- 2015-04-19 (日) 12:46
- 霊能者
つづき。
守護霊様(ご先祖様)を語る上では、現実に自分たちとの関わりが深い存在なだけに、”祈り” と ”供養” ははずせない話です。
ジョジョなら、ジョースター家の血統&Dioとの因果関係と各スタンドの特徴。
NATUTOなら、それぞれの里の区別と各人物のエピソード。
ドラゴンボールなら、「悟空」と「悟飯」と「悟天」
・・・・・これぐらいは別けて認識しておかないとややこしくなる(笑)
さて、”祈り”については・・・・・・
祈りとは、「目的」であって、「祈る手段」 はたくさんあるということ。
基礎の心ができれば、次は目的と手段(形)についてです!
「祈りの目的」
これは一概には言えません。
・・・・・が!
ここに、「供養」という言葉がミックスされると・・・・・・
目的はただ、一つっ!
(ごめん、「一つ」じゃないです、言いたかっただけですっ!)
それは、、、、、
・ご先祖様を喜ばせる
・ご先祖様を慰める
さらに、そこに「自分」をミックスさせて、深めていって・・・・・・・
・今までのご先祖様との一体になる
(同一になる・合体する)
最終的に、「ご先祖様の力をお借りする」、そして「ご先祖様と共に生きる」。
これが、管理人がよくブログに書いている 『二人三脚』 という結果になります。
日本で最高の祭祀王の地位にある天皇陛下だって、年に一回は天神地祇に感謝しつつ天照さまと同体になられ(それが新嘗祭)、ご神威を身につける。(ちなみに天照さまは、天皇家の氏神様、ご先祖様に当たる方です!)
一生に一回は天照さまと同体になられ、ご神威を身につける。(天皇の位について、初めての新嘗祭が大嘗祭!)
・・・・・神様と一体になって、怖くないの?敬いの心は?神様は畏れないといけない存在なんでしょ・・・・・・??
そうなんですよ。認識の上ではそれが正しい。
でも、時々TVに映る天皇陛下のお姿をみられてくださいよ。。。。。
あのにこやかで笑みを絶やさず、常に深い慈愛の心を忘れない。
・・・・・神様と同体・合一になっても、全然、怖いことはありませんよね~それぐらい、日本の神様は平和を愛し、慈愛の心を忘れない。むしろ、それが神々様の目的と言い換えられるのではないでしょうか(笑)(「日本の祭りと天皇家」)
新嘗祭や大嘗祭によって、神様と共に生きる覚悟をもつ。
不退転の生き様を決意する。
新嘗祭や大嘗祭は、その為の確認であり、儀式(祭事)である・・・・・と管理には考えたりしてます。
ってもですね~自分たちは天皇陛下ではございません(笑)
確かに、自分たちは日本民族である以上、その定義は神様の子ですが(日本民族の宗教観は、”神々が人を生んだ”、他の宗教では”神々が人を創った”になっている)だからといって、毎回毎回、神様と同体になる必要はない・・・・・・ってか、実はその確認はやっているんですよね、毎日。
それが一日三回、ご飯を食べる前の 「いただきます!」
食べた後の 「ご馳走様でした!」
・・・・・・これ、実はなにを頂いているのかと申しますと、ずばり 「神様そのもの」 をいただいているのです。。。。八百万の神々様はすべてのモノに宿っている。お米・肉・ピーマン・卵・管理人の苦手な人参にも・・・・・・・・・・。
で、神様を食べ終わって、神気を取り入れ、それを元気と換えて生きるので、どんな食事もだされたあと、食べ終わったあとは 「ご馳走様でした。」 ・・・・・・これが意識せずに幼稚園児から教えられている、生活に神道が浸透しているのが日本人。
だから、食事の前に手を合わせるのも、
「神様と同体になる、食事前の大切な儀式」
食事そのものが、大切な祭祀なんですよね~
前にも何度かお話しましたが、食事の前に手を洗う。朝起きて顔を洗う。寝る前にお風呂に入る・・・・・・これも、神道の、神様にお会いする前の祓えや清め、『潔斎』 と呼ばれるものです(笑)
さて、ここまで書けばもうお気づきの方もいらっしゃるとは思いますが・・・・・・。
神道では亡くなられたご先祖様も、神様。
「氏神様」
として祀ってあります。(仏壇は、「祖霊舎」。位牌は、「霊璽」)
別に皆さん、、、、、いや、ここだけの話ですが・・・(汗)
仏壇に手を合わせるのは、別にその宗派に深く帰依しているから・・・・・・という方のほうが珍しいと思いませんか?
