- 2021-07-20 (火) 16:53
- 神様
14日の日、当事務所にお集まり頂きましたお二方、お疲れさまでした(´ー`)
気づいたら飛んでもなく、過ぎていた時間にちょっとビビりましたが・・・まぁ、結果は100円ショップ様、ありがとうございました!ってことで(;´∀`)
2人の話が聴けて本当に良かったと思ってます。
それが「正しい答え」「間違った答え」なんて、どうでも良いんです。
それが心から出た答えであれば。良い ”祈り” だったと思ってます。祈りです。それ以上でもなく、それ以下でもない、”祈り”。
そして、、、、大切なことは、それが継続される日常であれば、、、、とは、自分の単なる欲・・・と申しますか、『古くて、でも一周まわって新しい令和の神祭』の出発点となれば、それで良し!と考えております。
今日のこのブログの記事から読み始めてくれた方がいらっしゃれば、「なんのこっちゃ」。な内容ですが、今からの自分の神祭、そして今から新しく神様とご縁を結びたいと思われる方々の、心構えのスパイスになれば良いと思い、記させて頂きます m(_ _)m
「結局は感謝だろ?」
自分が知ってる神祭マスター(亡き師匠をはじめ、尊敬できる神事に関わる方々)は口を揃えて言います。
そして、神祭が終わる頃、もしくは終わった後、心は自然と「感謝」に傾いております。
「ぶっちゃけ、感謝、感謝、ってさ。なんか怪しい新興宗教みたいやない?感謝ぐらい、いっつもしてるって。感謝ではじまり、感謝で終わるならさ、そもそも神棚の前でやれる話やん?神祭なんて、時間とお金と労力費やしてやる必要ないやん。。。」
えぇ、えぇ、若い頃は本気でそう思っていた自分がいました(-_-;)
最近は子どもに対しても、コンビニの袋を受けとった時。
買い物をした時。食事のお店を出る時。
店員さんに、
「コラ。ちゃんと、”ありがとうございました” って今、言ったかい?」
「・・・ん?なんで言わないかんと??」
「なんで?・・・なんでって・・・・いい質問やね。だって、お前1人じゃ買い物できんやろ?作ってくれた人とか、売ってくれた人とか、計算して袋に入れてくれた人がいて、はじめて成り立つ話じゃない?だから、やっぱりそこは ”ありがとう” だとパパは思うよ。」
「う~ん、、、難しい。よくわからん。」
「・・・・そやね。とりあえず、”ありがとう” って言っとこうか。」
こんな感じの説明しか出来ないアホな親なんですが、それでも子どもは「ありがとう。」と見様見真似で・・・・「あ。バッタがおった。」ぐらいの軽いテンションで目的のモノだけ手につかんで走っていく。
まぁ、親としてはいつか解ってくれればいいか、とそれぐらいのん気に考えてはいるんですが、果たして理解してくれるのか。また理解できる経験をきちんと積める大人になれるのか、と少々心配しております。
それは自分も「神様」に対しても同じこと。
神様へ、「ありがとうございます。」とお伝えし、その存在を理解し、その存在を体感でき、幾度となく感動の涙さえ流した経験がある自分自身や仲間達が、いざ神祭が終わってなにをどう、自分自身の生活に落とし込んでいくのか。落とし込んでいけるのだろうか?
すっげー小難しい話をすれば、そもそも「神様」と呼ばれている存在は、『概念』ですからね。
『概念』は、姿を現さないし、言葉も発しない。
人はその、『概念』に対してああでもない、こうでもないと球を投げ、それは打ち返されることなく勝手にこちらが「キャッチ=解釈」するもの。または、「そうじゃないか?」とキャッチを想像するもの・・・その対象が「神様」であり、『概念』である訳です。
それが何のはずみか、ルール違反なのか、全世界には『神様』と名のつくものや、投げた想いの「レスポンス」があふれ返っております。
それが筆と紙という手段を使って、レスポンスが返ってくる。
レスポンスの中には、「ああして欲しい、こうして欲しい」との要望まで(-_-;)
ま~ここまでくれば、神様か悪魔様か、ご先祖様か、ご眷属様か、自分には理解できませんが・・・その言葉に涙し、安堵し勇気づけられ、ここまで続いてきた訳ですからねぇ・・・
キャッチボールも20年以上やってれば、どこからの返球かぐらいは体感でわかる。
もうこの際、手探りでもなんでも、後継ぎでも後継ぎでなくても、求めてても求められてなくても、一生を通してやったろうじゃねーか。だけの感覚です。
まぁ極端な話、好きか嫌いかだけの話なんですけどね(´ー`)
せっかく縁があったので、たいした一生ではないのですが最後まで貫き通してみようかと。
しかし、レスポンスの話は一旦横に置いといても。
人それぞれであっても、これほど「神様との距離」が近い民族も少ない気がしております。
短すぎて思わず「無宗教です」って答えてしまうぐらい。まぁ、神道が宗教になったのは細かい話、戦後になってからの話なんですけどね(^^;)
死との距離感が近い古代の日本にしても、日照りが続けば「雨乞いの祈り」を行い、神々様からの返事として雨を期待する。地鎮祭といって、土地を触る時は災いが起きないようにその土地の神様を和める祈りを捧げる。
