「いやーもう自分ぐらいの年になったらついていけないんだよねー」
職場でもよく耳にする言葉だし、これ便利な言葉なんでなんなら自分も使ってやろうかと思ったりもしますが、これ正しくは
「ついていけない」
のではなく、
「ついていかない」もしくは、「ついていく気がない」
の間違いのような気がしています(;´∀`)
世の流れでブログの時代が終わって、文字数がコンパクトで若者に優しいXや、垂れ流しで観れるYouTubeが主流になって久しいのですが、時々、ブログにログインすると
『3,000件以上を超えるスパムメッセージ』
最初は丁寧に、チェックを入れて、スパムメールとして認識してもらい、重たくならないように(?)削除して、、、、昔に教えてもらった手順で処理してましたが、それにも連続でやり切れず、そんな集中力もなくして気づけばブログにログインするだけで1.5時間から下手すれば3時間の時間のロス、、、、、いやーついていけませんわ・・・・・。
原因は、言われるがまま使っていたこのブログですが、このブログシステムのアップデートを一回もやっていなかった為、、、、、
いやーついていけませんわ。
今からやっても、10万円以上からの未知数な費用がかかってしまう。。。。
思案中です。
無駄な意地でこのブログに愛着があって、別の場所に移りたくないし、言い値のお金を払う余裕もない。
もう一層のこと、コメント欄を封鎖するか?
年を取ると、面倒なことに首を突っ込みたくないのか。
「経験」と名の元に先を予想しすぎて・・・やっぱり面倒なのか。
はたまた、この年齢になってまで「責任」をとりたくないのか。
「いやーそこまで頑張っててね、先を考える君や若い人たちには脱帽だけどね。もう自分は年とってるからさ、そこまでついて来れないんだよね。思考も、考える体力もさ。」
だったら、さっさと印鑑だけ押してくれよ、、、、、、
別にあなたにお金を出せと言ってる訳ではないからさ。
わかった。印鑑、押さなくていいよ。
せめて上に話を一緒にもっていこうよ。
それも出来ないのであれば、正直に言っておくれよ。
「楽しそうだねーその年齢で素晴らしいよ。でもね、自分はジッとしておくだけでお金が貰えるの。リスクは負う必要がないのよ。責任も取りたくないの。だから、そもそもちゃんと話を聴いて、理解しようって気はないのよ。」
まだ年功序列の呪縛から逃れられない自分は、これが年上の話ならその経験を元に、きちんと襟を正して素直に、まず「反対」の意見だけでもご教示願いたい。
でもね。残念なことに、これが年下の上司なんですよね、、、、、
いえ、年齢だけで人を判断するつもりはありません。
年下でも素晴らしい力を備えた、秘めた方たちもたくさんいますけどね。これが、給料は自分より遥かに上。経験は豊富なのに、真面目に活かそうとしない人間が自分のすぐ上にいると、そりゃもう何やってんだと愚痴のひとつやふたつ、3つや4つは出てしまいます(:_;)
もーホントに。自分の足場を固める為だけに上への御用聞きだけに力を入れてさ。
若い子たちの達成感やうちの組織の未来の在り方を踏み台にして、ポジショントークの技術だけはふんだんに磨きやがって!
・・・・と、思いながらも。
いや、あの時のあのセリフは同じ立場なら自分も同じこと言うだろ。
自分の知らないところで、もしかしてあの人は自分にないとてつもない想像力で、同じでなくとも似た未来を創造しているのかも。その本心を自分が引っ張りだせてないだけなのか??
その場しのぎの保身であっても、あの人も命を賭けて守りたいものがあるんだろう。
こんな時、師匠ならどんな言葉をくれるのだろうか?
「まぁまぁ。お前さんのもっと大きな目的はどこにいった?ニコニコ笑って、すました顔して後は神様に任せておけばよいよ。」
多分、こうこうくる。
あー、もう辞めちゃおうかなぁ~辞めた方がいいんだろうなぁ~。でも、その人が言ってる内容はともかく、自分自身を守るためにやってることは理解できるんだよなぁ~あー何だかんだで10年続いた場所なんだけどね。こんな辞め方でいいのかなぁ~辞めちゃっても大丈夫なんかなぁ~ちゃんと子どもを高校まではいかせたいなぁー・・・・・
・・・と。個人的にはいろいろ考えることはあっても、、、まぁ辞めますわ。
後悔しないようにね、一番自分のよいタイミングで(笑)
本来、人の考えをそのシーンで根こそぎ変えてやろうって気はないんです。
祝詞だって、「自然」と書いて「おのずとなる」と読むんです。
それを「信仰」と呼んで良いのかはわかりませんが、自分が自分の目的に向かってしっかり地に足をつけ、進んでいく姿にこそ、人は感化され、影響を受け、その時初めてそれに触れた人は「自ずと変わっていく」ものだと思うんです。
だから、余計なところに智恵や体力は使わない。
自分に迷いさえなければ、確固たる信念があればおのずとそうなる。
歴史上の人物だって、別に本に載ってはいない無名の方々だって、独りで泣いても悔しくて歯茎から血が出ても、表面では笑顔を忘れず、泥のなかでは命賭けて信念つらぬいて、おそらく何一つ悔いのない世界へ旅立ったはず・・・・・
そう考えれば、自分はなんと運のよい人間なのか。
何故なら、自分の確固たる信念・・・は持ち合わせていなんですけど。自分の行きたい場所は、自分の神々様が願っている場所。そのお手伝いが出来れば、それで満足(´ー`)
その場所は、涙が自然と流れるぐらい懐かしくて、あたたかくて、皆の笑顔があって、助け合ってて。ゆったりと時が流れているのに、時々、魂が躍動して猛々しく無駄に吼えたくなる場所でもあって。
いろんなモノや人が、いろんな人やモノに感化され、変わっていく。共創がある。
そしてありがたいことに、神々様が求める場所・自分が求める場所は、どこかしら多くの方々の魂に包括されている、ささやかな場所であるということ。だから、人それぞれ生きる目的は違っても、その瞬間だけでも一緒に歩める。
問題の「原点」と申しますか、その根幹・源に触れれば、
あとは大した問題ではなくなります(´ー`)
あーなんか楽しくなってきた!限られた人生です、明日も楽しみましょう(^^)
