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海を越えた大王のお話 ②
続き。
まずは国の安定をはかり、一族が協力しあい開墾に勤しむ日々。中には以前より住んでいた土着の神との争いもかなり多くあったと思います。しかし、フツノ神軍は連戦連勝、むかうところ敵なし状態でした。・・・・・・理由はいくつかあったと思いますが、まずジパングの民と「戦い方の戦法が違った」事。これは後の鎌倉幕府と元寇に共通した事実だと思います。そしてこれが一番大きい、「武器の質」。ジパングの民が平和の象徴である土器を焼いて道具にしていた、木や石を武器にしていた時代に、フツノ神軍はすでに強力な青銅や製鉄・加工する技術が発達していた為ですね。戦争に勝てば、土着の民を支配下に置く。またはそれ以降に海を渡って来た少民族を糾合していったのかも知れません。元の国から持ってきた植物の種も植え始めました。主に食料面で豊かにさせる為ですね。
何よりもフツノ神の一番の収穫は、、、、能力も姿形も父であるフツノ神と瓜二つの、、、、いや、それ以上の力や胆力を持つ息子をさずかった事ですね。フツノ神はこの神を、「フル」と名づけました。
海を越えた大王のお話 ①
あ~・・・・最近、本当に書くことが無くなって来たんですよね(苦笑)「じゃぁ更新すんなよ。」って話ですが、パソコン開いちゃうと手が勝手に動くんですよね・・・・・・・。では、需要があるか否か判りませんがリクエストを頂いたので神様の昔話です。
『海を越えた大王の話』
どんぶらこ~どんぶらこ~。大海を渡る船団は一路、日のもとの国 「日本」を目指して。これが楽しい旅だとのどかでいいんでしょうけどね・・・・・当時はそうじゃなかった。荒れ狂う、まだ見ぬ海の彼方の自然豊かな国を夢みて、舟に同乗する者は自分の一族の主だった人間達。それはまさに命を賭けた、一族を賭けた船出となりました。
『者ども!!食料と荷物を積めるだけ、積め!出航だ!』
何十艘か・・・・いや、何百艘・・・・・・もしかしたら、何千艘だったのかも知れない。国内の内乱を避け、血を血で洗う醜い争いからの難を避ける為、生まれ育った国を捨てて新しい新地に飛び立とうと、その集団の先頭に立つ舟の舳先に立つ男・・・・・・この方は「フツノ神」と、そう呼ばれていました。
神様への質問箱 26 鏡・剣(と鞘)・玉の話
少し冬らしくなってきました。ウチは炬燵ではなくホットカーペット派です。これが・・・・・温度調整がなかなか難しく、寝落ちなんかした日にはあまりの暑さ(熱さ?)で目が覚める。温度が上がりすぎれば自動で切れるようになっているので凍えながら目を覚ます。どちらにしてもカーペットの上で寝るのはお勧めではありませんね・・・・・・・。
<質問>
神様の御立場からみて、鏡・剣(と鞘)・玉とは何でしょうか。」(これは、三種の神器の事を指しているのではありません。)
信心と神力
先日、ある方からこの様な質問を頂きました。
「神様を信じると不思議な力が得られるのですか?」と。
この方は年齢は自分より10歳ぐらい年上の方ですが、とても信仰熱心で幼い頃からご両親と神社やお寺に参拝されていたそうです。人柄も素晴らしく腰も低く、人間性は尊敬できる方ですね・・・・自分が色々とお尋ねしたいぐらい。もちろん、自分も質問されながら、質問を返していろんな勉強はさせて頂きました(笑)
その方は心のどこかで霊能が欲しくて、純粋に 『霊能を上げたい』 という相談でした。先程の質問に答えれば自分の答えは「半分、Yes。半分はNo。」 ですかね。
中今とは ②
- 2010-11-07 (日)
- 神様
・・・・続きです。
中今とは。至って簡単な原則です。「ここに生きる自分を精一杯生きよう」。お~すごくシンプル。その教えの中で生きてきた自分達は、学ぶ必要がないくらい当たり前の事ですね~・・・・・・と言っても、必死にやりすぎて道を外す事だってあります。悩みに悩んで出した結論にさらに迷う事も多いでしょう。迷った末に答えの出なかったこともある。「一時保留」・・・・みたいな。そして、その一時がいつ終わるのかさえ分からない。
そんな時に。流され ”過ぎる” 自分のブレーキの為にある訳ですよね。「中今」という思想。
人を正しく導く通路。人は少々、外れてもいいんです。いや、元来、普通に生きていれば外れるものです。その中で、外れ過ぎた時に、「こっちだよ~外れ過ぎるなよぉ~」 と声を掛けてくれる思想。それが神道の教えであり、古神道の真髄と言っても過言ではないと思います。ここは勘違いしている人もたくさんいらっしゃると思いますが、日本の神様が『ああしろ、こうしろ。』 とおっしゃられた事は一度もありません。自分達の主体性を第一に考えてくれ、失敗の苦笑いも見て見ぬふりをして下さる。そしていよいよの時に紙一重で教えや助けが頂ける。その一瞬を切り取ったものが、「惟神(かむながら)の道」 ってものですね。まぁそれはいつか詳しくお話します。
中今とは ①
- 2010-11-06 (土)
- 神様
神道の中に「中今(なかいま)」という思想があります。
中今(なかいま)とは。「過去と未来との真ん中の今。遠い無限の過去から遠い未来に至る間とてしての現在。現在を讃美していう語」・・・・・解り易く言えば、「現実をあるがままに受け止めよう」「今を一生懸命に、大切に生きる」「今、ここを生きる」 という事ですね。はじめてその言葉を知った時の自分は、『そんなもの、当たり前やん!すでに実践している自分は何て素晴らしい神道家なんだろう!』・・・・・・って自画自賛の嵐で正直、気にも止めませんでしたが。改めて今考えてみると、実に奥深い。この真理を極めて本当の意味を知ってる人は、それだけ神道の真髄に一歩近づいていると言えます。実際に、今までブログを読んでくていていつもの管理人の考え方をご存じの方々はすでに実践してくれている、簡単な事です。
