今日2本目の記事ですが、小学生の日記の様なタイトルになってしまいました(笑)
うどんとそば、皆さんどちらが好きですか~??管理人はどちらも好きです!
うどんはうどんの、そばはそばのいい所がありまして、『どちらが好きか?』 と
言われれば困りますが限りなく近い存在であっても限りなく遠い場所にあるもの。・・・・・・うどんとそば。
本当はうどん、学生の頃は大っ嫌いだったんですけどね~
(安さに負けて学食で毎日食べてた、お世辞にも美味いとは言えない味がトラウマになってしまいまして・・・・)
でも大人になって、本当に美味いうどんを最初は渋々食べて一言・・・・・
「・・・?・・・・・あれ??うどんってこんなに美味しかったっけ?」
『何をいきなり・・・・管理人・・・・お前、大丈夫か?!』
・・・・どうぞ、ご心配なく(笑) 昔からどこかが少し壊れていまして方向音痴とこの壊れ具合は
生まれついてからのものでございます。治りそうにありませんね~・・・・
(そもそも治す気があまりないのもありますが)
で、話は変わりまして(笑)
さて 『神祭(しんさい)』 とは・・・一言で表せば 『和合』 だと自分は師に教えられました。
神と神。神と人。人と人。過去の自分と今の自分。今の自分と新しい自分。
天と地。白と黒。昨日と明日。さっきまでの気持ちと今の気持ち。
参加した人により意見や感じるものはさまざまでしょうが、
二つの異なったものが一つとなり新しい何かを「生み」出す・・・・・この定義は外せないものでもございます~
「生み」は時として苦しみや悲しみ。せつなさや時には悔しさ・怒り・憎しみさえ伴い、
初めて 『よりよい新しいもの』 が誕生します。
日本は多神教、そこには色んな神々様が存在し、その数だけの意見や考えがあり
その為に争いや対立、派閥が存在します。
※これは神様の世界も同じなんですよ~~~
しかし。
そのお陰で多くの意見が聞け多数決をとる事も出来、一つの事柄に対して色々な角度からのアプローチができ、
異質の存在を知る事、また理解する事・理解しようとする事により学ぶ事や気づく事も多くもあります。
そう考えると多神教の一番のメリットは「 『新しいものを生み出す可能性』 は無限大」であるという事。
そして 『新しいものを生み出す可能性』 を作り出す必須条件とは。
『違いを大切にし、尊重すること』 です。
神祭とは神様の祭りだけではありません。そこに参加する人達の 「心の祭り」でもあります。
価値観も人柄も。生き方も性格も。考え方も祈り方でさえホントに色々。
「全てが同じ人が2人いればその内の1人は必要ない」とさえ昔、神様に言われた事がありました。
裏を返せば、『不必要な人は1人もいない』 のです。
もちろん、人であるからには「合う合わない」は必ず存在します。
しかし、神祭を大きく今の世に、小さく明日からの自分に当てはめると。
『自分の周りに不必要な人は1人もいない』という事です。
『違い』を非難・批判する人と、『違い』 を大切にする人では人生が大きく変わってくるような気さえします。
※また「違いを大切にする」のに必要不可欠なものは「心のスペース」だと管理人は考えます
(『素敵な感覚 ソウルメイト?前世?』参照)
これは日々の生活の中でも同じ事です。
同じ会社の先輩後輩、上司・部下の方から、ちょっとした知り合い。
はたまた彼氏さん、彼女さん、ご主人から奥様、お子さんや嫁姑まで。
常に周りを見渡せば、かならず縁の数とおなじだけこの「違い」があるのが驚きです。
もうある意味、「違い」だらけ。・・・いえ、強いて言うなら「違い」しかありません(笑)
うどんが好きな方に無理にそばを食べさせるつもりはありません。
そばが好きな方に無理にうどんを食べさせるつもりはありません。
また、嫌いな食べ物を 『笑顔で食べなさい』 と言うつもりもありません。
「うどんは色んなバリエーションがあるから、食欲がない時に持ってこい。・・・・・・・たまにはうどんにするか!」
「そばは消化もよく、カロリーが低いから健康にいい。・・・・・・・・よし、今日はそばでいこう!」
このてきと~さも必要だという事です。(大げさに言えばこれが神道の良さだと管理人は考えます)
だって、「正しい」「間違っている」だけで言えば
いつまでたってもキリがないですもん。。。もうただの喧嘩ですよ、うどん派対そば派の(笑)
『違いを大切にする』 の次は 『目的を明確にする』。
その時の目的、つまる所、どれだけ遠い最終地点を想像できるかによって
その時々の心も変わると思いません?
