・・・・」 う~ん・・・・・自分は反対に、『信頼関係だけ』 は頭に入れて置いて下さい。・・・としか答えない、答えようがないんですが、この『信頼関係』 と一言で言っても結局は本人の中の解釈・基準・価値観でしかない。自分はそれでいいと思います。無理に背伸びする必要もなければ(志はちょっと高めの方が人生楽しめる)無理に卑屈になる理由もない。”神札” と同じで、どんなに優れた霊能者に魂入れをして貰っても、つまる所本人に見合った神様しか降りてこないのと同じで、類は友を呼ぶではないが(神様をこのレベルで考えてしまうと失礼な話にもなるが)、本人は知らずしてそうなってる事が多い。
良く神様と人の繋がりで ”二人三脚” という言葉を使わせて貰うが、本人が一人舞い上がって「すっごい尊い神様が導いて下さっている」 と思い込めば現実の自分とのギャップは開き、同じくどんなに尊い神様が導いて下さっていても、本人自身に人間的成長がない・・・もしくは向上心が無ければこれもどっちが先かは分からないけど、差は開く。上手く前に進めなくなる。
わんぱくでもいい、たくましく育って欲しい(子育ての話)
子供を育てた事がないので、話半分で聞いて下さいね。
『わんぱくでもいい、たくましく育って欲しい』・・・・・・・
ナレーションって本当にすごいですね。もう一定の年代以上しか分からないセリフでしょうが丸大ハムの1970年代のコマーシャルに使われたナレーションです。今でもそのフレーズを思い出せば、その声の質感・当時の自分の心模様が浮かんできます。。。。焚き木の前でお父さんがナイフで肉を削ぎ落として食べている姿(でしたよね・・・・?)にちょっと憧れたりして。
どんな子に育って欲しいのか、、、、これは親の自由、何でもいいと思います。たくましく育てる事が目標ならば、「わんぱく」は一つの通過点。管理人の場合だったら、もし子供が出来たら 『泣いてもいい、人の心が解る子に育って欲しい』 ですかね・・・・・自分が心の痛みを知らないと人の心なんて解らない。だから”良い子” に育つぐらいならたくさん傷ついて、たくさん泣いて欲しい。。。。。そこから立ち上がる勇気も。その勇気はいずれ、人の為に泣ける勇気と変わるでしょう。・・・・そう期待して。多分、親になったらそう願います。それを教える為には、自分がどういう形であれ、勇気を失くしちゃいけない。
村雲式スピリチュアル論④ 生き霊について
つづき。
「”生き霊” にとり憑かれてるのでは・・・・・・・」
このご相談は後を絶ちません。生き霊については以前、「生霊とは ① 人の念と祓い方」 「生霊とは ② プラス面とマイナス面をしっかり把握!」に書かせて頂いているので詳しい話は割愛します。(PCの方は”記事内検索”で捜して頂けると色んな一面を書いた記事が読めると思います)
簡単に一言で言うと、「あの人を恨んでやる。憎い。殺したい。」 という念があれば、「ウチの子は今、大丈夫だろうか。健康で過ごしてくれているのか。ご飯はちゃんと食べているのだろうか。」親が子を想う気持ち。妻が旦那を想う気持ち。恋人が相手を想う気持ち・・・・”大切な人を大切に思う気持ち” が形になって念になったもの。これも同じく人の念、生き霊です。相手を思うプラスのエネルギーだって立派な生き霊。また番外編として、”執着” と呼ばれるものがありますが、生き霊と執着についての詳しい話はまたいつか。
村雲式スピリチュアル論② 神様と宗教
つづき。
「村雲にとって神様は・・・・・?」
そう聞かれると、すごく難しい。
それは身近に居てくれる親だったり、祖父の様に近寄り難くも優しいものだったり、何でも話は聞いてくれる友であったり、尊敬して一生・・・・いや何百回生まれ変わっても手の届かない威厳に満ち溢れたものだったり・・・・・また同時に神様そのものが、ここ十数年の青春だったり、師匠や仲間との想い出だったり、愛や情の対象だったり、これから死ぬまでお付き合いさせて頂く方々だったり、若い時の自分は時々八つ当たりしてみたり(笑)、、、、ボキャブラリーが少なすぎてこういう表現しか出来ませんがまぁ思いつく言葉を並べるとこんな感じです。
「村雲にとって宗教って何・・・・・?」
と聞かれると、これも一言で表せば ”杖” の様なものですね。
神縁
最近、「神縁」 についてよく考えます。神縁とは、「神様との縁」。同じ 『神様を考えること』 に関して言っても、自分は小難しい本を読んだり歴史を調べたり、記憶力もある方ではないので 「神様と呼ばれていた人」 や 「日本と神道の成り立ち」 というよりは自分と神様の縁、神様の存在がどう自分に影響しちゃってるのか・・・・・・・なんて事ですね。成り立ちや人物像を一生かけて調べたり勉強されていらっしゃる方々も多く、これはこれですばらしい事だと考えていますが、残念ながら自分にはそこまでの脳みそが無かったようです。・・・・・まぁ性格的に、結果が永遠に解らない事なんで調べる気にもならないのが本当の所ですけどね(苦笑)
決意と新しい一歩
一度そうする、一度そうなると決めた事にはまっすぐ突き進む事にしました。
ある神様から批判や非難も頂きましたが、それはありがたい助言としてまっすぐに受け止め、それから、これから、自分がどうしていけば良いのか一歩一歩挑戦していこうと思っています。いろいろと考えた事もあったんですが・・・・・・結果、考えても意味がないと、助言されたことを素直に受け止めこれからに生かしていく以外、自分には方法がない事に気づきました(笑)教え頂いた事を実践して静かにゆっくりと、そして力強く前に進んでいく。確かに問題や越えないといけない壁は山積みですが、今生きている間に挑戦できる幸せと、もしかしたら軽く越えられるかも知れない??という期待感。。。。。。そして現実を通じブログを通じて応援して下さる方々が居ること。これを真っ向から受け止めさせて頂き、今以上に前に進んで幸せになろうと思ってます。ってか、多分、なります。
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