- 2015-11-18 (水) 14:28
- 教訓
最近、お嫁さんから 「ちょっと、”携帯依存症” になってない・・・?」 っていわれてしまった(汗)
なんでそんなに携帯と向き合う時間が増えたんだろう、、、、と考えてみると、どうやら主な原因は ”メール” にあるらしい。
自分が携帯をさわる時間でなにに一番時間をつかっているかというと、”メール”。
プライベートでの友人とのメール・LINEのやりとり、ブログのチェック、お問い合わせからのメールのやりとり、最近では出張鑑定・福岡鑑定のスケジューリングのやりとり、神棚屋さんでいただいたセミオーダーの神棚の打ち合わせのやりとり、ツイッターや旅行の際はカメラの替わり。写真をとったらさらにツイッターにアップ・・・・・・・さらには気づいたらいつの間にか着信があってる電話・・・・・
いつの間にか友人の中では 「なかなか電話にでない男」「メールやLINEを流す男」 と定評になってしまったのですが(苦笑)、作業が終われば空いた時間でちらほらとニュースを流し読み・・・・・などなど。
「すみません、電話に気づきませんで。」
「バカヤロウ、首からぶらさげとけって!」
結局、スマートフォンはすぐ手元に置いてあるんですけどね(汗)
かたくなにガラケーで押し通していた自分が、ちょうど、ガラケーからスマートフォンに替えたのが去年の今頃だったかな?
「めちゃくちゃ仕事がやりやすくなるよ~」
と友人にいわれ、
「それなら出張鑑定の時に便利だなぁ~」 と考え、(それまではノートパソコンを持ち歩き、扱いが悪くすぐにダメにしていたわたくし・・・・)それがきっかけだったけど。
うん、確かに仕事は各段にやりやすくはなった。
”異常なまでの” 方向音痴の自分は、時々このスマートフォンが神様以上に頼りになるし、はじめはもう 「これが次世代の神様か・・・」 とおもったぐらいに感動しましたよホントに(笑)
すべての業務が、仕事もプライベートも、なんなら人生を綴っているこのブログそのものも、この手のひらにおさまるバカ高い電話・・・・じゃなくて、もうすでに家電(バッテリーが切れればただの、機械)に集約されているわけですからね~
「いつでも、どこでも仕事ができる」
のは、そりゃ便利。だって、その便利さのためにあえて、このスマートフォンという家電に自分で集約させたんですからね。
「便利さのために」、、、、そう、最初は 「時間の節約」 のためだったんです・・・・・・
ところが今は、用事もないのに自ら携帯電話に 「すり寄って」 しまっていることに気づく。
ご飯を待っている時にも、電車にのっている間も、鑑定での待ち時間も、おもわず手が携帯にのびてしまっている恐ろしさ・・・・・・・・・。
連絡や情報のやりとりは確かに便利になった。
どんなに遠くても、どんなタイミングでも、どんなに希薄な人間関係でも、いとも簡単に人と人が繋がれる世界ができあがった・・・・いや、自分が望んでつくりあげてしまった。
直接、面等むかっては伝えられない言葉や、電話ではいえないことも、「文字だけ」だとよいもわるいも伝えることができる。
電話だと声のトーンで察することができる内容や感覚の部分でさえ、「文字だけ」だとどこまでも、”受け手” が掘り下げていろいろと考えなくちゃならない(汗)
ひとつ、微妙な誤解を生んだらその誤解を解くのにまたかなりの時間がかかる。
メールが流行った時代、ある時読んだ文章に、
「メールは感情を伝える手段ではありません。”情報の交換のみ” です。」
って内容があって、なるほどなぁ~そりゃそうだと一人納得した思い出が。
空いた時間に、好きな人と好きなやりとりをするだけになってしまったので、知らないうちに閉鎖的な空間をつくってしまいやすい。
「うぃ~っす。おっす、おっす。」
「どもども。」
「今日、行ける?」
「今日、無理。」
「OK~またね~」
「ども~」
実際に村雲の携帯をまるまる写したんだけど。
あらためて文章にしてみると、酷いね、これ(苦笑)
でも楽なんだよね~自分を知ってくれてて、こちらも相手を知っている間柄って。これ、他の友達とやったらケンカだよね。人間、楽なほうに楽なほうにと、かたよっていくんですよ、、、、、
