今日は先月から楽しみにしていた、Nさん宅の三年祭(´ー`)
Nさんは、十数年前に初めてご主人のお母堂様の50日祭をさせて頂いたのがご縁で、それから15年間、何年かに一度、お祭りごとにお声かけ頂いております。
今日は、そのNさんのご主人の三年祭の日でした。
神道は亡くなってからのお祭りが多く、ちょっとややこしいんです(^^;)
亡くなった後、、、、
「通夜祭」(仏教でいえばお通夜)
「遷霊祭」(魂、戻ってこーい!戻って来ないなら半分の魂は元居た場所、半分の魂はこの霊璽(位牌)に納まってくださーい!のお祭り)
「本葬祭」(仏教でいう、メインのお葬式)
「火葬祭」(火葬場で燃やす時)
「納骨祭」(お墓・納骨堂に骨を納める時)
それから、「十日祭」(本葬が終わって10日)「五十日祭」「一年祭」「三年祭」「五年祭」「十年祭」「二十年、三十年、四十年」と続き、最後は、「五十年」で終わります(´ー`)
・・・いや、もうその頃はお祭りする側が、いつの間にかお祭りされとうやろ。。。。
現代は本葬の際に十日祭も一緒にするところも多く、これも人間様の都合、時代の流れと言ったところでしょうか(;´∀`)
話は15年前に遡ります。
自分が「福岡の神棚屋さん」を立ち上げた当初、HPの住所を宛てにお店(と言っても店舗でもなくカフェ風に改築した古民家でしたが(^^;))を尋ねてきて下さったのが初めての出会いです。
Nさんとご主人。Nさんのお姉様とそのご主人。
チャイムが鳴って、寝ぼけ眼で玄関を開けると、自分をみる怪訝そうな顔が4つ。その4名の顔をさらに不安な顔で眺める自分・・・確実に5秒以上は時が止まりましたね(苦笑)
これが最初の出会いです。
ふたまわり以上、年の離れた方々でしたので、、、、てっきり近所から何かしらのクレームが入ったのか、保健所から突然の立ち入り検査かと本気で思いましたもんね~(^^;)
「・・・ここ。神棚屋さんで合ってますよね?」
Nさんは当時から気品に溢れていて、そのお姉様も加賀まりこさんを彷彿させる様な方。そのご主人さん達も中尾彬さんのような圧の強い・・・いえ、何ともいえぬオーラで村カフェに入って早々、「おい、ここは煙草吸ってもいいのかい?」なんて言われまして・・・(^^;)
一応、村カフェという看板は小さく出していたのですが(隠れ家的・・・というより、完全に”隠れ家”でしたね)自分の気に入った神棚を10個ぐらい並べていました。
一通り神棚の説明をさせて貰った後、屋久杉で出来た一番良い神棚を選んで貰いました。
並んだ神棚の隅に、申し訳なさそうにひっそりと額縁に入れた『神職資格証』に目を留めて頂き、
「あなた、神主さんもやってらっしゃるの?・・・だったら一緒にお願いしようかしら。」
「あっ、、、、え?・・・あ。はい・・・・・。」
正直、それまでは知り合いの家の地鎮祭や、お祓いやお清め。友人のお子さんの七五三しかやったことがなく、初めて知らない人の家に行ってそこで葬祭を行うのは初めての経験で本当にドキドキでしたね~。
そこから気づけば、15年。お祭りごとに呼んで頂き、(数年に一度ですけどね)お会いする度に、
「あら。あなたまた太ったの?!」
「食べ過ぎじゃないか?」
「最近はどうされてるの?」
「もう結婚したのか?子どもはいるのか?」
なんて微妙な距離を保ちつつ、いつしか自分はこのN夫妻とお姉様夫妻が大好きになっておりまして(笑) 依頼の連絡がある度に、幾つになっても緊張しつつ、やっぱり嬉しかったですね。また皆さんにお会いできるんだなぁ~どうされているのかなぁーって。
あの時、ご縁を結んで頂き、それが今でも繋がっている。
連絡は常にNさんからあり、自分の持ってる一番古いアドレスに連絡をくれて、日程や時間の調整を行う。正直、Nさんのお姉様ご夫婦とはこの15年間で距離が縮んだとは思いませんが(^^;) それでもお会いする回数を重ねれば、言葉にせずとも「おう、元気か?」的な雰囲気は伝わってきます。
3年前にあの物腰の柔らかかったNさんのご主人が他界され、あの頃の元気もなく白髪が増えたNさんをみた時には胸が締め付けられましたが、それでもあの時はNさんの息子さんご夫婦とお孫さんもいらっしゃって、
「あぁ、これが歳月っていうものか・・・。」
と客観的に眺めていた自分もいました。
今日も、準備からはじまり滞りなく三年祭も終えました。
息子さんご夫婦は、まだお子さんが小さいとのことで欠席。
