- 2011-10-10 (月) 0:10
- その他
お天道様はみている。すごく解り易くて好きな表現の一つです。
時々考えること。美徳や道徳というものについて。
「今の若い人は・・・なんたらかんたら・・・・・」 と話を聞くと、半分苦笑いをしながらでは自分はどうなんだろうと考える。まぁすでに若くはないんですけどね。
そりゃぁ、教えて貰ってない事を「見て学ぶ」ってすごく難しいと思います。
特別にその家ならではの道徳を教えていない環境で育てられているのなら尚更の事でしょうし、では家庭の中でそれをしっかり教えているかと言われれば
『う~ん・・・・・』
と唸る親なら尚更の事でしょう。子供もそうですが、特に大人になると誰も本気で叱ってくれず、学びたいという気も失せてくる。心の成長が止まるんですね。
親は親で目の前の事や子供の将来が心配なのは良く解ります・・・・・・昔のお母さん達、自分の母親や友達のお母さん達と違って特に一番、「おおらかさ」が少し足りない気がしますね。
何と言うか、子供が忘れ物をしないように。
また学校の成績はクラスで何番目なのか。
クラスで苛められてないかや受験する高校・大学は?
なんて、ことは必死になって一緒に悩んで考えているのに・・・・・・
子供にどんな友達がいて。
どんな会話をして。
どんな場所が好きで。
どんな音楽を聞いているのか。
を知らない親が多い。
知ろうとしてないのか、最初から興味がないのか、自分の想いだけでいっぱいいっぱいになってそれどころじゃないのか・・・・・それは定かではありませんけどね。
「知ろうとしない、興味がない」のは論外。そういう人に限って、「わたしだって、一生懸命やってます!」と金切り声を出しやすいのですが(汗)今は、「わたし」の話ではなく、「子ども」の話をしてるんじゃないの?・・・・・・って思ってしまう。
昔の母達の方が肝が据わって、良いも悪いも度胸があったような気がします。
良いも悪いも含めて、すべてめちゃくちゃでしたもんね(苦笑)
自分の母親も点数をつけるのなら、お母さんのクラスがあるとすると決して良い成績ではなく、後ろから数えた方が早そうですが(苦笑)
・・・・何と言うか、時々暴走しながらも、必死に母親をやってくれて何とか自分自身も向上しよう、頑張ろうという後ろ姿でたくさん学ばせて貰ったような気がします。
子どもはね、子どもなりにいろんなものをみているんですよね(笑)
子供は純粋ですから、まずは父母の背中をみて育とうとします。
内心のプライドが高くて自分の欠点を出せず、その言い訳に仕事や疲れを持ちだし身勝手さを強引に貫こうとするお父さんの姿。
学ぶ場所がTVやニュース、ママさん仲間の真偽を交えた話ししかなく、情報だけで肥大化した自分の自意識を満たす為に神様やスピリチュアルを前面に押し出すお母さんの姿。
誰をとっても、理屈だけは三人前なんですよね、これが(苦笑)
話だけを聞くと筋が通ってて正しいという、恐ろしい”間違い”。
男性が屁理屈を言いだしたら自分の都合が良いようにすべてを解釈して、強引に帳尻を合わせるのは女性より得意だろうし、女性は感情に走って自分の自我を貫けば多分、男性より信念が強いと思う。
またその反対に女性化する男性、男性化する女性。
その中で、黙ってジーッと観察して学習して育つ訳ですね、子供達は。
自分は神道人なので神道を良く持ち上げたり、他の宗教よりも贔屓にしてしまうのは悪い癖だと自覚はしているんですが・・・・・(笑)
まぁ何と言うか昔の方達は良い意味で先を必要以上に考えず、今を精いっぱい必死に生きて必死に働く。目に視えないものに対して、形にこだわらず心から感謝をする。一生懸命に働くこと。他人にも自分にも嘘をつかない・・・・・・
・・・・・・「お天道様がみてござっしゃる。」
今の自分たちがここまでこれたのは、これらを美徳とする日本人特有の宗教観があってこと成り立った話だと思います。神道が好きだからすべてを神道に結びつける訳ではなく、今までを積み上げて来たものや、今自分たちが失ったものが全て神道の中に集約されるから、神道を大事にしています。
話は変わりますが、よく相談の中で家族に嘘ばかりつくおじいちゃんや、お金を外にしか使わないおばあちゃん。
または、とっても頑固で人の言う事を一切聞かずに自分が一番正しいと信じて疑わない祖父や祖母さんの話を伺うと・・・・
確かにご家族の方は
「もう勘弁してくれ!」
「・・・あそこさえ、直してくれれば。」
という気持ちは良く解るんですけどね(笑)
・・・・・絶対に、相談者の前では言えないけど、なぜか微笑ましい・・・・というか、
「あぁ、この人達が自分達の人生を貫いて、今までの歴史を作って来てくれたんだね~」
とかなり勝手な感銘を受けてしまいます。
まぁご家族の方々にとってはたまったもんじゃないでしょうけど(笑)
自分は本が好きな人間なので、一度でいいからその人達の生まれてから死ぬまでの、今までのその人の生涯を客観的な視野から本にしたものがあったら、ぜひ読ませて貰いたいなぁ~と考えてしまう。
