霊能者のつぶやきトップ > その他 | 教訓 > 生病老死 未だその生を識らず

生病老死 未だその生を識らず

『生病老死 未だその生を識らず』

村カフェの足跡帳に自分が兄貴と慕ってる大好きな方が残してくれた言葉。兄貴は博識で教養人、禅や仏教にはじまりいろんな宗派への造詣が深く、一緒に京都の町並みを歩かせて貰った時には次から次へと出てくる歴史と豆知識に驚きの声しか出なかった・・・・今は正式な神主さんになるべく勉強中。

たった一言残されたこの言葉。「いや~兄貴は相変わらずカッコいいなぁ~・・・・・」 と言葉の意味も解らず、いつか調べよう調べようと考えていてそのままだったのでちょっと調べてみましたよ、「生病老死 未だその生を識らず」。



「生病老死」とはお釈迦様が説いた、生きてる間につきまとう人間の四苦ですね。生きる事・病気になる事・老いる事・死ぬ事。この後、さらに八苦続く訳ですが「愛別離苦(愛する者と別れる苦しみ)」「怨憎会苦(憎む者と出会う苦しみ)」「求不得苦(求めても得られない苦しみ)」「五陰盛苦(心身から盛んに起こる苦しみ)」・・・一体、どれだけあるんだ苦しみは、、、、、と管理人の最初の感想は置いといて、、、、、さらにお釈迦様は、『集諦』『滅諦』『道諦』 と涅槃に至るまでの道を説かれる訳ですが、生病老死を考えれば確かにそうだね。と思う事もあるけれど。まぁ、『一生悟りを得ない。』 とすでに悟った管理人にははなっから無理な話でもあって。生きる為だけに日々悪戦苦闘し、病気になれば「うわぁ・・・やっぱり健康って大事。。。。」 とその度に日頃の生きざまを後悔し、たまの健康診断にはため息ついて時々、白髪を発見すればたじろぎ・・・・そんな一生を送っていれば死ぬのが怖くないなんて言えない。要するに死ぬまで一生、悟れないという事で。『生きる事』を四苦の最初にもってくるお釈迦様とは、なんて賢く・・・・・なんて悲観的な方なんだとついいらぬ事まで思ってしまう。

時々、師匠がにっこり笑って 『おいさんはね、死ぬのはとうに怖くないよ。』 というセリフを聞くと、心配ごとはたくさんあるのだろうけど絶対に嘘とは思えないし、自分も同じ歳まで生きれたら同じセリフを心から言えるのだろうかと考えたら・・・・・それこそ、身ぶるいがする。

自分は年配の方と話すのが大好きで、何故そうかと考えた時に ”良い歳の取り方” をされていらっしゃる方々は生きる苦しみを乗り越え、ただ生きて来ただけでなくやっぱりいろんなものを残されている。だから生きてきた事に心からの感謝も出来れば、病気や歳を取ることであそこが痛い、ここが痛いと愚痴や苦労は聞かされても最後に残る”死”に対してどこか満足気で自分の生に対して自分だけが納得できる、「口に出してひけらかさない自信」に満ちていて・・・・・『あの世に行ったら閻魔様と酒でも飲んで、お前さんがいつか娶るかも知れない嫁さんと一緒に寝ている枕元に化けて出てやるか。』 との脅し文句がまんざら嘘に聞こえなくなってくる。・・・・というか、「それだけは本当に勘弁して下さい。。。。」 と昔から懇願している自分が居る(笑)

