霊能者のつぶやきトップ > 人間関係 | 教訓 > 「癖」の改善

「癖」の改善

自分自身が振り返って、

「自分のここを、こうしてみたいな。」

を誰からかのヒントや助言で気づいた時、または自身で思いついて遊び半分でコツコツとやってみて、

「自分の人生、ここで大きく良い方向に変わったな~」

と心底から感じられた時、、、、それは多分、『癖(へき)の改善』が出来た時ではないでしょうか(´ー`) 『癖(へき)』と書いて【クセ】とも呼ぶ。これはコーヒーを飲む時にタバコが吸いたくなるという、身体的な癖とは違って、いえば「心の癖」とでも表現しましょうか。

実例を挙げれば、他人からのアドバイスに対してついつい自動的に、「いや、でもですね~」から言葉をはじめてしまう、昔の自分の癖だとか(^^)/

「いや、」という否定語からはじまり、「でもですね~」の内容も、よく聴けば反論にもなっていない。結局、「相手からこう見られたい」という癖や「自分を守りたい」という癖、そして誠意と勇気をもって伝えてくれた相手は嫌悪感を覚えるという、、、、最悪づくしの自分の「癖」(笑) 人からこの癖を強く指摘されて、もう改善はされていると願ってはいますけどね。



この「癖」が、いづれその人の体質(これも「体」の体質ではなく、「心」の体質ね!)に繋がり、それが「地味」に人生を「大きく」決定している要素になっているのは皆さんもどこかで感じていらっしゃるところでしょうが・・・・・感じているだけに、わかっているだけに非常~に、非常に非常にやっかいなシロモノなのですよ(-_-;) 

その要素の重要さはわかっていても、実際に自分のことになるとどんな癖があるのか、どんな体質なのか、気づかされたことはあっても考えたことはなかなか無いんじゃないかな?

相談に乗らせてもらってて、すぐに目につくのがこの「癖」。

その中でも、一番面倒なのが「依存」という癖です。


恋愛依存に、他人からの愛情依存。アルコール依存から、仕事依存。親から子への依存、子から親への依存。最近多いのは「親子間依存」?と呼んでも差し支えないのかな、、、、、

他人への関わり方やコミュニケーション手段が変化してきているので、より身近な人への関わり方までより複雑になってきたのか、反対にシンプルすぎているのか・・・・田舎者のオッサンはついていけません(-_-)


自分自身も、家族への依存・仕事への依存、子どもへの依存、嫁への依存、神様への依存に使命への依存・・・などなど。


仕事辞めたいと口では常々、言ってるのに、

「いや、ここは自分がこの役割を果たさないと・・・」

との理由を口にして、辞められない”言い訳”にしている人。

一見、会社や職務に対して責任感のある有能な人にみえるけど、本当に有能であればその組織に所属している意義や内容に使命を感じていれば、一生勤めあげれば良いし、その間に自分の代わりのリーダーを育てられる人だと思うし(だって、誰でもいつかは辞めますもんね)、「年老いた親の世話が大変。私も若い時分、さんざん迷惑を掛けたし・・・」と言いつつ、よぼよぼの年老いた親からの愛情で自分の存在意義を確認したり、自分の価値を再確認したり。

動けない親の代わりにご飯つくって、味が濃いだの言われれば途端に逆切れ(;´∀`)
(この場合は、後から出てくる親子の共依存の可能性が大)

これの怖いところは、そもそも「体質」になっている可能性が高いので、一つの問題から周りを見渡せば、大抵、いくつか似た様な問題が存在してる。

その人からはじまる、それらの原因を丁寧に追究すれば大体、一つの原因(その人の癖、依存体質)に行きついちゃったりします・・・・・・・


例えばさ。

パワハラまがいの旦那に対して経済的な理由で離婚が切りだせず、はじめはときめきと癒しを求めて捕まえた浮気相手に別れ話をしたら泣きつかれ、ズルズル・ズブズブと深みにはまり、割に合わないパートでは同じ時給で妙な責任と面倒だけ押しつけられ、子どもは母親の存在を無視して暴れまわり、兄弟は遠くに住んでいて私しかいないと年老いた両親の面倒をみれば感謝どころか文句を言われる始末・・・・