その本質は、自分自身より上の、”亡きご先祖様” を懐かしみ、偲び、愛し、慈しみ、少しでもあの世で楽をして欲しい、より豊かになって欲しいと願う心・・・・・・
この、自分のことをさておき、自分以外の相手のことを考え、心を時間を使って亡き方々の幸せを祈る行為。この、無意識に行う・行おうとする行為には、
前々回の記事で書かせていただいた、
「自分の為に祈る」「ご先祖様と同体になる」
という行為が自動的に入っている訳です。霊界でご飯を食べている方々(霊能者の方々、特に神道系の方たち)は、これぐらいまではおさえておいて欲しい。
いよいよクライマックスになって参りましたが・・・・・・・
次は、
・「守護霊様(ご先祖様)と一体になる意義について」
・「祈りの手段とその方法」
・「守護霊様と仲良くなるには」
・「守護霊様について管理人が思うこと」
の順番でアップしていきますね~
これ、決めておかないと話がバラバラに飛んで永遠に終わりそうにないので(爆)
つづく。
- 次の記事: 守護霊様とは ⑥ 守護霊様(ご先祖様)と一体になる意義について
- 前の記事: 守護霊様とは ④ 勘違いされた”祈り”
コメント:15
- エビフライ 15-04-19 (日) 13:26
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『いただきます。』とは、ご飯を作ってくれた人に対しての労いの言葉だと、完全に思っていました。
神様そのものを頂いているという意識が、私には無かったです…反省。そして、管理人さんの人参嫌いが意外です!ちびっこのセリフじゃないですか〜。
栄養があるから、細かく刻んで、ハンバーグとカレーに混ぜてもらってくださいね! - 管理人 15-04-19 (日) 18:17
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エビフライさん
今はその意義の方が強いですね、、、、後付けですけど、これも間違ってはいないかな(笑)人参でしょ~好んでは食べないんですが、ちゃんと食べてますよ!一応、大人なんで・・・・・・苦手なだけです!(爆) - ブーシュカ 15-04-19 (日) 20:22
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いただきます、は食材となった命への感謝、ご馳走様は、それらが食卓に上るまでに携わった多くの方々への感謝ですと子供が通う学校だったかどこだったかで、聞きました。
- 龍蔵 15-04-20 (月) 1:17
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リンク先間違えたかと笑
ここでNARUTOの文字見かける日が来るとは思わず驚きました・・・
いつか漫画の感想を読んでみたいです!
ラインナップの中では「守護霊様について管理人が思うこと」を読むのが楽しみです - ちゅみ 15-04-20 (月) 9:06
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おはようございます(^^)
「いただきます」と言えば、私が幼稚園生の時、どこの幼稚園でもそうでしょうが、昼食前に必ず全員で手を合わせて声を合わせて「いただきまぁす」と言っていました。
がぁ、私は未だに分からない事がありまして・・
それは、いただきますの時、両手を前で合わせるのでは無く、合わせた手をほっぺたの横に持って行って首をそちらに傾けて・・・なんだか、ねむねむ〜って感じだったんです。
私はそれが幼心に「おかしんでねっ?」と思っていて、一人だけ前で手を合わせていました ^^;
その時の気持ちも鮮明に覚えていて、その時のワンショットもアルバムに貼られていますが、この頃から見た目はおとなし目、中身は頑固者 ^^; 一人でも信じた道を真っしぐら ^^;
変わらないなぁ ^^;
その作法に何か意味があったのでしょうか?