特に自分の両親や祖父母やその上の代ぐらいまでは読んでみたいですね。まぁ歴史にも残らないから、それがまた良かったりするんでしょうが。これだけは、それが出来る神様を羨ましいと感じたりします。
自分より少し上や、同世代のお父さんお母さんがこのブログを読んでくれてたら。
「あ~私はダメだぁ~・・・・・・・・・」
とは思わないで欲しいです。
ダメな場所を上げだしたら人間、きりがないし(笑)なにもやっても完璧にこなせる親を子供は求めている訳じゃない。
ただ一生懸命働いて、口には出さずとも視えないもの(これは神様に限らず、すべての目には視えないものへですね)に心から感謝して、自分や他人に嘘をつかない。そんな人間でありたいと思う心に、幾つになってもそうなろうとする姿勢。
職場でも友達関係でも他人がどんな人生を送ろうが、正直あなたにはさほど重要ではありません。
誰が見てなくても、誰も褒めてくれなくても 『お天道様はみてござっしゃる。』それだけでいいと思うんです。
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コメント:14
- 尭 11-10-10 (月) 1:01
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「お天道様が観ていらっしゃる。」と言う言葉を久しぶりに聞きました。
ほんと、この言葉を肝に命じると身が引き締まる思いがします。
古の日本人の皆さんは、現代人よりも、人生を如何に生きるかという『生き方』をよく分かっていた方々なのだと感じます。
見倣いたいものです。 - 吉祥 11-10-10 (月) 2:20
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「お天道さま」素敵な言葉ですね。
「お天道さま」がわかってくださればそれでいい。
神さま仏さまは心の内まで見通しておられますからいつでもシースルーマイハート(なんじゃそりゃ?)なのですね。
私生活ではダメダメな私ですが(…だから「ダメって云うな」…ですね。スミマセン言葉のあやです。)「至誠に悖るなかりしか」を座右の銘にしています。
自分にとっての「精一杯」…120%@全力疾走…それ以上はムリなんですが「精一杯」のハードルを勝手に下げないようにいつも自分に問いかけています。
モチロン神さま・仏さまへの感謝は当然のこと。
人間は自分に対してどこまで誠実になれるか…あぁ〜〜〜でもそれがいちばん難しい!!
が…がんばります!! - 高野山の僧侶 11-10-10 (月) 8:49
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すべてお見通しなんですね
そう思いながら生きていく素晴らしい行き方ができますね - k・T 11-10-10 (月) 9:41
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亡くなった両親がこの言葉をよく言っていました。
人にいやなことをされてもしてはいけないとも。
自分が真面目に一生懸命に生きてくこと。そして感謝を忘れないこと。大切なことですね。改めて心がけます。
村雲様とお会いして私も少しづつですが頑張っています。
先日はコメント欄に質問して申し訳ありませんでした。
これからもブログを楽しみにしています。 - 管理人 11-10-10 (月) 11:34
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尭さん
人生をいかに生きるか、、、、そうですよね~自分達は手に余る便利さが多くなった分、相応の生き方を忘れてしまったんでしょう、きっと。その為、鬱病や引きこもりなど適応できない病気も多くなってきた気がします・・・・・
吉祥さん
精一杯のハードル。これさえ心にあればそれでいいと思いますよ(笑)自分もついつい、力を抜いてしまうタイプなので見習いたいものです・・・・
高野山の僧侶さん
そうですね。それでいてやさしく見守って下さる。神仏とは、信じようが信じまいが自分達の根底にあって支えてくれてるもの。その存在をそう呼ぶかも知れません。
k・Tさん
うぉ~~~~すみません、うっかり飛ばしておりました(汗)たまにありますので、気づいたらまたコメントで教えて下さい!自分なりの見解をお返事させて貰ってますよ。 - ブンキチ 11-10-10 (月) 12:29
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ブログ再開おめでとうございます!また楽しみが一つ増えました(笑)
「お天道様がみとんしゃあよ」 子供の頃親によく言われた言葉です。
あと、「警察のお世話になることはしたらいかん」ともよく言われましたね~。
けれど「勉強しなさい」はほとんど(全く?)言われたことがなかった気がします(笑)
「お天道様はみている」…当たり前のように心の中にある言葉でしたが、今は子供に教えないのかな?