LINEやメールでの情報交換を責めているわけではなく(文字だけだとこんな説明も必要になる(汗))、、、、、ブログにしてもブログ内容(情報)をきっかけに、生の現実で自分の価値観・自分だけの真実を ”構築&破壊&再構築” していってくれる人(ようするに頭でっかちにならず、行動できる人。勇気がある人。より豊かな人生をおくれる人)なら使い方としては上出来だけどね、、、、
もう他のサイトをみる時間も、よほど興味のあるリアルな知り合いのサイト以外、みる必要もなくなったけど・・・・・・
いわゆる、「情報発信者」が発言して、「その他、大勢の人たち」 が一方的にかたよったコメントを残している内容のブログなんかをみた時にはちょっと怖くなってしまった。
書き手にも、読み手にも”悪意はない”としても、なんだかなぁ~・・・・・と。
(ありがたいことにウチのブログは書き手がめちゃくちゃなので、読み手のほうがしっかりしてくれて書き手も学びが多い・・・・というメリットはあるけれど)
「LINEやツイッター、Facebookで人間同士の距離感が縮まった」
と見せかけて、実はかなり遠のいてしまっているのではなかとさえ、思う。
同じ価値観だけを「共有」するのが「共生」と勘違いして安心してしまい、酷い人になればいろんな ”情報のみ” をつまみ食いして、うまく社会との価値観をすり合わせできずに ”自分の価値観のみ” を肥大させてしまっている人たちさえもいる。
本当はそうじゃない。って、心のどこかで気づいているのに周りをみたり見比べたり、ビクビクしては余計に価値観のあう仲間だけをさがしてはホッとする。
「どうせ人間関係なんてこんなもんだ」とさらに自己の価値観だけを固めてしまう。
(だいたい、なんでも簡素化しすぎなんだって。もうFacebookで 『いいね!』 押す人は、その度に直接電話するなりハガキだすなりして、「いいね!」 って伝えてやってよ(笑))
「社会の価値観とのすり合わせ」
これは学びもあれば、傷つくことも、またそのなかにも喜びもあって、成長のためには必要不可欠なものなんだけど。
やっぱり生身で生きている以上は 「生の社会」 とすり合わせなくちゃいけないものだと思うんだけどなぁ~
その ”すり合わせ” さえも、ネットの情報さがしに明け暮れ、ああでもない、こうでもないと思い悩む人もいる。嘘かホントかわからない情報と自分を比べて、落ち込んだり悩んだりしてみたり。喜んでみたり、嬉しくなったり。
ちょっと前に一番おどろいたのが、あるメールです。
「○○県に住んでいるんですけど(かなり遠い県)、弟子になれますか?メールで指導してくれませんか?電話でも大丈夫です!村雲さんはスカイプはされていますか?」
読んだ瞬間、ちょっと固まってしまいました。
「いや、そもそも弟子をとれる身分の人間ではないのですが(汗)・・・・えっ?ええっ??」
まず ”生身の村雲” に会ったことがないと言う。
直接、電話でも喋ったことがない。とのこと。
ある意味、大変ありがたい話かも知れないけれどね、、、、、しかし、家族で共有しているダイヤル式の黒い電話でそだった自分にとっては、どこからどう突っ込んでよいのやらわかりません。
断るのにも、相手の理解をえるにメールのやりとりで、相当な時間と気苦労がひつようでした。
その「勇気」や「行動」は、頼もしいやら微笑ましいやら。
でも、それが自分の娘なら、、、、、
きっと、「なぜそうしたのか?」 を一から百まで娘の話を聴いてやって、ひっそりと一人になって神棚の前で日本酒飲みながら泣くね。たぶん。
自分の娘だったらきっと、カワイイ娘だろうからさ(笑) カワイイから怒れないし、でも幸せになって欲しいし、勇気と行動は認めてやりたいし、でも犯罪には巻きこまれて欲しくないし、でも結局は、、、、、、、、、、
、、、、、自分の娘がそうしたのは 「親の背中をみて育った」 んだろうし・・・・・
たぶん、泣く。