Nさん、Nさんのお姉様ご夫婦は前回、お会いしてから3年振りでしたので、Nさんの頭もほとんど白髪。自分の体形もまた一段とグレードアップし(笑)白髪も皺もいつの間にか増え、それでも過ぎた過去を慰めることもなく、お互いに健康で無事で、こうして数年に一度でも健康でお会いできる喜びを暗黙の内に感じておりました(´ー`)
いつも通りに帰りの挨拶時に、お茶を入れなおして貰った後、ふと会話をとめたNさんから、
「いつも用事がある時だけ連絡してごめんなさいね。次は主人の五年祭、ぜひお願い致します。・・・・その後は・・・・5年後はね、施設に入る準備をしてるから。次の2年後が最後になるかも知れませんね。」
寂しそうな笑顔で自分に微笑んで下さるNさんの顔をみてるとですね、何だかキュッと胸が締めつけられました。
「そうなんですね。・・・はい、承知しました。」
”寂しくなります” って言いかけたんですが、言いませんでした。数年に一度しか会わないし、連絡がない限りは大変申し訳ないのですが、そうしょっちゅう思いだすこともない。「あ、もうそろそろNさん家、〇年祭じゃないかな?」なんて考えるのは、何か神職としては違う気がしている自分もいます。
帰りの車の中で、今日の最後にNさんに言われた言葉を考えていると、急に師匠との昔の一コマを思い出しました。
「あれれ~~~師匠、なんだか今日は寂しそうな顔してますね?なんかありました?(´ー`)」
「おじさんに変わりはないがね。最近はね、昔の知人たちが次々に死んでいく。それを考えていたんだよ。」
「そうだったんですね、、、ん??どなたか、亡くなったんですか?」
「皆、平等に年をとり、皆、平等に死んでいく。そんなもんだ。」
「ふ~ん、、、寂しいんですか?まだ〇〇さんとか、××さんとか、死んでないのに??」
「寂しいとは違うな。”そんなもん”なんだよ。」
「へぇ~・・・”そんなもん”なんですねー・・・え?”そんなもん”なんですか?」
「そうだ、”そんなもん”だ。この気持ち、まだ若いお前さんに理解して貰うのは難しいな(苦笑)」
「いや、解りますよ・・・要するに・・・・”そんなもん”。なんでしょ?」
「はははっ、そうだ。”そんなもん”だ。」
そんな他愛のない話を、なぜか帰りの車の中で思い出してました。
Nさんは今の家を息子さんご夫婦に譲り、他県の生れ故郷へ帰って施設に入られるそうです。このコロナ禍がいつまで続くか分からない中で、3年前からお一人で過ごされていますが、それでも不幸な方ではないと思います。
自分は生涯、Nさんご夫婦やNさんのお姉様ご夫婦を忘れることはないと思います。
「そんなもん。」
理屈もなにも取っ払い、表面上をさらりと平らにできる便利な言葉。
でも、さらりと平らにした後だからこそ、何か不思議と温かいものが残ってしまう言葉です。
師匠は、「そんなもんだ。」の言葉の前に、「世の中は」とか「人生とは」などと、余計な言葉は付けてませんでした。
「世の中、そんなもんだ。」「人生とは、そんなもんだ。」
ではなく、ただ一言「そんなもんだ。」と。
最近、いろいろとつまらない事を1人で考えることが多くてですね~(´ー`)
師匠といつか話をした時に、
「あの時の”そんなもん”は、わざと一言だけだったんですか?”世の中”や”人生”がついてなかった意味とか、あるんでしょうか?」
ヌル燗を注ぎあいながら、そんな意味のない質問を意味もなくしたい気分です。
朝夕寒くなってきて、ちょっと人肌ならぬ、、、人心が恋しくなってきたのかな。
まぁ、そんなもんです(´ー`)
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コメント:3
- ゼラニウム 22-11-06 (日) 23:33
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そんなもん……。
深いですね…。 - 管理人 22-11-13 (日) 21:26
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ゼラニウムさん
こんばんはゼラニウムさん、ご無沙汰しております(´ー`) 深い、、、深すぎて何周か回って、やっぱり深い。深すぎてよくわからん(苦笑) - 日次月次 22-12-17 (土) 8:35
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私も、そんなもん、はよく使います^_^
方向性が間違ってなければ、そのまま進めていいよ
って感じかなと思います。
お風呂動画のコメントにイイね、ありがとうございます^_^
短いコメントとか簡単な質問はサラッと返しやすいですよね。