つづき。
神棚の榊の水や塩・お米を換えて、「天津祝詞」。
ウチはもともと、浄土真宗なので、水を換えて、「仏説阿弥陀経」。
・・・・仏説阿弥陀経は長いので、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」を唱える。
でも、幼い時は”宗教”ってものもわからず、親も「仏説阿弥陀経」の存在自体を知らなかったので!(爆)とりあえず、子供心に 「般若心経」。
・・・・なんのこっちゃい。だいたい、何を挙げればいいんかい?
何でもいいんですよ、実は。結局、”祈り” とは視えない世界とつながる・・・・・『一体』 となる、ひとつの儀式。毎日の中に浸透された、「プチ儀式」なのですから。
ただ、前回でもお話したように
『生きている自分たちや未来のため』
祈りもそうだけど、みんな幸せになりたい為に祈るんでしょ?
ご先祖様に喜んでもらえたら、自分たちも嬉しいでしょ?
嬉しくなるのは、やっぱり自分たちの心の余裕や豊かさのためでしょ??
・・・・・そう、”祈り” はこれを徹底的に確認しておかないと、本来の祈りから遠ざかってしまう。ここはしっかり押さえておいて欲しいところ。
「なんで、わざわざ確認しておかないといけないの?」
・・・・・なぜなら、ここからはじめて”本当の意味”での 『謙虚さ』 が生まれてくるから。
その 『謙虚さ』 を失わないためにも、『感謝する』 という言葉に変換している、上手にオブラードに包んでいるのが、”祈り”ってものです。
そもそも、昔の方は「幸せ」や「物質的な豊かさ」を求める前に、「生死をわける命がけ」の毎日を送っていた訳ですからね、そこに祈りや信仰をもってきて、それこそまさに「命がけ」。
・・・・・別に、今の祈りが悪いとか、昔の祈りが良いとかという話ではなく・・・・・
これも時代の流れってものかも知れません。
ただ、今の人たちに勘違いして欲しくないのは、時々こんな方もいらっしゃいます。
「村雲さん!わたしなんかいつも祈りは”世界平和”を願っているんです!私欲なんて一切、入ってませんよ!」
・・・・って、管理人がもっとも苦手としている、違和感を覚える人たち(苦笑)
世界平和も大切ですし、皆が豊かになれば、それはそれでありがたい。
でもね、それを祈るのなら、まずその人そのものが豊かにならないと意味が少ない。祈りそのものは目的は自由ですが、これが「供養」となれば少し話が変わってきます。
もうすべてが満たされた方やら、これ以上のない感謝をもって、これ以上にない人生を満喫された方。あの世にいく寸前のご高齢の方がそれをおっしゃるのなら、納得がいくしそれはそれで頭が下がる思いですよ、本当に。
でも実際は、世界平和も日本の平和も、地域の平和もそうですが、それも結局、自分のためや自分の子孫のため。もしくは、自分との関わりのある方々の為、その子孫のため・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・=「自分のため」。。。。ではないのかな?
(いや、それで良いんですよ本当は。むしろ、そうあるべき)
だったら胸をはって、正々堂々と、
「人様になんと言われようが、自分は自己満足の為に祈っております。」
って言える人間の方が、自分は信頼できます(笑)
目的(真の豊かさ)を忘れて、手段(祈り)そのものが目的(祈ること)になっている場合はそれでもいい。
若い人が自分の人生に行き当たり、途中で自分自身の自己矛盾をみて見ないフリをする為の祈りなら、それはそれで冷たいようですが本人の自由です。
でも今回のテーマは、守護霊様に関しての「祈り&供養」です。
”供養”となれば少し違うようです。
あの人を想う気持ちを形に変えたい。
あの人にプレゼントをしたい。
あの人が喜んでくれたら、自分ももっと嬉しい。
これが、
「ひょっとしたら喜んでくれてないかも?」
「もっと効果的に、効率的に喜んでもらう方法は?」
「どういったものを、どういう形で渡せばいいの?」
と、しっかり考えるのは当たり前で大切なことなのですが・・・・・こちらばかり考えだした時から、”祈り” はおかしな方向にいってしまっている気がします。
中には、
「ほら、喜んでくださいよ~」
とか、
「私がこれをやったら、あなたが喜んでくれるんでしょ?」
・・・・・ここまでなっちゃっている人がたくさんいる。。。。そもそも、これを”祈り”だとか”供養とはこういうものです” とか、教えている人がたくさんいる。
これが 「ギブ&テイク」 の”祈り” であり、ご先祖様に対する”供養”になっていると、、、、、『勘違い』しているのが、現代の祈りであり供養であると考えております・・・・・・・・。
「ギブ&テイク」、「私がこうするから、あなたはこうなる」「私がこうしないから、あなたはこうならない」・・・・という考え方。求める結果は同じ、やる行為は同じとしても、ここをしっかり自覚していないと、「祈り」や「供養」とは独りよがりになりやすい行為であって・・・・・・・
「おかしいなぁ~自分はしっかり祈ってますよ?」
と言いながら、後ろのご先祖様方々は泣いているケースのほとんどがこれです。
ある高名な霊能者とお話をさせてもらった時に、
「だってね、みんな自分に必死で ”開運” やら ”現世のご利益” しか頭にないから、理解するのは難しいと思う。」
ある政治家の人とお話をさせてもらった時に、
「だってね、みんな生活に必死で ”パフォーマンス” や ”お金” しか頭に残らないんですから、その程度なんですよ。」
・・・・・悔しい・・・悔しいけど、それも一理ある。
でもみんな、霊能者や政治家である前に一人の人間でしょ?鑑定を受ける人も、一票を投じて自分たちの代表を決める人も、一人の人間でしょ?