あつかましくも週に一度は泊まりにいってご指導を受け、同じご飯を食べ同じ風呂に入り、布団を引っぱりだしては隣の部屋で返事がなくなるまで質問ぜめにしていた時の 「師匠と弟子」 の関係とは、もう随分とちがってきたんでしょうね・・・・・・まだ16年しか経っていないんですけど。いや、もう16年か。
前にめったに連絡ない友達とご飯を食べにいって、料理がきたから食べようと思ったらさ。
「ちょっと!写真撮るから、先に喰うのヤメろって!」
って怒られてしまったよ(汗)
いや、自分ひとりのご飯ならそれでもいいんだけどさぁ、、、、
普通、食べるでしょ料理がきたら。腹減ってるからここに来たんじゃないの?あったかいものは、あったかいうちに食べるものじゃないの?写真撮るなら別にいいけど、一言ぐらいいえよ、、、、って話。
「・・・ったく、、、お前のFacebookごときに何人が、本気で興味あるのか知らないけどさぁ。もういいやん、載せるほうも押すほうもただの自己満足なんだし・・・・・」
「村雲はそういう性格つづけていると、友達なくすよ?」
「わかった。今度、お前が本気で”友達”って思うやつに会わせてよ。その人にさ ”こいつは本気であなたのこと、友達って思っているそうです。もしもあなたが本気でこいつのことを同じように考えているんだったら、「いいね!」 を押すのヤメテください。リアルな友達なくしますから” って伝えてやる。その後、”この写真のどこが良いと思ったのか” を納得いくまで、徹底的にきいてやる。」
「・・・・・お前、うざい。」
とても楽しい食事会になったことは言うまでもありません。
自分の勝手な考えだと、「いいね!」 を100回押してくれる100人の友達よりも、電話一本で 「なんかあったんじゃないか」 と、心配してきてくれる友達1人いたほうが人生充実しそうなんだけどなぁ~
まぁ、情報の収集や拡散、その他、遠くでなかなか逢えない知人や友人の近況や生存確認にはSNSはかなり有効なんですけどね・・・・・こんな時代だからこそ時々は、「ハガキをだす」・・・・なんかも余計に喜ばれるような気がしております。
今でも、手紙を書くとき・もらう時はドキドキします!
今では、「携帯電話」という便利なものを小学生にまでもたせている時代。
お蔭で犯罪に巻き込まれる可能性は高くなるは、ゲーム同士で通信ができて小学生にゲームや携帯電話で「肩こり」が増えているらしいですよ・・・・・
でも、すぐに連絡したい際の電話。塾や習い事でのお迎え、リアルタイムでの通信。迷子や犯罪に巻き込まれた時のGPS機能。
・・・・・う~ん、なにがよくて、なにが悪いんだか。
このまま、地面に穴掘りまくって最後は自分たちが出られなくなっちゃうのかな・・・・・(泣)
うちのお嫁さんなんか、田舎生まれの田舎育ちなんで(かなりの褒め言葉(笑))Facebookをなんなのか知らなければ、ちょっとは小耳にはさんだことがある言葉だったんでしょうね、、、、、Facebookを、なぜか「フェイス・ブック”ス”」 と勝手に複数形にしてましたもんね、、、、、、(汗)
ガラケーからスマートフォンへ。
時代は 「まとめよう、まとめよう。より便利に。」 が主流になってきましたが、気づかないうちにその波にのまれてしまって ”大事な時間” をかなりダダ流ししていた挙句、”大切な時間” さえ流していた管理人の、自戒をこめて(笑)
便利になろうとおもったら、余計に不便になった上に大事なものを見失ったり。
ようはバランスよく、そこに「自省」や「反省」、「勇気」や「行動」がある使い方が一番いいのかな。
今はひとりの時間は、手帳を書いたり、本を読んだり、未来を想像したり、勉強している時間が一番幸せです。
あと今更ですが、、、、、
携帯電話はまだ確認はされておりませんが、「電磁波の後遺症」 が危ぶまれております。(これも証明されていない、想定のレベルです)
そうなった場合、一番怖いのは ”脳みそ” への影響。目覚ましのアラームがわりに携帯を使っている方は、できれば2m以上は ”念のため” 離しておいてくださいね~
『不妊治療』 や 『子どもを望んでいる方』 も、結構「ルナルナ」 のアプリをいれていらっしゃる人が多いでしょ?便利なことには間違いない!
