- 2019-02-15 (金) 1:51
- 霊能者
4~5年前と比べ、「霊能者の価値観」は随分と変わって来ている様な気がしております。
ひょっとして自分だけかなぁ・・・自分が歳を取ったからなのか、時代がそうなりつつあるのか、この辺りは定かではございません。様々な方がより自由に自己を発信できる時代なので、霊能者と呼ばれる人もより自由になったような、、、陰気臭さが抜けて、よりライトな感じ?(^_^;) いろんなタイプの人も増えて来たので、よりコアな感じになったのか??
ひょっとしてコアになった分、表面に現れる事も少なくなり、そう感じているだけなのかも知れませんね~
・・・おそらくどちらも正解かも知れませんが、これは皆さんのご意見をぜひ聞いてみたい(^^)
自分自身も約3年間の社会人生活を経て、以前よりこの世界を客観的にみられるようになってきたのは間違いありません。
師匠の教え、出会って別れるまで一貫して、その根幹は変わらなかったのですが、、、、、
亡くなる2~3年前から、確かに師匠は病の床の中から「霊能に頼ってはダメだ。そんな時代じゃなくなる」と常々、教えてくれていた気がしております。
江原さんは確か昔、
「この世から霊能者が全員、居なくなるのが目標です」
的なことをおっしゃってたと記憶しておりますが、、、、今の自分はまったく真逆で、
「この世の皆が全員、霊能者になれば良い」
と考えちゃったりしております(´。`)
ただし、自分が言う「霊能者」とは、
感性が優れ、多くの自然から、多くの人から色んなものを吸収しながら、人として人らしく自分の人生を歩いていく事。
ふと思い出したように、師匠の、自分を含めた皆さんへのお手紙を読み直しました。
「師匠からの手紙(ブログを読んでくださっている皆さまへ)」
以下は抜粋です。
大日如来様、不動明王様、神話のその神々といつも自分が接触して人を助け、己を助け・・・・という考えは根本から考えなおす時のような気がします。
選ばれたものなど誰もいず、知らずして接触強くできた人間でもわからぬ世界が、さまざまな宗教となり何千年も生きられるのが神仏と思いこんで、わたしも本当に否定していません。
しかし何事にも愛と信念と努力あれば、だれでも本当に力をくださる宇宙意識と接触できると思いました。念仏とかでもなく、祝詞でもなく、そこに己で表現できぬ、さまざまな心が生死のさかいで行き着いたのはこの考えでした。よければ今一度、考えてください。
自分を守る神様の名を知りたがる方々。
名(ご神名)を知れば、、、その存在を少しでも感じられれば、100の励ましより心の支えになり、100の幸せより勇気となって前に進めること、自分もたくさんの経験を戴きましたので決してバカに出来るはずもなく、現実を努力して生きている人間なら当たり前にある感情や感覚だと今でも思います。
そんな自分でも、今は亡き師匠を感じた時は、神様を感じるよりもずっと心が平和になり、信念や愛や勇気が溢れます(^^) ・・・神様、ごめんなさいって感じですが(苦笑)
自分を守って下さる神様の名を知り、神様を感じて、目の前の壁を乗り越えられればそれに越したことはない。
でも、本音を言えば神様を感じれる瞬間なんて”一瞬”なんですよね。
その”一瞬”で自分が今の自分を超え、どれだけ瞬間的に前に進めるのか。
忘れちゃうんですよ、良いも悪いも。
疑っちゃうんですよ、自分自身を。輝く未来や素敵な日本を。
この地球を守ろうとされる宇宙意識、何千以上の俗に「霊団」と呼ばれる存在も、反対に地球をのっとろうとしたり破滅をねがっているあらゆる正体不明の電波も、すべてが人々をひとり残らず、「その人の波長にあわせて関係している」と思いました。
「その人の波長にあわせて関係している」
というのは、つくづく本当だなぁ~と改めて実感している毎日です。
神様が物理的にすぐ側にいる仕事であっても、心枯れている時はなーんも、何ひとつ良いことがありません!(^^;)
美味しい弁当食べても味はしないし、嬉しいことがあっても心から喜べないし。
・・・そんな時は人の好意にも、まったく気づけない自分もいます(-_-)
「あれ?俺、霊能者やったよね・・・??」みたいな自問自答も(苦笑)
でも、人の事になれば答えが返ってくるのがまた不思議で、「あ。やっぱり霊能者よね・・・」・・・って不思議な話ですが、不思議に思う・・・・ふざけているようですが本当の話なのです。
この3年間、はじめは久々に社会に出るのが怖かったし、今はようやく慣れて来ました。
その3年間の中で、無意識にでも
「霊能なしで生きられる自分」
を試していたようにも、今更ながら感じます。
そして。
「霊能者」との看板は一時、降ろしましたが「霊能そのもの」はやっぱり使っていた、、、、というか、無意識に自分を守ってくれていた感覚に近かったのかなぁ・・・・・
それは「必死」だったからでしょうね、きっと。
余裕ぶっこいてブログの更新なんてしてますが、今でも実は生き残る為に、、、、今より豊かな人生を得る為に「必死」だったりします。
ただ自分は甘ちゃんなので、たくさんの相談事を貰っても、
「いやいや、今は自分の事で精一杯だって!」
という意識がしっかり働いていたんでしょうね。何度も書きますが、今はそんな環境にも少しは慣れました。
新しい時代には、新しい霊能者(と呼んでいいのかな?)が必要だと思います。
で、何事も急には変われない、今の時代でも吉凶を占う卦の人が存在すれば手相をみる人もいる。そんな感じで、より古い霊能者から教えを得た自分は古いタイプの霊能者となって、何かを継いでいく。
今時の本物で若い霊能者とあまり接触がありませんでしたので、今時の霊能者イメージがあまり良く掴めてませんが、、、、きっと今からの霊能者の方々は、とてつもない魅力とパワーを秘めた人達だと思います。
「平成を生きる霊能者さんたちへ。」
で書かせて戴いた内容は、これは古い霊能者からの「勝手な要求」に近かったのかなぁ、、、今、振り返って読み直してみると(^_^;)
んで、今から必要とされる霊能者さん達は、、、、、、
もっと「ナチュラル」な感じじゃないかな?
これは悪い意味ではなく、師匠の時代のように神様や魔界の人達と「命を取った・取られた」の様な命がけの信頼関係は難しいと思いますし、その弟子の世代になる自分たちの時代の様に「よく分からんけど、ノリと勢いで行くしかないよねっ!!!」って手探りのまま我武者羅に突っ込んでいくことも難しいでしょう、、、、この情報にあふれた世界では。
それは物心ついた時から世界と繋がっている末端を持ち歩く世代と同じ筈はありませんよね(苦笑)
どれもこれも一長一短、次の時代を否定も悲観もしておらず、何となくそう思うんです。
歳を取れば、身分不相応に、実力もないのに、どーでも良いことばかり気になっていくものなのですね(^^;)
「後悔しない生き方」
なんてものは存在しません。
「後悔を心から感じない生き方」
を一人でも多くの人がしてくれたら、それはそれで良いのかも(^^)
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