大切な事は「何の為に今、それを選んだか」でしょうね~選んだ「それ」は「どこまで」の為なんでしょ。
日本を良くしたいと言ってかえって国民に迷惑を掛ける政治家。
世界を平和にしたいと言って余計に戦争を起こしている宗教家。
まぁこう見えても自分も神道家のはしくれだと自負しているのですが~・・・(笑)
ただ、自分の本当の「神道家」としての最終目的の為に他の宗教を攻撃するつもりはありません。
何故なら・・・・遠い意味で最終目的に自分の信念を貫き通す結果の為でもあります。
うどん派とそば派に別けて、どちらが優れているか討論する事も時には必要です。
しかし、そこに「違いを大切にする心」や「明確な最終目的」、または
「相手を一度、受け入れる心のスペース」に、「まずは理解してみよう」との心構え。
・・・悲しい事にこれがないと、時には命の奪い合いさえしかねないのが人間なのですよ。
それは今までの歴史が十分、証明している気がします。そして、今も尚、どこかで続いているでしょ・・・・・・・
あなたはうどんとそば、どちらが好きですか?
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コメント:7
- 夕月 08-05-06 (火) 15:19
-
私も村雲さんのパターンと似てて
給食の延びきったどろどろのまずいうどんがトラウマとなって
社会人になるまでうどんの美味しさに気付きませんでした(笑)
でも、どちらかというとそば派です。
今日は子供の宮参りに行ってきました。
氏神様に参った後、近くの一宮に行ったのですが
ご祈祷してもらってるあいだ、感謝の気持ちを心の中でつぶやいてたら
神殿の方から心地よい風が吹いてきて
とても清々しいいい気持ちになりました。
短冊も買ったし、今日からちゃんと先祖供養したいと思います。 - 夕月 08-05-06 (火) 19:50
-
やっと買えた短冊が、家に帰って見たら折れてましたorz
ど田舎なので近くに短冊売ってる文房具屋はなく、がっくりです。 - やまねこ 08-05-07 (水) 0:13
-
神祭とは和合である。ですか。
神と自分が、とか世界と自分が一つであることを体感する。
とかでしょうか。
それってなんだか禅の悟りの状況のはなしに通じるような。。。
他人を受け入れるスペースのことですが、
これは通常の社会的関係においては、
かなり、しっかりとした自我のある方でないと出来ないことだと思います。
うっかりすると相手に入り込まれ、あちらのペースにされてしまいますし。
これは相手次第ということではないでしょうか。
村雲さんがそういった恐れを感じさせないことで、
向き合った方にスペースをつくる余裕を持たせているのかもしれませんよ。 - 管理人 08-05-07 (水) 4:37
-
夕月さん
「神殿の方から心地よい風が吹いてきて
とても清々しいいい気持ちになりました。」
・・・・これ、すごく分かります!!いつもどこかで受けてる風
なのに、神社ではなんであんなに神聖に感じるんでしょうね!
良きお参りでした~(笑)
短冊・・・・ペラペラの紙じゃないですよね??
もう一度、チャレンジされて見てください~
やまねこさん
神祭(和合)は人それぞれ感じる所や終わった後の感想も違います。
禅については全くの無知なので、すみませんよく分かりませんが、
もしかしたら通じるものもあるかも知れませんね。。。。
「相手に入り込まれ」という言葉が出てくる時点で少し自分の
言っているスペースと意味が違うかも知れませんね~・・・・
だって、入った方が「安心感」や「安らぎ」を感じる。。。。これが
スペースの最大の特徴ですから。 - 夕月 08-05-07 (水) 6:55
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ペラペラじゃないですよ縲怐B
色紙ですよ縲鰀(T_T)
嗚呼90円…。 - 雪龍 08-05-07 (水) 9:48
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村雲さんに十分過ぎるほどスペースを感じました。
何と申しますか、安心感。
まさにこれですね。
ちなみにそばもうどんも大好きです。
強いて言うならそばですかね。
ついでに言っちゃうとアイスも大好きです(笑)。 - 管理人 08-05-07 (水) 15:08
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夕月さん
すみません、笑ってしまいました~(笑)
まぁまぁ、次は3枚ほど一度に購入して、大切に、大切に、
持ち帰りましょう(笑)
雪龍さん
自分のはスペース・・・ではなく、単にゆるいだけです(苦笑)
アイスクリームはいいですね~風呂の中でアイスを食べ、
上がったらビール。。。夏が待ち遠しいです・・・・・・
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