自分は生きている間に一体、何を残すんだろうか。残せるんだろうか。

笑顔で子供を抱く、昔からの悪友達の顔をみてるとそこには今までの二十年来の付き合いの中で一度も見たことのなかった笑顔があって、「嫁さんとかマジでしゃあらしい(うるさい)よぉ~・・・・」 という愚痴でさえ羨ましく感じる。35歳と言えば社会的にいくら独立しても、まだまだ信用を得られる歳ではないけど・・・・・その中でやりたい事をもがき苦しみながら達成させ、仕事の生き甲斐にしている連中をみると自分も負けたくないと思う。今、自分がやっている事はどんな小さな事でも、心からやりたい事だから・・・・・同じく似た者メンバーは相談すれば心から話を聴いてくれて、応援してくれ、そして自分もそういう連中を心から応援して心から友達の成功を一緒に喜ぶ事が出来る。

それは決してやっている事の「大きさ」じゃないんですよね。

その人が本気で取り組めるものなのか。全力を出せるものなのか。辛くても自分に喜びがあって、人にも喜びを与えられるものなのか。心から納得できるものなのか。

たとえば友達が、「やったっ!!宝くじで3億円当たったぜっ、村雲っ!!」と喜べば、「なんだとテメェ・・・500万ここに置いて後はさっさと募金してこいっ!」 と本気で言いたくなるけど、自分の好きな仕事で独立した友達が、「やったよ、はじめて300万の仕事を貰った!」って喜んでたら心から祝福したくなる。あ、お金の大きさじゃないですよ・・・・・たとえ話がただの僻み根性になってしまった(苦笑)

『未だその生を識らず』

自分の尊敬している兄貴は、人にやさしくそれぞれの方の心を真剣に考えられる人で、今は人生の変換期にあっても真っ向からすべてを受け止める事が出来る人。そして誰がどう見ても社会的にも成功されてる職場では一切、その辛い顔を見せない人。その人から、「未だに最初の四苦、”生” さえ知らない」 と書かれれば・・・・・その謙虚さに対して、深く垂れた頭がさらに下に落ちゃいます・・・・・そして、そんな兄貴も今もなお、頑張り続けている。挑戦し続けている。

自分は一体、どういう生き方をし、その中で何を残せるのか。

今はオリジナルの神棚・鳥居・狛犬を作ったり、残せるものとしては今まで神様から頂いた神示を小冊子にしてこの世に残し、無料で皆さんにお配りできたら・・・・・と秘かに考え、実行中です。これが今の自分の ”生きる” って事。毎日、いろんな方と縁を結ばせて頂き、たくさん人の話を聴いて一緒に笑ったり一緒に泣いたり、生きたり生かされたり。でもそれとはまた一味違って、自分だけの自分自身の人生の中での ”生きる” ですね。それで一緒に喜んで下さって、一生大事にして下さる方が一人でもいてくれたら心から喜びを感じます。オーバーに言えば、生きてて良かったと本当に思える。自分一人の力は無いに等しく、いろんな方の協力をいつもの ”強引さ” で無理言ってさんざん迷惑を掛けてるけど・・・・・・・皆で喜んで万歳三唱して喜びあえるようなものを完成させます。

まだまだ先は長いですが、いつかご報告させて下さい。

その時に皆さんも一緒に喜んで下されば本当に嬉しい限りです。

Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...
ブログランキングに参加しております。
村雲の自己満足ではありますがモチベーション維持の原動力になってます。

人気ブログランキング 占い・鑑定へ 精神世界ランキング にほんブログ村 その他趣味ブログ 鑑定へ

コメント:6

ヨシ 10-08-30 (月) 12:31

管理人さま

こんにちは~♪

時々、布団に入って目を閉じるときに、明日も目が覚めるだろうか?と思うことがあります。
生まれた瞬間から死に向かっていて、ある意味死ぬ為に生きているとか思っちゃっているので、死ぬのはあんまり怖くないけど、
どうしてもしておかねばならない事があるし、私が先に死ねば悲しんでくれる親がいるから、まだ死ねないなぁ~とは思います。

でも、自分がダンゴムシだったら、そんなことは考えないですね(笑)


天寿を全うして、ご先祖様たちと楽しくお茶でも飲みたいです(笑)

naobon 10-08-31 (火) 0:23

生きることは苦なのですか?
(だったら私はあんまり生きたくないんですケド( ̄▽ ̄;)
だって苦ですよーイヤダイヤダ)

