- 2023-12-28 (木) 21:53
- 霊能者
いや~久々のブログ記事です。伝えたいことが上手く伝わるかな(;´∀`)
時間が許す限り、YouTubeライブでは伝えたいことを、声にして・音にして届ける手段を新たに手に入れまして。
「それでもやっぱり、ブログ(文字)も読みたい!」
と、奇特な癖の持ち主の方々からの声にありがたいやら嬉しいやらで時々、ちょっぴり心を温かくさせて頂いております管理人ですが(´ー`)
「あな忙しや~あな忙しやぁ~~」
との言葉は建前で、実際にはブログで文字を綴る優先度が自分の中では落ちちゃったんじゃないか?と肌身で感じております。『村雲の文字離れ』的な。
実際、ラジオが出来ちゃうと「生の音を届けられる」「文章を考えずに済む(一応ね(笑))」「パソコンが無くても携帯ひとつで事足りる」なんて利点はたくさんありますし・・・・・まぁ、今年最後の記事なので、かなり長文にはなりますが、よろしくお付き合いくださいm(_ _)m
せっかくなので、一年を振り返っての話。
今年一年は、『神祭(しんさい)』の年。
タイトルは、「バカになれない自分へ。」でいきたいと思います(´ー`)
久しぶりのブログです。極めて長い上に、極めて私的な記事なので、お忙しい方はスルーして下さって結構ですよ~(´ー`)
一言でいえば、「師匠の後を継ぐ」。
これは何よりも自分の中で優先順位の高い理由のひとつです。
人生の優先順位のトップ3には、「後悔のない、最高の人生を送る!」が入っておりますので、自分にとって後悔がない、最高の人生・・・となれば、その中にしっかりと、べったりと、頑固な油汚れ以上に「神様に喜ばれる神祭」が入っておりますので、今まで15年も続いてきたこのブログを読んでくださっている方々には周知の事実でしょうが・・・・この年、それが覆された一年でした。
この、「師匠の後を継ぐ」が・・・結果的には変わってないのですが、それが大きく揺らぐどころか、
「’’後を継ぐ””?? そんな気持ちじゃ、本当の神祭なんて到底無理だよね。」
との事実を突きつけられた一年でした。
兄弟子を通して、仲間を通して、結果的には神様を通して。最後の神様は、、、多分ね。
「師匠が好き。神様が好き。どんな人生であっても、自分の一生が誰にも褒められずとも、これからの日本の何かしらの礎になれば最高の人生だよね。んで、物質的に精神的に最高に豊かに生きる。これで笑って死ねる。」
この想いは師匠と出会ってからずっと続いておりますし、おそらく死ぬまで変わらないです。
だとしたら、神祭が始まるのを心待ちにしているかといえば、実はそうではない自分もいることに気づきました。否、今まで目をそむけてきた大切なことに気づかされましたかね・・・・・。
「おぉ、これは神祭の前兆を神様がお知らせしてくれているのかな?」
と同時に湧き上がる、
「はぁ。また神祭がはじまるのか・・・・。」
の想い。
目にはみえず触れない雲をかきわけつつ、現実には昔のようには動かない体と、昔のようには使えないお金と時間と、昔のようには続かない集中力・・・これを引きづったまま始まっちゃう訳ですよ、神祭が。すべてを吐き出される自分への挑戦、神祭。
今、振り返ればこの「掴みどころのない雲」の正体が、ようやくここまで来て解った気でいるのですが・・・・まぁ、答え合わせは後からするとして。
まず、一番邪魔をしているのは「知識と経験」でした。
子どもにはよく言っているんですよね~「何事も経験よ!とにかくどんどん挑戦して。失敗なんてどうでもいいって。お父さん、成績とかどうでもいいもん。」って。
・・・偉そうに(;´∀`)
いろんな知識を手に入れて、経験も積んでいって。
気づいたら目をそらせていた『恐怖・不安・トラウマ』。
これがムクムクと自分の後ろから湧き上がっているのを無視して、(直視しちゃって潰れたり、妥協するのが嫌だから(苦笑))前だけみて進んでも、そう簡単に結果を出してくれないのが「神祭」です。
そんな生半可な気持ちでは神様は動かない、、、、ではなく、「それを乗り越えた部分」に初めて人は、神様との触れ合いを感じるのではないでしょうかね。師匠が聞いたら大笑いするやも知れませんが(;´∀`)
神様と本気度の高い触れ合いがなければ、物事は何も変わらない・・・・というか、自分たちが変えたいものは、そう4~5人がいくら口を揃えて
「あっちの神社からこっちの神社まで何日で走りました!」
「これだけの供えものを揃えました!」
「本気で祈りました!」
この程度で変わるものではないんだと、改めて実感。
(実際には、たくさんの人のサポートのなかで自分たちは気合いと楽しさや喜びで乗り越え、最低限の及第点を頂いたのが今年の祭りだったと言えますけどね)
