- 2023-08-19 (土) 22:17
- 教訓
神道・神様好きならご存じの通り。「三種の神器」とは、天照大神より与えられ、今の天皇家に代々伝わる・・・「これぞ天皇家じゃいっ!!皆の者、ひかえよっ!」と思わず勝手に叫びたくなる天皇が天皇である所以のひとつ、「三種の神器」。
「八咫鏡(やたのかがみ)・天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)・八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」
はご存じの通りですが(*´Д`) 今の時代を生きる自分たちが神様に頂いた三種の神器(みくさのかむだから)
これは村雲的には、
● 想像(創造)する力
● とにかく動く力
● 信じたものを信じ抜く力
この三つだと考えております(´ー`) 素晴らしい、すべて無料で、今からでも使える力。
「想像する、創造する力」と「動く力」はセットになっておりまして。
どっちかが欠ければ、途端にどっちも使い物にならないというシロモノでございます(´ー`)
さらに、この二つを支える力が、「信じたものを信じ抜く力」。
信じたものを信じる。この力は、質を問われる・・・といえば難しくなりますが、いえば『なるべく深い部分』から湧き上がってくるものが良質だと考えております。しかもやってみれば解るけど、、、、信じたものを信じ抜く。って結構、キツイですよ(;´∀`)
この三つの力は歯車として繋がっておりますので、一つ動けば次が動く。とにかく人生をより良い方向に変えていく、今からの時代を生き抜くには持って来いの力と言い換えてもよいかもですね。村雲的には。
ざっと説明すれば。
「動く力」にはその方向性や動くことによって感じる感受性が大切で、動くことによって、体を動かすことによって、新しいものや感覚が取り入れられる。さっきまでと違う自分が出来る。今までにない知識や知恵、勇気が湧いてくる。想像力が湧いてくる。
体を動かすと言っても、まぁ100歩譲って部屋で筋トレしたり、トレーニングルームでウォーキングマシンで何Km歩いても悪くはないんですけどね、、、、まぁ、悪くはない程度です。やっぱり動く、体を動かすことは、「外」=「自然の中」でやらなきゃ本来の意味をなさない。
五感をフルに使って、どんどん刺激を与えた方が体に良い。
自分たちは「自然」から生まれてきたので、やはり自然の中で体を動かし寒い日も暑い日も、ぽかぽか陽気も冷たい大雨も、また体が重い・軽い。腰が痛い、足が疲れた・・・・等、出来るだけ体で五感を通して『感じさせる』こと、子どもであれば体験させる・いろんな刺激に慣れさせる。大人であれば思い出させる、がなによりも大切。
今の子たちは、手で床を磨く雑巾がけの大変さを知らないでしょうねぇ~どの角度であれば、一番腰が楽に使えるのかも。汗だくで寝て、汗だくで起きても何故かスッキリ目ざめも良くて体も軽い、あの感覚もひょっとしたら味わったことがない子が多いかも。
家の中でやることがたくさんある方は、しっかり体と動きを意識して動かせばいい。
体の一部分一部分を意識しながら、掃除する。洗濯する。ご飯を作る。ご飯を食べる。意識しながらね。
体を「意識」しなきゃ意味がないから、出来ればTVを消してね(;´∀`)
パソコン閉じて、携帯電話も気にならない場所に伏せて置いて。
今、やってること「だけ」に集中すること。
自分は子どもに、今は『箸の綺麗な持ち方』と『口をつぐんで咀嚼させる』を教えています。せっかくのご飯が集中して食べられないのは可哀想なので、まぁ、タイミングをみて注意する程度かな。
体を動かそうとすれば、動かすことに意識がいけば人間は自然に「考える」。
想像力が鍛えられるんですよねー 今の若い人たちへ愚痴をいえば、「考えない」のは家庭が悪いです。正直、環境=親が悪い。これは仕方ない、、、、、だけど、後輩に対してもそうですが「考えようともしない癖」は一緒に何とかしたいと考えております。
だから、自分は子どもにあんまり『答え』を用意しないことにしてます。
・・・・無意識に子どもが親の答えに頼っちゃうから。答えを与え続けたら、答えしか求めない子に育つのは当たり前の話。正直、子どもが悪いわけではない。
それは自分たちも同じですよね(;´∀`)
今は機械に打ち込むだけで何も考えず答えが出る時代ですので、、、、あんまり物事を深く考えることも減ってきましたしね・・・・
自分なんか、
「あ~昔はもっと純粋で、真剣に考えてたんだけどねー・・・・・」
なんて時々、青春時代を懐かしんでましたけど・・・・いや、待てよ、と。
いつの間にか答えが用意された今の環境に、単に考えない癖がつきすぎて手っ取り早く答えを得ようとしている自分に慣れてしまったんじゃないかと気づきました。。。考えるのも体力いりますしね・・・・その内、「ま。いっか。」で流しちゃう。だって、経験だけはそこそこあるから別に考えなくても何とかなっちゃうもんなんですよね。ただし、「それなり」に。古い仕事も、新しい仕事も、人間関係さえも・・・・・・
・・・・・・・・・・
・・・・・・・
・・・って、完全にいわゆる「老人」じゃないかっ!!!
