- 2017-01-17 (火) 13:43
- 神様
さて、いつもお世話になっている方の記事に影響をうけ新年一発目の神様紹介は、
ここ 『こんぴらさん』 との愛称で呼ばれる、
「金刀比羅宮(ことひらぐう)」。
いわずと知れた全国の金刀比羅神社・琴平神社・金比羅神社の総本宮。神社庁という宗教法人に属しながら、宗教法人金刀比羅本教の総本部でもあり、摩訶不思議な存在・・・・・・
なかでも、一番不可思議なのは・・・・・・
いわずもがな、ひと目みれば忘れられない、この「御朱印帳」でしょうっ!!!
実はこの御朱印帳。結構、福岡でもお見かけします。
下手すれば、神宮(伊勢の神宮)の神宮林用木材を材料としてつくられた木製朱印帳
よりも目にするかも・・・(-_-;)
ってか、一度目にすればおもわず二度見したくなる・・・・
大変失礼な話ではございますが、初めてみた日は、
「へぇ~こんな”オリジナル”の御朱印帳があるんだ~お孫さんか誰かが書いた似顔絵なんかな??」
なーんて思ってましたが、、、、
これ、「笑顔元気くん」という、きちんとした名前がついておりまして、こちらの宮司さんが書いたイラストだそうです・・・・・
えーっと・・・・・・・・・・いろいろ、すごいです(*´Д`)
んで、そろそろ本題に入りますが。
明治政府がだした神仏分離(神仏習合の慣習を禁止し、神道と仏教、神と仏、神社と寺院とをはっきり区別させること)以前、「金毘羅宮」の前身は、
「象頭山松尾寺金光院」
であり、当時は「金毘羅大権現様」と呼ばれる方が祀ってありました(´ー`)
開山の由来は、あの鬼をも使役した古代の大呪術者、霊験豊かな 『役小角』さま。
管理人のなかでは、後世の陰陽師 安倍清明さんが
「型・形」
で呪を駆使して、鬼を操る人であるならば・・・・・・
役小角さんは、
「気・魂」
で呪を練り上げ、鬼や神を縛る野性味あふれた呪術者のイメージが強いんですが。。。。。
この飛鳥・奈良時代のファンタジスタ 「役小角」 さんとは、古代日本においての最強の呪術者。
その一面がクローズアップされがちですが、本来は
「修験道の長・開祖」
ともいわれている、飽くなき道の探求者、厳しい修行と自己鍛錬を忘れず神仏に近づかれた功績高い方でもございます。
「修験道」とは、もともと、神奈備(かむなび)や磐座(いわくら)を信仰の対象とし、そこに日本古来の「山岳信仰」や外来の「仏教・密教」があわさり、自然と向き合うなかで己自身を鍛錬し、気を高め、
『自然』=未知なる力、神の源流
と向き合い、その中で「悟り」というものを得、それを体現しようとされる道。のちには立派な”信仰”として今でも残る、アニミズムが「八百万の神」として、「人格神」へと移行するなかでもう一つの”支流”としてわかれた厳粛なる道でもございます。
役小角さんは、オドロオドロシイ伝説なんかもいくつか残っておりますが、管理人が考えるに
「すべてをかけて探求しよう。」
とされた”永遠の探求者”だったに違いありません。
その結果として、今では有名な熊野をはじめ全国に散らばっても色濃くその道は残っているのかと推測しております(´ー`)
ちなみにこの修験”道”。
”道” となれば、信仰対象はあくまでも「自然」。
きっかけは、役小角さんに教えを授けた、
「金剛蔵王菩薩(こんごうざおうぼさつ)」。
でも、”道” となれば本来は教祖も教典もない。
ちなみにこの菩薩さまは、インドに起源をもたない日本独自の仏さまらしく(ウィキペディア参照)なんだかんだで全ての天神地祇を包括・司っているらしいです(・_・)
(すんません、手抜きで・・・・)
なので、明確に、『〇〇の神』 や、『○○権現を信仰し・・・』 などの意味合いは若干、薄く・・・・
結果として、「神道」との関わり合いも、、、、薄い。
これが、なぜ今回の、神様紹介「金毘羅宮・金毘羅権現」さまと関わりがあるかというと・・・・・・
ちょっと長いので一旦、切ります(*´ω`*)
つづく。
- 次の記事: 金刀比羅さんと役小角②(神様紹介⑭)
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コメント:2
- のん 17-01-17 (火) 17:58
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小角さまのお話とは嬉しいですね。わたしが子供の頃は耐寒登山と言って小学高学年になると若き小角さまが修行された金剛山に否応なしに学校から登らさてれました。山頂で食べるカップラーメンは何故かとても美味しかった記憶。一度成人してから冬場に登って初めてホワイトアウトを体験しました。あの時は怖かった。育った場所から三国連山がよく見えたのでとても身近に感じます。
- 管理人 17-01-19 (木) 16:26
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のんさん
そんな所縁の深い場所に子どもの頃から親しまれるなんて、羨ましい・・・・・今年もよろしくです!(^^)/