結果、問題の原因はその人の癖、体質・・この場合だと主に「自己の存在意義依存」になっちゃってる可能性が大いにあります。これは忙しすぎて、その原因にさえ気づかない=一生、解決しない問題になったり、一難去ってまた一難で人生が終わる可能性。。。。。



ただ、ここはすごくナイーブなところでして。

「依存」の目的は、『心を保つこと』にあって。

やっぱり、皆、毎日健やかに精神的に楽で、楽しく生きていきたい。”そこだけ” に『価値』を求めてしまう人たちが多いってことですよねー(;´∀`) 

自分のニコチン依存もそうですが、一度、そこに収まってしまえば、、、、依存から自立へ移行する時期は、心が保てない。タバコやめたら、しばらくはソワソワしちゃう。いや、挑戦してないけど、きっとソワソワすると思う(;´∀`)


大なり小なり、ここを越えられるか否かが、命が続く限り恒久的な安全や喜びの多い人生を歩む為、または新しい自分へ出会えるチャンスだったりする訳ですね。・・・あー耳が痛い。


もう一つ、「依存状態からの脱出」の妨げ、もしくは上から被せて依存をみえなくしている原因になるのが「自己都合の役割」です。

例えば、

「自分は長男だから・・・」とか、「末っ子だから」とか。
「別れた方が良いに決まってるけど、私がいないと彼はダメになっていきそう。」とか。
「会社でこの役割を与えられている以上は・・・」とか。

似非宗教やなんちゃってスピリチュアルに没頭している人も、似たようなものです。

「それが役割だから。」「自分しかいない。」「そう感じるんです」

と思い込み、実のところ「自分の為、だけの行為」に気づかないパターン。

役割も必要、自分しかいないという自覚も結構。あなたがそう感じるんであれば、それがあなたの中では真実なんでしょう、、、、、が、それを自分の為だけに(そう思ってはいない。大抵は自分以外の為と考えている)貫いて、どれだけの人が迷惑しているのか?どれだけ心配して、どれだけの危険をはらんでいるのか、、、、までは考える余裕がないタイプですね(-_-;)


「与えられた役割」を受け入れたのも自分の選択だろうし、パワハラ上司の言い訳が大抵、「自分の役割で、その責任をまっとうする為に・・・」とか本気で言っちゃってる人もいる。役割や責任はあっても、その果たす方法が間違っているから、こんな状況になってしまっているんですけどねぇ・・・・(;´∀`) そこまでの考えが及ばない。

でも、本来は「依存」の対義語が「役割」ではないはず。

役割をまっとうしながらも、「依存」から抜け出すこともできる。

「依存」をコントロール出来れば、それは自立への第一歩。

むしろ、依存状態から何かしらの役割を果たすことは難しいとさえ感じています。


ちなみに自分も『子ども依存』にならないように時々、自戒しております(;´∀`)

自分が「やっちゃいけない」と思うことは、「これはやっちゃダメだ」と教えなくちゃいけない役割であり、役目。こうしたら、「もっと創造性があって価値のある人生が送れるんじゃないか?」と思うことは教えたい。

子どもの心からの笑顔が自分の原動力になり、幸せを感じます。子どもが困っていることがあれば、話を聴いてやり本人自らが解決できる環境は作ってやりたい。

でもそれと、子どもの一喜一憂だけで自分の心が動くことと、自分が自分の役割を果たすこと。これは違うものだと感じています。

今は正直、子どもに依存している親は多いですよね(;´∀`)

「だって、子どもが喜ぶから・・・」ってさ、本当は子どもの喜ぶ顔をみて喜んだり安心できる自分自身が欲しいんじゃないのかな?多様性や個人の自由、意思尊重と区別もわからないまま、流行っている言葉や世の流れに丸のみされちゃうお父さんやお母さん達。