・・・・・だったら、話をしてわからない訳じゃない。
(ちなみに先週の日曜日にあった、福岡知事選の投票率は38.85%、せめて50%はいきましょうよ・・・・・・)
話は変わりますが、もうすぐ「母の日」ですね。
現金を渡した方が喜ぶ母親もいれば、やっぱりベタだけど定番のカーネイションかな?それとも、渡すお金・花を買うお金がない人は感謝の気持ちを手紙にでも書くか・・・・・。
自分は手紙と一輪の花を今年は渡す予定ですが(母親に手紙とか小学校以来!!)
・・・・・自分がドキドキしながら買い物をする、一言手紙を書く、渡す姿を想像する、、、、また受け取った母やその後を想像するのは、いろいろと楽しいものです。
その時に、自分の気持ちが通じて、母親の気持ちと「一体・同体」になれば、それが一番、良い。手紙も、長文もあればたった一言をメモ紙に書いて添えるだけでもいいかも知れない。母を喜ばせるのに、「こうしないといけない。」というルールはない。
これが、まずは
「母親が何を喜ぶかを考える」
であり、その目的は
「自分のための行為」
であり、
「心が形となってあらわれる」
という行動を起こす。
願う結果は
「母が喜んでくれて、自分もなおかつ嬉しい」。
結果として、これが最高の”祈り”(何が目的・求める結果なのか、何が喜ぶのか、喜んだ姿を想像すること)であり、儀式(買い物をする・手紙を書く)であり、一体となる(供養となる)意味合いだと考えております。
自分はよく、相談者の方に
「お墓参りに行こう!と考えた時から供養はもうすでに始まっているんですよ~」
と説明しますが、「母の日」を参考にしてみれば分かりやすいでしょうか。
つづく。
- 次の記事: 守護霊様とは ⑤ さまざまな”祈り”の目的
- 前の記事: 守護霊様とは ③ ”祈り”のプロフェッショナル集団、日本民族!
コメント:4
- ちゅみ 15-04-17 (金) 23:34
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こんばんは〜。
想いが、とんでも無くトンチンカンな方向へドスドス歩いてはなかったようで、ホッとしました (^^)
だいぶん理解できて、染み込んでも来ましたし(*^^*)
母の日・・
誕生日は毎年お祝いさせてもらっていましたが、母の日はいろんな事にかまけてしなくなっていました・・
残念ながら二人の母はもうこの世にはいませんか、今年の母の日は赤いカーネーションと、二人ともあんこがびっしり詰まったお饅頭が大好きだったので、それぞれのお仏壇にお供えさせてもらう事にします(*^^*)
感謝の気持ちを込めて。 - 舞 15-04-18 (土) 1:44
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間違った祈りをしてました。
『今日も無事過ごす事が出来ました。ありがとうございます。そして趣味のダンスのレッスンを受けたり 練習出来る環境と健康な体に感謝します。』と、祈っていました。祈りと言うより 自分へ『全て当たり前では ないのです。感謝しなさい!!!』と、言い聞かせていました。
そして窮地に立った時は『乗り越えられるよう 力を貸して下さい』
何事もなく平穏無事な時は『毎日 幸せですから 安心して下さい』と、祈っていました。
今日から祈りの気持ちを考え直さないと いけないですね。ちょっと難しいです。(汗) - 花凛 15-04-18 (土) 18:13
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本日の記事は、まさしく、私が思っていた事。考えていた事。そして今、仕事で実践し伝えている事です。でも自分では「そんなニュアンス」の事にとどまっていましたが、明確になりました。有難う御座います。
- 管理人 15-04-20 (月) 18:48
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ちゅみさん
そうそう、まずは何でもやってみることです(笑)きっとあの世からみて、喜ばれるに違いありません!
舞さん
「祈り方」そのものは間違っておりませんよ~ただ、祈りの根底にある意義を理解してくだされば、、、、、あとはオリジナルで構わないと思います。
花凛さん
いえいえ、参考にしていただければありがたいです。