(地鎮祭に関しては、持統天皇の御世に藤原京で行ったものが最古として日本書紀に記されている)
子どもを宿せば無事に生まれる様にと安産の祈りを行い、生れて100日経てば感謝のお礼とあわせて初宮として顔をみせ、3才5才7才の七五三へと続く。
神前式もそう。新しい生命が継がれればまた安産から。自分たちは、還暦から、喜寿・米寿・白寿へと続く。
みんな、少しでも良い結果を貰おうと必死な訳ですよ。
一番お手頃でお手軽なレスポンスは、「御御籤(おみくじ)」な訳ですよ(´ー`)
※ 最近、「神社のおみくじで高確率で大吉を引く方法」などというサイトを発見しまして、あやうく本気でコーヒー吹き出しそうになりましたが、、、食い入るように読んでしまいました(笑)最後はタロットの有料サイトに誘導されて、「ここまできて、最後タロットかい!せめて神様カードにしてくれ・・・」とつぶやきました。必要とされれば金になる。そんな時代です(-_-)
では、
「結果、自分たちの為なのに、球を投げるだけ投げて、後は結果を待つのみ。で良いのか?」
そこの神様との関係性が少々、希薄になっている自分に気づきます。。。。
これを須勢理姫様、スサノオ様の言葉で厳しく指摘されたような(-_-;)
実際、改めて読み直せば須勢理姫様のお言葉の方が優しかったですね、、、、
17日に執った筆は、スサノオ様からの言葉と祭の進行について天神様から頂いた筆書きが今、目の前にありますが・・・スサノオ様、ちょっと怒ってるかも・・・でも、本気でこの国を「変えたい」という気持ちは未熟ながら受け取りました。
この筆書きについてはまたいつか、違うブログに綴らせて頂きますm(_ _)m
3人の考えは違いましたが、まぁ少しでも重なる部分があれば良いのかな?と。
(3人がまったく同じであれば「和」には成りませんからね)
ーーー中略ーーーーー
旧暦で申せば7月の終わりからが真の大祓、真の夏(名)越し。くもった心を洗い清め流すがよかろう。天神
「神祭とは営みである。」3人で議論している時に、フト頭に思い浮かんだ言葉です。
解釈はそれぞれにお任せ致しますm(_ _)m
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コメント:4
- ちゅみ 21-07-20 (火) 23:06
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村雲さん、こんばんは。
おみくじって当たりますよね。18歳の時、当時お付き合いをしていた方と新年のお詣りに。その彼がまさかの大凶をお引きになりまして、彼はこんなの嫌だと、も一度引くも、まさかまさかの再びの大凶(; ̄O ̄)
お詣り後の記憶が思い出そうに全く思い出せないのでありますが、その後暫くして、本当に大凶の予言は大当たりを致しました。
その頃、今よりもっともっともっと不人情でありました私は「こんなんと一緒にいたらろくな事にならん!」と、すぐさまお別れを申し出まして、大凶のダメ押しを私が行うという・・m(_ _)m
てか、私の存在自体が大凶であったのやもしれませぬが・・^^;
14日、17日は21時よりわたくしも粛々と神棚に向かいまして神様に祈らせていただきました。
「神祭とは営みである」
常にそこに有り、繋がり、思い、願う。
村雲さんとのご縁をいただいて、我が家に神棚を設け神様をお祀りさせていただく様になって6年。
そこに居て下さり繋がりを感じる、そんな日々を送らせていただいております。
ありがとうございます(*^^*) - 27ちゃい 21-07-24 (土) 12:33
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全然関係無いですけど、この間コメントした事解決しそうです、村雲さんは忘れてると思いますがw(自分の中ではかなり、は?って感じだったんで)
そんで仏教の教えで、欲は2種類あってどうたらこうたら、、、てな感じで、、、(お察し下さい) - ひで 21-07-25 (日) 18:11
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いつもブログを読ませていただいてます。
簡単なようで難しい言葉、神様は概念、自分の解釈だと同類と勝手に思ってしまいましたがその辺がう〜ん、と読んでアホなので理解できない自分がいます。どんなもんですかね?ずっとそこから思考停止してます。 - 管理人 21-08-02 (月) 21:42
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ちゅみさん
こちらこそ、ご縁いただきましてありがとうございます(^-^) いつか龍笛の合奏、お願いいたします!
27ちゃいさん
無事に解決しましたか!よかったです~(^^)
ひでさん
こんばんはひでさん。コメントありがとうございます。「神様は概念」、いえば解釈は人それぞれである、、、という意味合いです。「同類」は「私たち(人間)と同類」とう意味であってますか?そういう意味であれば、「同類」とはかなりかけ離れているように自分は感じています(^-^)