- 2016-01-10 (日) 13:21
- 村雲友人帳
えーっと、今年からはじめたい記事のひとつ、「村雲友人帳」 の一回目!緊張します。
管理人が18歳の時、はじめた居酒屋のバイト先の先輩Yさん。今ではもう22年のお付き合いで、へたをすれば親よりも一緒にいる長さが長いかも?(笑)
とても優しく、、、、そして頼りなく。おかしなところで急にマイナス思考のどん底まで落ちたり。
ほおっておけない人柄の柔らかさと、無邪気さ。要領はよい方ではない。努力ももちろん、好きではない。
前向きなのか、ノー天気なのかよくわからない性格ですが、とにかく親友と呼べる今年で43歳(だったかな?ごめん、覚えてない(笑))です。
結婚式の代表スピーチもお願いしました。
そのスピーチの紙も、まるでコントのようにマイクの前にたった時に懐にはいっていないことに気づき、、、、、慌てて席にもどってテーブルクロスをめくりまくっているような、優しくてどこか抜けた愛嬌の持ち主です。
お子さんは2人。もちろんYさんの結婚式で自分もマイクをにぎらせてもらいましたが、なぜか涙がとまらずスピーチにならなかった、、、、周囲もドン引きでした(苦笑)
居酒屋のバイトを辞め、自分もYさんもいろんな仕事を転々とした末、20代後半で看板屋にはいり、そこでデザイナーとして看板や名刺・チラシのデザインをモクモクとやり続けてました。
自分もピンチのときにはYさんの紹介でその看板屋さんでアルバイトをやっていた時期もありましたが・・・・その看板屋さんも倒産してしまい、もう7年前ぐらいから独立してアルバイト2人を雇い、今は家族のため、そして雇っている方々の人生のため、必死で働いています。
自分は当時、看板屋のアルバイトでは 営業 兼 施工 の手伝いをさせてもらっていましたので、今でもYさんが忙しい時は手伝いにいっておりますが、、、、、
まぁ、最初なのでどこまで書いてよいのかわかりませんが・・・・・・
とにかく忙しい。
人が良いから、すべての看板を安く引きうけてしまう。
そして、忘れ物が多い。ひとつの現場で必ずと言っていいほど、ひとつの道具は忘れがち!(爆)
でもですね、、、、当時、居酒屋のバイト時代は自分が19歳。Yさんが23歳。看板屋では自分が24歳、Yさんが27歳。
とにかく若かったんですよね~徹夜の作業も、クレームがはいって何度もやり直した捨て看板も、とにかく楽しかったんです!当時は若い人たちが20名近く常にいましたからね~みんなで、冗談いったり、ふざけたり、愚痴をいったりケンカしながらでも、どんな作業も ”楽しんで” やってました。
同じ苦難をのりこえてきた戦友です。
「若い」というのは財産で、一生懸命にさえすればどんな人たちも可愛がってくれたし、それで調子にのって割と好き勝手にやらせてもらえたし。
人生の、どのページをめくっても隅っこの方にかならず登場しているようなYさん。
いつも甘えさせてくれるYさん。
そんな二人でも、ある日大ケンカして1年半以上、連絡をとらなかった時もありました。
それはYさんが婚約者を紹介してくれた時からでした。
今では自分の迂闊さを責めるばかりですが、つい口をすべらせYさんの結婚に反対したのが自分でした。・・・・・今思えば、表現がおかしいんですが・・・・たぶん、奥さんにYさんをとられたくなかったんでしょうね・・・・・・なんだそりゃ(苦笑)
ひさびさの再会が、Yさんの結婚式というのもあって自分は泣いてしまいました。Yさんと奥さんへ、お祝いのスピーチのはずが・・・・勝手に奥さんに向かって、「Yさんをよろしくお願いします・・・・」 と。そこからは泣きすぎて言葉が出ない、、、、、Yさんも泣いちゃって、ほんとうによくわからない修羅場でしたよ(苦笑)
そんなYさんの、現在のいつもの口癖が、
「オレ、いつまでこんな作業をやってんのかなぁ~・・・・・・」
面倒な作業(野立て看板の枠組みの作業や出力をだしてカッティングシートを張る・切る作業)の時には決まってこうぼやきます。
「いいやん、死ぬまでやろうぜ!むしろ、カッターもったままラオウのように仁王立ちしたまま、死のうよ!(爆)」
「へへへっ、、、そやね(苦笑)」
こんなことを、もう10年以上やってきたんですからね~
会社を立ち上げる時、借金にまみれながらそれでも安い作業代で今もこうして生き延びながらいろんなモノを支えながら、時に笑いあい、時になにかに憑りつかれたように落ち込んでブルーになってしまうYさんを、自分は尊敬し、また愛してやみません。
下請けの末端作業会社は、一度大きな会社から仕事を引き受ければそれ以降はなかなか断れず、Yさんの人の好さもあってか使い勝手のよさかわかりませんが、いつしか金額で殺さず死なさず、ボロボロになっていきます。
あまりにも忙しく、他にはいった単発の仕事も断らないといけない、、、さらに大手に依存しなければ生きていけない悪循環におちいるのが世のならい。
中小企業の方々や、ブルーカラーの1人親方の方ならわかってくださる方も多いと思います。
22時をすぎ、家にかえればまだ起きている子どもたちを 「こら、早く寝なさい!」 と叱りつつ、顔がみれた嬉しさで・・・・ここの狭間が一番、辛いと。
それでも毎日、朝がくれば愚痴とカッターの手をとめないYさんを自分はどちらかが死ぬまで応援しつづけます。
いつか自分に、ちょっとおっちょこちょいのマネージャーが付いていたら、、、、、、
それは食べれなくなったYさんに間違いありません。
みんな、優しく接してくださいね。大切な親友ですから(笑)
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コメント:6
- 千恵 16-01-10 (日) 16:16
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奇跡の看板屋さん(村雲友人帳①)おめでとうございます!