それは、こんな人生を賭けた・・・はオーバーですが、生きている時間や体力や資金を村雲にとっては生きる上での「信念」、仲間にとってみればそれぞれの「夢」や「それぞれの経験・感動」に投資してくれている仲間や応援して下さっている方々が悪いのではなく、まだまだ「知識や経験」をかいくぐってその先に到達できていない、もしくは到達するまでに時間が掛かってどこかで言い訳をこねくり回してしまう自分に気づかされました。
子どもは本当に無邪気なので、
「うん、わかった!」
と何も考えず、突っ走れる。
「あぁ~ウチの子、アホだとは思っていたけど、アホも才能なんだなぁ~」
としみじみ感じております。。。
まぁ、それも小学校2年生ぐらいまでだとは思いますけどね(´ー`)
そんな経験を繰り返し行うと、やっぱり小学校3年生ぐらいからは知識や経験を自覚して、考えたり工夫したり、一丁前に理屈を口にだして・・・・その姿をみれば親としては嬉しいのが正直なところです。
・・・が!
これが40年も50年も年齢を重ねて、初めての習い事ならまだしも「人生そのもの」となれば。知識と経験を得ることで思い切りや良い意味での挑戦がなくなってしまいます。やることの意義を何度も求めたり、理屈をこねくり回して着地点を捜してしまう。
人間、一度味わった「味(経験)」は再現できずとも、よくも悪くも一生忘れないものです(-_-)
自分の個人的な友達にしても、やらなくちゃいけない理屈と、やらなくてよい理屈をたくさん作り出してまな板の上に並べ、
「さて、どう料理してやろうか?」
と腕まくりしている方を時々、見受けますがあんまり考えすぎると結局、「決断力が鈍るだけじゃね?」なんて、これが他人なら嫌というほど感じるんですけどね(笑)
「自分には残された時間が少ない!」と天を仰ぎみる時間が極端に長い人とかも良くみます(苦笑)
この前、人生の先輩と2人で忘年会をした時に別れ際に言われた言葉。
「正直言って、迷っている間は難しいと思うよ。まだまだだね。」
う~ん、心に突き刺さりました。情けない一年になってしまったな、本当に。
神祭の原点は、
『感謝と愛情』
だと今では心から、そう思っています。
最初の一歩目で、いかに自分以外の存在に感謝の気持ちが持てるか。次に、感謝から生まれてくる愛情を形として、いかに注げるか。またそれを継続できるか。
これを自分の心でしっかり掴むこと。握りしめること。
さらに、さらに。
それをすべて、「忘れる能力」。
握りしめたまま、「忘れられれ」ば体は勝手に動いております。
間違いなく、自分が必要な方向へ、自分らしく自分の価値を輝かせる方向へと動いてる。
常に自分の人生を動かしてきたのは、「何も考えず走り出す心」。
今は、知識や経験や理屈をかいくぐって、そこに付随してくるリスクや恐怖やトラウマと向き合って原点である「感謝と愛情」に戻れるか。
ここが来年の大きな分岐点になるんじゃないかと、考えております。
これを繰り返し行うことによって、瞬間的に触れ合う神様方々のご神威が自分を通して発揮され世の中の、または知ってる人たちの心に何かしらの変化をもたらすものだと信じておりますし、それが目でみてわかる価値のある生き方がしたいと、そう心に誓っております(´ー`)
やりますよ、2024年も。
動きださなきゃ、何も変わらない。自分はまだまだたくさんの人と触れ合い、感謝を感じて輝きます!自分が信じているものを信じ抜く!
日本はまだまだこれからです(´ー`) 皆さんの人生も今からが勝負ですよ!
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コメント:3
- たまねぎ 23-12-31 (日) 9:10
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こんにちは
読ませていただきました。僕は文章の方が好きですね。口語より深い話が聞ける気がします。 - 暁 24-01-01 (月) 5:44
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心から応援しています。
また、自分自身も真剣に生きたいと思います。 - 堯 24-01-01 (月) 23:04
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元旦早々、厳しく悲しきニュースのある年明けです。
村雲様も、どうかご自愛くださいますよう。
年始の挨拶としては、場違いですが、村雲様や皆様の安寧を祈っております。