いつしか依存が「共依存」となり、依存しか出来ない親になっちゃう罠、、、、、


ウチでは

「宿題をやるんだったら部屋が片付いてた方が集中できるよ。宿題する前に掃除したら?」

「お父さんだって脱いだ服、脱ぎっぱなしやない。」

「そうやね。だったら、今からお父さんは服を片付ける。〇〇は、漫画の本を整理する。これでどう?」

「OK。」



いつもフライドポテトばっかり食べてる息子をみて、

「これね。食べ過ぎたら毒なんよ。旨いけど、食べ過ぎは良くない。」

「お父さんだってさ、いっつも煙草吸ってるやん。」

「・・・え?いや、いっつもじゃないよ!1日3本ぐらいやろ・・・多分。」

「いや、違う!昨日は7本吸ってた!」

・・・実際、自分が子どもをみている時間より、子どもが親をみている時間の方が正確で長いんでしょうね・・・・・(-_-;)


「わかった。お父さんは決めたよ。特別な日以外は、お父さんは家では3本しか吸わない。君はどうする?」

「わかった。じゃぁ、ボクも特別な日以外は、ポテトを食べ過ぎない。」

「そうしよう。そんじゃ、次に何が特別な日なのか、どれぐらいのポテトが食べ過ぎなのかを決めようか?」

「OK」



ある時は、

「お父さん、自分も〇〇くんが持ってるswitchのソフトが欲しい。」

「へぇ~どんなやつ?・・・おっ、面白そうやん!買っちゃえ、買っちゃえ!」

「ありがとう!いつ買ってくれるの?」

「いや、あなたが欲しいんだったらさ、あなたが買うべきなんだけど・・・・」

「えー!だって、お父さんだって、月に3万円、家のお金から貰ってるやん!」

「うん、そうだよーお父さん、働いてるからね。お父さんが稼いだお金なのよ(^^)」

「じゃあ、ボクも働きたい!」

「お。いいねー小学生の労働ってさ、何か知ってる?」

「知らない。」

「学生の労働はね、”勉強” になるね。」

「この前、漢字テストで80点取ったよ!」

「あ~ごめん。お父さんが勉強っていうのはさ、点数が良いやつじゃないんよ~点数とか正直、どうでも良いと思ってるのね。第一、お前の担任の先生さ~この前、間違った漢字に〇つけとったよ(苦笑)相当、忙しいんだよ。」

「だったら、何が勉強になるのさ?!」

「そうやねーまずは”どれだけ努力したか” が基準やね。・・・ま、努力するってことはまだ難しいか・・・・・だったらさ、来月までに”自分が何をやってる時が一番楽しいか” を調べてきてよ。ドッチボールでも鬼ごっこでも、何でも良い。その、自分がやってて ”楽しいこと” に関しての、ありとあらゆる情報を調べてくる。調べる方法も、誰かに聴いても、本でも、先生に聞いても良い。それを勉強とみなす。んで、それだけ知識を集められたかによって金額を決める。それでどう?これ、かなりお父さんなりのボーナスステージよ!」

「わかった、やってみる!」



自分が選んだ手段は、「子どもとの伴走」。これが正しいかは分かりません(笑)が、自分自身、これが一番ストレス値は低くて自分に向いてると思ってます。

自分は父親としての役割を出来る範囲でまっとうしつつ、子どもに(子どものその時点での成長や環境、考え方や癖)に依存しない生活を送ろうとすれば必然的にそうなるんです。それが一緒に生きる為の「相互依存」(お互いに依存の関係において、良い方向へ進む)になると考えております。

いちいち考えるのが面倒臭いけど、慣れれば(一定のストレスを乗り越えれば)考えずに自然とその行為が出来る。その考え方が身につく。


その場限りでしかない非生産的な「依存」、そして互いに依存するだけの関係性である「共依存」から、はじめて『自立』となるには、人間ははじめはほとんど依存からスタートするので、

『今ある問題はどこからやってきたのか?』
『自分は依存状態(もしくは共依存状態)となっていないか?』
『自分が依存状態から自立するには?』
『相手が(いる場合)依存状態から自立するには?』
『それを乗り越えるには、どういう方法があるのか?』

