いつか、ある人から聞いたのか本で読んだのか・・・この言葉は今でも覚えています。
「人生の迷子になったら本を開け。本に答えは載ってないけど、答えの元はたくさん散りばめられている。」
どんな本でも構わないと思います。インスピレーション的な神様からのご神託、、、、ではなく、将来で迷っている人は資格取得本のコーナーへ、心に栄養が欲しい人は精神世界のコーナーへ、暇を持て余している人は趣味の本のコーナーへ、ある人は漫画、ある人は参考書、ある人は小説・・・・・
・・・きっと、そこには今の自分に求めているものがどこかのコーナーへと足を運び、何かの本を手に取り、新しい「情報」「刺激」をもたらせてくれる筈。
「情報」や「刺激」をもらえても、残念ながらそこに今すぐ欲しい答えは書いていない。
大切なのは、その刺激や情報から今の自分が、「何を考え」「何を創造するか」。
これが、『答えは書いていないけど、答えの元が散りばめられている』と自分なりに解釈しております。
そして、探している答えそのものは、おそらく目の前の問題の解決方法だったり、今以上に自分を向上させるものであったり、人生の質をあげてくれたり、心を感動させるものであったり、単なる待ち合わせまでの暇な時間を有意義に変えてくれたり・・・
その時の気分次第、求めているもの次第でしょうが、答えもいろいろです。
自分たちの人生がより豊かであるように。またこれからの日本がますます充実していくように。
それを目にみえる形まで具現化し、日本国の屋台骨「国体」と呼ばれるまでに昇華させているものが、神様がいます「神社」であり、そこに奉仕する神職さん達の存在が「神道」を守っています。
霊能者的には神様が「降りる時と降りない時」があっても、神社とは
『神様のおわす場所』
に違いはなく、いえば自分にとってフラリと立ち寄った、ある本屋のあるコーナーにある「最高の教科書」であることに違いはなく、目にみえる形でそれを示してくれていて、そしてやっぱり大切なことは、
「自分の願いや欲を叶える、もしくはその助力を願う場所」
とは少し違って、祈り、そこから何を感じ、何を考えるのか・・・・これが重要だと思ってます。
めちゃめちゃ困った時、自分の生きる根幹を再度、改めたい時(これはほとんど神棚ですかね・・・)、または神様の少しでもお役に立ちたいと神祭を行う時にしか神社に真剣に祈ることはございませんが・・・まぁ、正直言って「めちゃくちゃ困った時」もほとんど本屋で済ませたり、神棚の前で祈ったりなので実質は決まった神社ぐらいしか行きませんけど(苦笑)
行けば必ず、こちらから心の窓を開けば、そこには流れ入ってくるものがございます。
そこに奉職する神主さんたち。
本義を正せば、人様の願いを大和詞に変換して神様にお伝えする、「仲執持(なかとりもち)」であるということ。
それは神社を残らせていく為、、、本来は神様を慰撫し、和ませ、喜ばせ、安心してお勤めに励んでいただく為ですね。
神職の学校でも、奉職(神社へのおつとめ)をしても会合で必ずみんなで唱和する詞があります。
「敬神生活の綱領」
神道は天地悠久の大道であつて、崇高なる精神を培ひ、太平を開くの基である。神慮を畏み、祖訓をつぎ、いよいよ道の清華を発揮し、人類の福祉を増進するは、使命を達成する所以である。ここにこの綱領をかかげて、向ふところを明らかにし、実践につとめて、以て大道を宣揚することを期する。
一、神の恵みと祖先の恩とに感謝し、明き清きまことを以て祭祀にいそしむこと
一、世のため人のために奉仕し、神のみこともちとして世をつくり固め成すこと
一、大御心をいただきてむつび和らぎ、国の隆昌と世界の共存共栄とを祈ること
まぁ、会社でいえば『社是』や『クレド』のようなものですね (;´∀`)
これを起立した姿勢で先導が最初の長い文書を言った後、「ひとつ!神の恵みと~」と皆で唱和する。これで統一の価値観を共有・再認識します。
※意味はすごく深くて大切なことなので、またいづれ別の記事にて書かせて頂きますね~
昨今は神職による犯罪や事件など多いのですが、仕えるのもしょせんは人間です。そこに坐されます神様とは何の関係?もなく・・・・といえば極端ですが、神社という場所で神道をいう本を守る店員さんの役目、、、、の認識で間違いありません。
店舗の大小に関わらず、ただ漠然と、または生活の為だけに勤めている本屋の店員さんがいれば、とことんまで本を愛し熟読して自分の身を律し、より本を愛そう、本を大切にしよう、お客さんに喜んで貰おう、探している本を分かりやすくしておこう、と考えている店員さんもいるということと同じです。
神社がボロボロだった。あそこの神職さんはいつ行っても挨拶もしない。神社が美しく造り変えられていた。あそこの常勤している方は神職さんではないのに、いつも笑顔で挨拶を返してくれる。
・・・自分たちの祈りと、そこで何を感じ創造し、何に活かして行くのか・・・・まったく関係ないとは言い切れませんが(やっぱりきちんと氏子さんに愛され、規模は小さくても真心からお祀りを斎行している神社は神様もお喜びになり、美しいものです!)
神域にお邪魔し、場所を借りて頭を垂れ、祈らせて頂く。
神性に触れ、自分の神性を目覚めさせる。
これを頭の片隅に入れておいて頂き、祈ってもらえればまたいつもと違うよい空間、よい時間になるかも知れませんね(^^)
真心もって祈れば、真心がかえってくる。
それは人を経由して、自分の抱えている問題を経由して、そっと神様は教えて下さるかも知れません。
もっと偉大な力をもつ神様であれば、病を消すヒントや自然災害を抑える力、この国を良い方向へと導く力を持つ神様も大勢いらっしゃいます、、、、ってか、日本は珍しく、個性豊かな神様の数そのものが多い国です(笑)
ただ今は、我欲よりも国の安泰を願ってくれた方が神様もお働き甲斐があるかも知れませんね。
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コメント:2
- 匿名 21-07-03 (土) 22:24
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村雲さん。
こんばんは。
最終のスレッドにコメントしています。
届くといいな。
「暗黙知」について考える機会あり‥今なんですけど‥
自分なりに解釈をしてみました。
それらの割合は、
自身が得た知識か、持って生まれた感性か、‥(おかれた環境であったり)‥色々ありますが、大きく - 管理人 21-07-11 (日) 16:23
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匿名さん
こんにちは匿名さん。コメントありがとうございます!
と、途中で切れてる、、、、(;_;)