だとしたらもったいないですね、伝えていきたい言葉です。 - 鳩 11-10-10 (月) 18:22
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・・・・・・「お天道様がみてござっしゃる。」
見てない、ばれてない、と思っているのか。
お天道様の存在が解らないのか、知らないのか。
見られても、自分が不利益にならない、罰もない。と思っているのか。
そんな事は無いのである。
・・・・と思っていますw - ふしみ 11-10-10 (月) 19:46
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なんてタイムリーな記事…!
「お天道様がみてござっしゃる。」
いつもそう思ってやってたけど、神様にだけ認められる事を考えるのって周りの人の事を無視しているんじゃないか、(出来る範囲で)周囲の人との理解を深めたり、うまくやってく事も考えて妥協しなきゃいけない事もあるんじゃないか、そんな風に悩んでいたところでした。
だから、なんだかほっとしました。
やっぱりね、周りの人の気持ちを考えたり、思いやりは持とうという気持ちは大事にしようと思うけど、それでも自分には信念があって、神様やご先祖様、家族に守って貰って今生きているから、神様に見ていただいているんだって気持ちで、真っすぐ生きていきたいと思います。
うーん、なんだか荷が下りた。
嬉しい。
ありがとうございます、村雲さん。 - のん 11-10-10 (月) 22:48
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悪い行いも善い行いも、お天道様が見て下さっている。
ついつい、周りに認めて貰いたくて、自分の行いをアピールしたり、人が見てないからゴミ拾うの止めとこうとか、自分の行動の判断基準がとてもセコいと気づいてしまいました。
自分の心の中の神様に恥じない行いをしなければ…。
我が家では、息子に私は人生の反面教師だわよ!って言ってます。
親が子より偉いなんて限らないですもんね。
子がいるから親になれるんだし、もしかしたら魂のレベルは子の方が上かも知れないですもんね~。
親の方が年くってるから経験は豊富でも、魂の経験値は子の方が上かも知れません。
たまに、会話の中でハッとさせられる時があります。
子供に親にして貰ってるんですね。
話は変わりますが、渋川春海の漫画は「天地明察」というタイトルで、管理人さんが好きな「ギンコさん」が出てくる漫画の出版社からでています。 - 金シャチ 11-10-10 (月) 22:50
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私も亡くなった母によく言われました。
『お天道様が見てござるよ…』と、もう一つ
『天 知る・地 知る・我も 知る』
誰にも知られて無いだろうと思っていても
『天・地・我』の三者は必ず知っている…
今思えば、深い言葉です。
『自分に恥じないように』との意味もあるでしょうね。
うーーん難しい - kabosu 11-10-11 (火) 1:02
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お姑さんが・・
またもやタイムリーな今回のお話でした(泣)。
育った時代、、、それも人を創る大きな要因だと思います。
教師をしている友人が姑に言いました
「お義母様のお母様は明治の方でしょう?明治の方に育てられた人と今の平成の人の考え方が違っても仕方ないです」
お天道様も含めて神様が私達に求めていらっしゃる事は昔も今も変わらないはずなんですけど、、、。
昔の人も今の人もお天道様に顔向け出来ないような生き方をしてはいけないという考え方も変わってないはずなんですけど、、、、。
答えは今回の内容の中にしっかりあったんですけど、、。
お姑さんがこれを読めないのが残念無念(トホホ)。 - みさき 11-10-11 (火) 9:15
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鼻水は治りましたか?私の周りの人は、風邪ひきさんばかりです。ひどくならないようにして下さいね。
お天道様のお話。。。今の私には深くて深くて深くて深くて(4回も!苦笑)意味のあるお話でした。生き方もそう、親や夫婦としての生き方もそう。。あとその他全部も。私が子供の頃は、今の私の年の大人はとても大きく見えたけれど、私は全然です。(泣)
本当に今は迷い道にいるようで辛い時もあるけれど、誰が何ではなく、ただがむしゃらに無心に頑張れるようになりたい!です。心の成長も求めながら。。 - サリー 11-10-11 (火) 15:03
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大きな一歩
おめでとうございます!
お天道様にも
自分自身にも
見られて
恥ずかしくない
自分になれるよう
頑張ります(笑) - 神威 11-10-11 (火) 22:21
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「お天道様」と聞いて、曾祖母の事を思い出しました。
曾祖母はいつも、斜め上を見ながら誰かと話をしていました。
子供だった私は、「誰としゃべってるとぉ?」と聞くと、
「神様としゃべってるとよ」との答えに、純粋だった(?)私は「へぇ~そうやっちゃぁ、神様って本当にいるんだぁ」と素直に思ったものでした。
実際、神様と話していたみたいですけどね。