依存対象に「相手」がいる場合(いない場合もあります)時には、自分の考えを伝える・はっきりとした態度や言動・距離を置く・別れる等、自分にとっても辛い選択や極度のストレスを自らかぶらないといけない選択も多いのですが、、、、


そのまま放置しておけば、いつまで経っても問題は問題として残るどころか、時間と共に悪化していく結果になります。


とは言っても、自己分析が正しくできれば「癖」そのものが「役割」を果たしてくれる大きな力になったり、心の体質は今までの人生経験に基づいたもの(後天性)なので、改質も気づけば出来ている場合もあるんですけどね。

依存からはじまり、気づけば自身の自立、そして自立できた人は人を自立させられる・・・気づけば「相互依存」になっていたケースも各分野においては多々あると思いますよ(´ー`)



自分は、師匠が生きている間に「神様依存」から自立し、師匠が亡くなって4年ほど経ってようやく「師匠依存」から自立できた・・・・と、そう信じている(笑)

いや、無茶苦茶大変でしたよ。だって、自分がどこに依存しているのか全然、わからなかった。「好きなものは好きでしょ!」それだけで良いと思ってた。
(子どもに対しては、まだこの範囲で良いと考えています)

今まで、何人の諸先輩方は指摘してくれていたんですが正直、意味がわからなかった(汗)

遠回しに指摘して下さった神様は何神かいらっしゃったんですが、すでに「神様依存」から自立していた自分は、信じてなかった・・・というより、深く考えなかった。悪い事とは思ってないし「あはは、その通りやねぇ~」と深く考えなかったところか、誇りにさえ思ってた。

最後に気づいたのは、大谷翔平選手の「今日、一日は憧れを捨てましょう」ってセリフだったのには自分でも驚いてます。。。。

まぁ、あれだけ有名な人の有名な言葉なんで、どこかで聞く機会はあったんでしょうが、、、

たまたま耳に入った言葉ひとつで、約5年前からの、ひょっとしたら10年、20年前からの問題も解決?したというか腑に落ちて、この清々しい気持ちはあらわしようがなかったですね、本当に。

具体的に言えば、神祭で壁になっていた部分に方向性がみえ、私生活では本当にやりたいことを、より強くやりたい。やろうと思った原動力にもなった。

問題解決の糸口も見つかりましたし、あとは持続と積み重ねだけです(´ー`)

ってか、あの若さであの場面であのセリフ、、、、、

一体、どれだけ真摯に野球を介して自分自身と向き合ってきたんだろうって感動しましたよ、50手前のオッサンが(苦笑)


『癖はいずれ体質となる』

良いも悪いも習慣が人生を作る。と似ています。自分が悪癖と感じる部分は積極的に改善していってOK。アハ体験もこれに近いと思うけど、気づいた時は超清々しいし、未来はより良い方向へ変わる。それを持続できれば、また違った世界がみえてくる。

『誰だって依存からはじまり、自立し、相互依存から相乗効果は生まれる』

これは無意識にやっていることも多いし、依存が自立まで成長すれば恐ろしい速さで人生は加速していきますよ。やれば、ですね(´ー`) 気づくのはたった一瞬でも、動くことによって今までの人生が、さらに、より豊かな方向へと走りだす。

『依存は、身の安全や心を保つために存在する』

でもそれはたった一瞬だけ。依存が好きな人は、「依存症」だと気づくべき。やれるところから、改善していくことをお勧めします(´ー`)



Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...
ブログランキングに参加しております。
村雲の自己満足ではありますがモチベーション維持の原動力になってます。

人気ブログランキング 占い・鑑定へ 精神世界ランキング にほんブログ村 その他趣味ブログ 鑑定へ

コメント:0

コメント
Remember personal info

霊能者のつぶやきトップ > 人間関係 | 教訓 > 「癖」の改善

サイト内検索
RSS

 RSSリーダーで購読する

霊能者のつぶやきモバイル
携帯からもご覧頂けます。
霊能者のつぶやきモバイルQRコード
Tool
フィードメーター - 福岡の霊感占い師のつぶやき|神様・守護霊様からの..

Meta
リンク
クリックで救える命がある。

このページのトップへ