ヤバい、書いてて気づいたらけど、これ老人やん! (-_-;)
これからは時間決めて真剣に考えよう・・・・・。
話を戻すと、
体を動かす中で、五感いっぱいでいろんな刺激を与え、体を動かしながら想像力を豊かにする。
これ、動かしながらやった方が良いです。同時にした方が良い。
体を動かさないまま、頭だけ使っちゃうとですね、、、、結局、老化もあって、疲れもあって、不慣れもあって、反対に慣れすぎもあって「動かない自分」を作りやすいんですよねー これ、気を付けて下さいね、マジで。
大事なことなんでもう一回書きますが、考えるだけでも脳が疲れて、体は疲れちゃうから、さらに動けない自分を作りやすい。
仕事しながら将来を考えたら大抵、仕事をミスりますんで(苦笑)出来ればミスっても問題ない掃除や洗濯、ウォーキングをしながらぼんやり考えるのもおススメです・・・・ってか、リハビリに近いなこれは(;´∀`)
● 想像(創造)する力
● とにかく動こうとする力
この連動した歯車を支えているのが、その下にある歯車。
● 信じたものを信じ抜く力
なるべく魂の深い部分から湧き上がるのがベストですが。あくまでもベストであって、これは成長と共に少しづつ形や中身が変わっていくもの、、、、アップデートもあれば、チューンナップもある。これが大前提です。
こう書いちゃうと、真面目な人ほど
「さて、そうは言ったものの、自分は一体全体、どれの何を信じたら良いのか・・・・」
なんて、また『深く』考え込んでしまう訳ですが。
これはもう「アタリ・草案・タタキ」でいいんじゃないでしょうか?まずはここからはじめましょうよ(´ー`) 普通は長い人生の経験の中で育んでいるものでしょうが、今、見失っている方は焦らないように。打率0割の打者がいきなりホームラン狙うのと同じですからねー
まずは日々の素振りと打席に立つこと。
何も考えずとも、今の年までは生きてきた経験はあるのでしょうから、まぐれアタリでもいつか芯をとらえるまで、辛抱強くバットを振り続けるしかありません。振り続ければ、必ず球には当たります!
「とりあえず、自然が好き」
「とりあえず、神様が好き」
「とりあえず、人が好き」
この「とりあえず」から始めといて、動いて・想像して創造する。そんでそっちの方向にまた動く。
この時点で、「待ちの人生」が「主体性のある人生」に自動的に変換されているので、動いて想像していると、違和感を感じれば「信じるものを再度、検討する」。
違和感がなければ「そのまま続行」ですよ~あとは勝手にブラッシュアップされていくのを客観的に眺めていくだけ(笑)はっきり言って、超楽。なんなら、自分の観察日記を頭のなかでつけられるぐらい、楽で楽しい。
実際にヒント、、、と申しますか、自分の感想ですが。
・人がみていようが、みてなかろうがコツコツ積み重ねられるもの
・自分自身の話なので、正直、環境や他人には影響されないもの
・やればやるほど自分のことが好きになっていくもの
・何となく、、、「誇れる自分」が出来てくるもの
こんな感じで、時々チェックしてみるのもありかと思います、はい。
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コメント:1
- せこ 23-08-21 (月) 6:09
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やはり時々ブログも読ませていただきたい。よろしくお願いいたします。m(_ _)m