・・・・・が、あれも少し考えた方がよいかも知れませんね、、、せっかく、がんばっているんですから、使う時は使って、なるべく画面を早く閉じる。
外出の際は仕方ないけど、家の中ではなるべく近くに置かない。”念の為”に。
おわり。
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コメント:5
- 千恵 15-11-18 (水) 16:57
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村雲さんは、依存症とは違うでしょう(=゚ω゚)ノ
スマートフォンは村雲さんの相棒君、いい仕事してます(笑)
電磁波の脳への影響は…もう100%誰にもあるでしょうね…。
目覚まし代わりに携帯を使っている人は頭もとに置くでしょ。
ほんと、、これヤバいでしょう(◎_◎;)
放射能と同じように、電磁波の影響で心身の不調は、
あまり認知されていないようですよね。
文明の利器は、いつも危険と背中合わせ、、、。
使う側が、しっかり取捨選択するしかないですよね(´-ω-`)
奥様は、スマートフォンにジェラシーなんじゃないのぉ~?
スマートフォン触りまくるより、奥様を触ってあげなきゃぁ(笑)
失礼いたしました( ̄ー ̄)v - あずき 15-11-18 (水) 23:21
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あー、わかりますねぇ。
そんなに頻繁に繋がろうとしなくても、本物の友達ならば繋がってますし。暫く会えないとか、半年に一度くらいしか会えなくても、ずーっと話していられますし。
Facebookで「いいね」しなくてもされなくても、LINEで既読がついて返信が1週間遅れになっても全然揺るぎません。
確かに連絡取ったり情報を得るのは便利ですけどね、スマートフォン。私も必需品です。気がつけば触り続けていたりもします(笑)
けれども。
どうしても「本当の気持ち」を相手に伝える時は、必ず手紙を書きます。絶対に手紙派です。時代錯誤だと言われようが字を間違えて修正テープを使おうが、字が達筆でなかろうが、自分の文字を書きます。
便箋や封筒の色や柄もあいまって、心を込めやすいんですよね。
やはり、手書きは伝わる効果が絶大です。 - さるたひこ 15-11-18 (水) 23:39
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こんばんわ。
>スマートフォン触りまくるより、奥様を触ってあげなきゃぁ(笑)
いいね! - 匿名 15-11-19 (木) 13:09
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管理人様 こんにちは。
いつも楽しく拝見させていただいております。今回、あまりにも自分にとってホットな話題でしたので思わずコメントさせていただきました。
ケータイ離れと銘打って 友人と手紙の遣り取りをしてみた時の話です。軽い気持ちで提案したことでしたが、予想以上に筆が進まないことに愕然としました。もしかしたら、作文などを書いていた小学生の頃の方がよほど心打つ文章が綴れたのではないか、と思うほどでした。
また、これまでに戦時中の若者の手記や、川端康成が綴った恋文などを読む機会がありましたが、いずれの文章も現在の私よりも ずっと豊かな表現をしていることに気が付きました。これは相手を想う心と想像力とで成し得たことではないか、と考えています。
このことから、人は生活に便利さを得たことで、本来人間に備わっていた能力を退化させる方向に進んでいるのではないかと考えるようになりました。そして、こんな時代だからこそ時には不便に生きることも大切にしていきたいと考えるようにもなりました。
長文かつ雑感になってしまいましたが、今回の管理人様の記事を読んで、改めて今後の生き方について個人的に考え、行動する機会を頂いたことに感謝します。ありがとうございました。
追記 ポストを覗く高揚感をいつまでも大切にしたいものですね。 - 管理人 15-11-19 (木) 14:07
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千恵さん
「スマートフォン触りまくるより、奥様を触ってあげなきゃぁ(笑)」・・・・あのねぇ・・・・(苦笑) 女心なんて一生、わからないのが男だと思った(汗)
あずきさん
手紙派に賛成!でも、「便箋や封筒の色や柄もあいまって、心を込めやすいんですよね。」・・・・・これは凄いですね、、、、ここまで考えたことがなかった。さすが、女性です(汗)
さるたひこさん
Facebook、ついでに 「よくね!」ボタンもつけて欲しい(爆)
匿名さん
ウチのポストはピザ屋さんの広告しかはいっておりません。まぁそれはそれで読んでるだけでも楽しい気持ちになるから嬉しいんだけど(苦笑) でも、「脳みそが退化する」⇒「エネルギーが少なくてすむ」⇒「退化ではなく、これも進化?」 ってなってるらしいです、、、、なんか怖い(汗)