「過去は過去。くよくよしてもしょうがないし、変えられん。そして明日の事も解らない・・・・だったら、今が大切やん。めちゃくちゃ大事やん。今、大切・大事と思っている瞬間だけが現実やん。それが ”生きてる” って唯一の証やん!」
やんやんウルサイですが、まぁ博多弁の口語訳で言えばそうなります。
神棚の玉石
玉石の話のついで・・・という訳ではありませんが、以前頂いたいた質問にお答えしておきます。
「神棚の神具で揃えた方が良いものの中に ”玉石” とありましたが種類や大きさにこだわる必要はありませんか?玉石を置くのと置かないのは違いがありますか?それと関係ないかも知れませんが神棚にお守りを置いても大丈夫ですか?」
村雲流の考え方でよろしければ参考にして下さい。
まず 「玉石」 ですが・・・・あってもなくても、別段構いません。
神界への扉 ①(ある霊能者から見た風景)
皆さん、こんばんわ。引き続き、前々回からしつこく続いている記事の続きです(笑)
しつこく続いてはおりますが、昔から質問も来ている話でしたので、今回は思い切って書ける範囲で。
今まで避けてた訳ではないんですが、書き出して余計な誤解を生むのも嫌だったからですね、、、、今はちょっと、書きだした事に後悔していますけど(苦笑)誤解がないように、書こうと思えば思うほど、要らない言葉が増えて余計な語弊が生まれそうな予感・・・・・ま、いいや。霊界や神界に関して、『興味がなくなった』 という言葉に少しながらも違和感を感じる方がいらっしゃるとは思いますが・・・・「あの界はこうなってる。」「あの神様の位はああで・・・」「この先、神界はどうたらこうたら・・・」「○○の神の本当のお姿は・・・・」という話が世の中に多すぎてですね(苦笑)ある時から、本当にどうでもいいとさえ感じている自分が居るのも確かです。神祭になれば情報は大切ですし、繋がりや関係がモノを言う時も多いので、とても勉強になるし参考にもなります。が、「へ~そうだったんだ~。」 とある種の感動は覚えても、下手に固定概念を作れば、見えるものも見えなくなるので多分、役割においても仕事に置いても余計に邪魔になりますしね。あまりこの手の話を書かなかった理由の一つでもあります。それ言っちゃうとお終いですが(笑)・・・・・ただ、数年後にこの記事を見直した時に、あの時の自分はそう考えたんだと記録があるのも大切な事だと思い、残しておきます。最初の感覚と、今の感覚が違うように・・・・またいずれ変わるんだろうとの予想を含めて。
霊界への扉 ① (ある霊能者から見た風景)
霊界の事を詳しく聞かれた時、答えれる範囲・自分が知り得る範囲は決まっています。日々、相談に乗らせて頂く中で、霊障の相談が10あれば、その内の3ぐらい本物の霊障があればいい方で、、、、後は自分達で作った霊界と言っても構わないと思います。(その作り上げた霊界の真偽は問えませんけどね。それが、その方の”霊界”というだけの事、、、、自分にはお役に立てなかったという事です)大きな意味で 『特殊な能力で人を助ける』 と言えば聞こえはいいんですけど・・・・・個人が今の社会を見ていろんな感想や見方があるように、各霊能者が違った霊界を見てそこに見解を加え、、、、それが 『解決への手助け』 になれば、それはその霊能者が「力のある霊能者」と呼ばれる様に、自分はそこに人間としての相談者の方との相性や、あの世を見る技術、どこまで深く見抜くか、また解釈の仕方によってさまざまに変化していくものだと思います。
個人の考えとしては、人界の乱れは霊界の乱れ、霊界の乱れは神世の乱れ、神界の乱れは人界の乱れから始まっている・・・・・この三つ巴?の様な簡単な図式が出来上がると思います。
『村雲から見たら、”霊界” や ”神界” はどういう風に視えるの??』
以前からこの質問が多かったので、書ける範囲で出来るだけ解りやすく?(苦笑)、自分の”仮説”も交えながら何回かに別けてお伝えできればと思います。これも飽くまでも一介の霊能者のつぶやき、村雲が見ている「視えない界」の数多くの角度の一つなので参考までに。「信じるか、信じないかはあなた次第っ!」みたいな。
あなたは瞑る派?瞑らない派??
村雲村でコメントを読んだ時、フト考えてみた。
『自分は祈る時、目を瞑ってたっけ?瞑ってなかったっけ・・・・??』
改めて考えてみれば、いつも瞑ってますね大方は。なんか、そっちの方が祈りに集中できる気がするし(気がするだけですが(苦笑))、特別目を開くとどこを見ていいのか分かんない。目移りしたり、深夜だと思わず後ろを振り返りたくなる。そう考えると一つ懐かしい話を思い出しました。昔、面白い経験があってですね・・・・・・夜中の深夜に神棚に祈ってると、どうしても隣に誰か居る気がするんですよ・・・・・・・。いや、神様には申し訳ないけどそれが気になって仕方ない。「気にしちゃダメ。祈りに集中~」と思えば思う程、気になる。で、思わず横を見た。・・・・・・・・・すると、そこにはですね、、、、、、、、、、、、
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