どんな苦であれ、苦であるかどうかは
その人の心の持ちようじゃないのですか?
教えて村雲さーん!!壁||ω・)ジィ・・・・

10-08-31 (火) 14:12

私の生きる意味は、次の世に私の産ん子どもをしっかり育てて送り出すことだと思ってます。
ピッチャーの中継ぎですね。
私が何かをするのではなく、何かをしてくれる人の為に出来る限りのことをする?ということかしら・・・
人それぞれ、生きる意味があり価値があるんですよね。
死ぬことは怖くはないです。残念かもしれないけれど・・・
自分の遺伝子を残したあたりから、死が怖いとは思わなくなりました。

それにしても兄貴さんはすごい方なんですね。
私も京都に尊敬する方がいます。
心にカツをを入れてくださる方です。
ふにゃふにゃになると、電話しちゃいます。
「アホかぁ!しっかりせ~や!」
たったこれだけなのに、元気が出ちゃうから不思議です。
お互い「兄貴」さん大切にしましょうね☆

とり 10-08-31 (火) 22:26

未だその生を識らず。

沁みますね・・・。
生きるとは何ぞや?と思いながら今を精一杯生きて、
最期を笑顔で迎えられたら最高です。

兄貴さん!!(*^^*)ありがとうございました(^^)

shiho 10-09-01 (水) 7:48

そんな村雲さんはかっこいいです。

管理人 10-09-02 (木) 1:35

ヨシさん
目覚めた時にあの世に行ってれば楽なもんですよ、、、それ以降は何も考えなくて済む(笑)でも期待してくれている人がいる間はやっぱり応えたいですね、お互いに。自分は次に生まれ変わったらカブトムシか食虫植物がいいです!

naobonさん
そうそう、心の持ち様。って言うか、自分は生=苦だと思った事はないですね。まぁそれだけ努力や苦労してないんでしょうが。最初調べた時、お釈迦様はなんてドMなんだと思っちゃいましたもん。アホに生まれて良かった。。。。。。

陽さん
中継ぎにも中継ぎの意地があってですね・・・・「最高のパフォーマンスで次に繋げよう・・・否、自分がこの試合を終わらせよう。」って考えてくれないとその背中を見て次に続く者は”全力”を知らずに終わるんじゃないでしょうかねぇ・・・・まぁこれも価値観ですね(笑)ウチの兄貴は喝を入れるというより、背中を見せてくれる人です!大切にします!

とりさん
ご本人は意識してなくても、今でも兄貴は背中を見せてくれてますよ・・・・前に進んでます。自分達も前に進まないとですね!「袖触れ合うも多生の縁」、もしかしてどこかでいつかお会いしているのかも・・・・あ、今度会った時に言っときますね。『ファンが一人増えてますよ』と(笑)

shihoさん
ありがとうございます。でもまだ現実になってませんからね・・・・今の所は夢幻です。いつか現実に変えてやる~それまでその言葉はお預けさせて下さい。頑張りますよ~血の一滴もなくなるまで!

コメント
Remember personal info

トラックバック:0

この記事のトラックバックURL
http://ryu.uranaido.net/2010/08/29/post_935.html/trackback
Listed below are links to weblogs that reference
生病老死 未だその生を識らず from 福岡の霊能者のつぶやき|本物霊能者の本音

霊能者のつぶやきトップ > その他 | 教訓 > 生病老死 未だその生を識らず

サイト内検索
RSS

 RSSリーダーで購読する

霊能者のつぶやきモバイル
携帯からもご覧頂けます。
霊能者のつぶやきモバイルQRコード
Tool
フィードメーター - 福岡の霊感占い師のつぶやき|神様・守護霊様からの..

Meta
リンク
クリックで救える命がある。

このページのトップへ