村雲さんはYさんのことをお兄ちゃんのように慕って
いたのでしょうね( ^ω^ )/ 素敵な関係にキュンってしました。
結婚前からの仲間って言葉では表せない絆があるんでしょうね。
特に、男性の場合は妊娠出産が無いので(笑)
ずーっと、ある意味「男の子」のままですもん( ^ω^ )
男同士の色褪せ無いキラキラな思い出が羨ましいです。
奇跡の看板屋Yさん、応援しています!!
これからも村雲さんと魂の兄弟(永遠)でいてください♪ - ちゅみ 16-01-10 (日) 17:23
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こんにちは(^^)
村雲さんの歴史を垣間見るほっこりしたお話ですね(*^^*)
友人かぁ・・
私は友人が少ないので多い方はきっと人間が出来ているんだろうなぁと思っています。(本気で)
私が友人と呼べる人は5人もいない(^_^;)
その少ない友人の中でも40年近い友人は仙台と横浜・・もう20年以上会っていない・・電話で話せばあっと言う間にいろんな話しで盛り上がれるけれど・・仙台の友人は今や住宅建設会社会長の奥様。ご主人が一代で築き上げた会社だからその苦労も並大抵では無かったと察するけど、東北の震災にもあったし、それでもいつも私に元気をくれる。
横浜の友人も介護ヘルパーの資格から今はソーシャルワーカーとして活躍している。知り合った若きし頃と変わらぬ、とても勉強家。
二人共、主婦であり母・・すごいと思う!
中学生の時からの友人は何年か前に乳がんを患い片方を全摘した。今も日々戦いながらも独身を謳歌している。
みんな、何かしらと向き合いながら頑張ってる(*^^*)
考えてみたら私の友人達は愚痴を言わない。いや、言ってるけど全部笑い話にしていつも笑い飛ばしている(^^)
友達って良いね・・
久し振りに電話してみよっかな・・(*^^*) - ひのじ 16-01-10 (日) 19:59
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なんでやろ
うるうるしてます。
ええ年こいたオッサンがうるうるしてます。
村雲さん、いいですね。掛け値なしでいいですね。
10年住んだアパートを今日退去して、新居での生活が始まった人生の節目に出会ったこの記事に、
オッサン泣かされました。
有り難うございます。
あ、先程神棚受けとりました。
今からワクワクしながら開封させて頂きます。 - あずき 16-01-10 (日) 23:36
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良かったー。切なくて胸が締め付けられる様な、成仏して(?)儚く消えてしまう友人帳とかじゃなくて(笑)現在進行形ですね。
かけがえのない宝物ですね、友達って。
あ、けど・・・
冒頭で書いた様な切ない話も聞いてみたいですね。
どうしても記憶から消せない、今ではもう会えないけれど、縁が切れてしまったけれど、生涯忘れえぬ人の話を。 - 京都の熊 16-01-11 (月) 1:30
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こんばんは 村雲さん
京都の熊です
始まりましたね、素敵企画 「村雲友人帳」!
素敵なお友達ですね:D
なんだか憧れますね〜
私は友人少ないですが、親友は二人います
学生時代に出会いました。
二人とも 勉強家で決断力があります。
尊敬できる自慢の友人達です。
なんだかほっこりしました^_^
私も久々に電話しようかな〜〜〜!
奇跡の看板屋さん に宜しくお願い致します! - HAZUKI 16-01-12 (火) 20:06
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待ってました!この企画!
ジーンときました~^^
次回も待っています!