行っていた幼稚園は浄土真宗の幼稚園でした。大人になって我が家が浄土真宗だとわかりましたが。
もう何十年も前の事ですが、思い出す度に「ふかぁ〜い意味が有ったのかもしれないのに・・私は〜・・」と・・
写真を見る度にその頑固面に呆れています (≧∇≦) - 管理人 15-04-20 (月) 18:45
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ブーシュカさん
自分も神職の学校に行くまで、そう信じてました。でも、それも間違ってはいないと思いますけどね。とにかく宗教(特に神道)は、神話もふくめて一般の小学校で習うのはNGのはずですよ。。。。。
龍蔵さん
NARUTOはアニメで観てました(笑)スサノオとか無限月読とか、あの辺りは熱かったんですけどねぇ、、、、、間が伸びすぎました・・・・・
ちゅみさん
幼稚園によって教え方が違うだけなような、、、、、習慣にさせるのが幼稚園の目的の一つですもんね。「その作法に何か意味があったのでしょうか?」・・・・自分は知りませんが、神道での正式な 『いただきます』 の挨拶は、「礼手(らいしゅ)」と申しまして、一礼後、一拍手のみ。手は合わせません。 - ちゅみ 15-04-20 (月) 19:37
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村雲さんへ
そうですね。
習慣にさせるという目的なら形はいろいろで良いんですものね(^^)
あっは〜(≧∇≦)やっぱり子供の頃からあたまかたいなぁ、私 ^^;
神道の「いただきます」は一礼後一拍手のみで手を合わせないんですねぇ。
そういう「いただきます」の作法があるのを知りませんでした。
一般的な「いただきます」は仏様に手を合わせる方に近いのかしらん。 - 管理人 15-04-20 (月) 19:54
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ちゅみさん
リアルタイムでこんばんは(笑)「一般的な「いただきます」は仏様に手を合わせる方に近いのかしらん。」・・・ネットでみた限りでは、鵜呑みにはできませんが浄土真宗が関係しているようですね。 - ちゅみ 15-04-20 (月) 20:10
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あっは〜(^^)
リアルタイムでまさしくこんばんはですぅ
(≧∇≦)
そうなんですか・・「いただきます」もいろんな方向に深いんですね。
もうちょっと心を込め直さないといけないですね。
毎日何回も言ってると心を込めて「いただきます」って一月に一回も言ってなかったかもしれません。
見直すきっかけになりました。
ありがとうございます(*^^*) - 桃龍 15-04-20 (月) 20:11
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こんばんは。
村雲さ~ん、何度か携帯(ガラケー)からコメント送信したんですけど、あがってません(;_;)
なぜでしょう?
今は家からパソコンで打ち込んでます。
コメントは、
私は「いのち」をいただくから感謝を込めて「いただきます」だと思ってました。
あと、数年前に「ガラスの仮面」を読んでて、「そっかぁ。この世は神様が作られたものだから、そのすべてに神さまの愛や想いが込められているんだ。神さまご自身なんだ」って気づいて、素直に感謝と愛情を抱いたことを思い出しました。
村雲さん、ありがとうございます。
という内容でした~。 - 煌瀧 15-04-20 (月) 20:28
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たなつもの 百の草木もあまてらす 日の大神のめぐみこそ~。
浄土真宗がからんでるかはわからないけど、
手を合わせることから宗教の押し付けだとか言って、いただきますと言わせることに反対してる人もいるようやね。
てか、仏教、本来、不殺生やから命というより、ねぎらいの意味かな。
命をというのは日本らしいね。
でも、いただきますと言うのが庶民に浸透したのは、昭和初期の学校教育からだとか。
たぶん、むかしは、神棚への供物を供えるとかの行為に、その思いをこめてたのかなぁなんて思うおいらでした。 - 煌瀧 15-04-20 (月) 21:30
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あっ、百の草木やなくて、百の木草やった。
- ブーシュカ 15-04-21 (火) 2:33
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煌瀧さん、面白いですねー、それ!学校がいただきますのはじまりなんですかー。なんだか親の思いへのいただきますに思えてしまいました。
- 煌瀧 15-04-21 (火) 11:14
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ブーシュカさん、いただきますという言葉自体は江戸時代ぐらいからとかいわれてるけど、
そもそも昔は集団や家族で一斉に食事する機会も少なく、家族で一斉に食事をしだしたのはちゃぶ台とかが普及してからやないかな。
で、ちゃぶ台が普及してから、食事の場が、躾の場になり、正座や、肘とか厳しく躾るようになる。
よく、言われてるのは、家庭とは別に学校で、食事の前に、箸取らば、天地御代の御恵み、君や親の御恩あぢわえ。いただきます。と言わせる教育をし、その教育をうけた世代が、家庭で躾として、同様にしたことにより、いただきますということが一般化した。といわれてますね。ま~諸説あるんですけど、元々、日本人が持っている感覚や価値観に合ってたから普及し、衰退することがなかったんやないかな? - 管理人 15-04-21 (火) 13:34
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ちゅみさん
習慣化しちゃうと、意味合いが薄れちゃいますもんね・・・・・・これ、自分も反省。。。。。
桃龍さん
こんにちは桃龍さん。ん?ん?こっちにもコメントは来てませんでしたよ~なんでだろ・・・???
煌瀧さん
「あさよいに ものくうごとに 豊受の 神の恵みを 想え世の人~」・・・・な、懐かしい!(爆)面白いもので、神道の祭式では上位・下位が決まっているのはご存知の通りですが、「モノ」に対しては礼や揖はしない(基本的には、頭をさげるのは神様に対してのみ行う行為)・・・・・ところが、献饌・撤饌をする際の、「供物」に対しては礼や揖を行う・・・・・・供物(食べ物)そのものが神様として扱われているんですよね~