- 2012-09-15 (土) 1:37
- その他
雨は止んだようですが、空はまだゴロゴロと雷が鳴っております。
カミナリの神様、、、といえば自分の大好きな菅原道真様なんですが、「雷」の音を聞いて最初に思い出すのは・・・・・実は自分の兄弟子にあたる方のお筆書きによく出てこられた「雷」とたった一文字署名を残して下さる神様ですね。どこのどなたか、本来のお姿はわかりません(おかしなグループで、自分たちは自分たちにお降りくださる神様も含めて”本当はどこのどなたか?”ということにまったく関心がないんですよね(笑))
カミナリの音を聞いて思い出しました。話は13年前の思い出話になるんですが、お暇な方は付き合ってくれれば幸いです(笑)
当時は弟子入りしたての自分は師匠の弟子の中でも一番の年下でして。
右も左もなにもかもわからず、「神様、すっげっ!!!」ぐらいの勢いだけでしたね(苦笑)兄弟子たちも皆、明るく楽しい方々ばかりで歳もみんな2~3歳しか離れておらず、まだ30歳代はひとりもいないやんちゃざかり・・・・・・・入りたての自分をかわいがってくれました。
神祭前までには冗談が飛び交い、(うわぁ~・・・そこまで言っちゃっていいんですかね、罰当たりませんかね・・・・・・)内心、それだけが心配で心配で。
「祈ってる時は○○さんが少し宙に浮くから、目を離さずにみておけよ!」
「おい、珍宝(チ○ポウ)の神って知ってるか?」(注・そんな神様いらっしゃいません(汗))
今考えても、恐ろしいやら神様に申し訳ないやら・・・・・若さってホント、怖いですよね~でも当時はみんな”純粋”だったんですよ。師匠も「あんまりバカな事は言うなよ。」と一言真顔で注意して、後は黙認・手放し状態でしたからね~(笑)まぁ当時は入っていきなり大きな神祭があって、緊張しまくりのトイレ行きまくりの自分を先輩方はリラックスさせようと、、、、、きっとそうだ、そうに違いない(爆)
若さもある分、おかしなことに祈る時は本気で真剣でした。
祈る時は我欲もなく純粋で、”祈れ”と一言言われれば何時間でも座って手を合わせ、一心に天津祝詞を挙げれるメンバーでしたね。師匠の家の6畳の部屋の中、デカイ神棚とコタツが家具のメインの部屋で、皆で紙を並べてはそれぞれの神様方々に真剣に言葉をとりまくりました。当時は一晩で習字紙にすれば100枚200枚はざらに使ったんじゃないでしょうかね・・・・・・必死だったんですよね~少しでも神様の真意を拾い集め、それぞれの神様に納得して貰う神祭りにしようと。ただそれだけが生きがい・・・・・といえばオーバーになりますが、自分は職人の見習いをやってて、他の先輩方も正職についたり家庭があったり。
仕事が終われば皆、疲れた体をひきずってでも師匠宅に集まり、コタツに入ってそれぞれが持ってきた缶コーヒーをみんなで分けて啜りあう。でも、一度神筆を取り出したらとてつもない集中力で、筆を走り出す。師匠はタバコをふかしながら、時々質問したり、より深い内容やわからない箇所を尋ねたり、他の神様に他の霊台を使って言葉を貰いなおしたりと指示も忙しく。
(うわぁ~兄弟子たちすげ・・・これじゃぁ、自分の筆は役に立つんだろうか・・・・)
(ひとりだけ意見の違うことを書いたらどうしよう(泣))
(あの先輩の筆書き、マジで洒落にならんぞ・・・・・・・・・)
とまぁ、内心は興味津々だったりわくわくしたり、ドキドキしたり。
慣れれば同じ歳の男ばかり、内心にライバル心が湧き出たり。
時々、気づかない内に空が明るくなってきたりして・・・・・眠たい目をこすりこすり、それぞれが職場へ出勤していったりと(笑)もう、なんていうかこれが24歳からの ”青春時代” でしたね。とにかく楽しかった。
歳月は流れても、まぁ似たような事ばかりやってきた訳ですが、、、、大人になればそこに知らぬ間にそれぞれの新しい問題や責任と共に欲も出てきて・・・・・・まぁその話は長くなるのでまたいつか。とにかく望んでか望まずしてか、過去を思い出せば人と違った人生・時間の使い方でしたが、その分得たものも大きくて・・・・多分、それがないとどこか不完全燃焼だったり、満足できない人間たちの集まりだったんでしょう。今でも兄弟子たちと顔を合わせれば、たくさんの普通ではできない思い出話で笑い合えるのもありがたい話かも知れません。
その中でも、いえ皆さんどこかで尊敬できる兄弟子の方々でしたが、
「絶対、この人には敵わんなぁ・・・・・・」
と心から思える、逆立ちしても自分が2000年生きたとしても無理だろうと思える、兄弟子の方から出てくる「雷」さまと書かれる署名。もちろん、師匠の筆書きは今でも情に満ち溢れ、自分が求めて目標にしている筆書きなんですが、その兄弟子の筆書きは本当に不思議なんですが、なぜかしら心に響くというか・・・・・・・貫かれて、そのまま天空高く舞い上がるようなお言葉の数々・・・・・まさに”イカヅチ”でした。今もって不思議です。お仕事も日本人なら絶対に知っている大企業の役職つき、仕事が忙しくもうほとんど筆はとられてないとのことでしたが、またいつか機会があったらぜひ今の自分にお言葉が欲しい・・・・・・・・欲を言えば、真剣に言われて立ち直るのに何ヶ月もかかったら嫌なので、やさしく怒って欲しい・・・・・感じ(笑)
24歳で弟子入りさせて頂き、弟子入りした2週間後にあった神祭、大祭の祈っている最中・・・・・・
普通は言葉が下ってきたら、それぞれが祭主である師匠のところに渡すんですが、一枚だけその兄弟子から紙が回ってくる。
「・・・・・・・心を中立に保って祈り、・・・・・・・・・」
(うわっ、やっぱり自分の祈りが祭りを邪魔してるやんっ!!!!)
すっげー申し訳ない気持ちと、どうしようと焦る気持ちの中、自分は祈りを中断してその筆書きを食い入るように見つめ、考えてみる。・・・・・一体、自分の祈り方のどこに間違いがあるのか??
まわりはいろんな師匠の知り合い、社長さんからどこぞの会社の偉い人から、主婦から飲食店の方から、もう何十年も師匠宅に通っている信心篤いおばあちゃんから、祈り手の助っ人として師匠が他県から呼んでた人やら・・・・・・・
そんな人たちが、こういっちゃ悪いけど決して広いとは言いがたい部屋の中で皆、一同に心を込めて祈っている時に、なんだか本当に泣きたい気持ちになりながら必死で考えてました。
(中立、、、、中立、、、、中立の心って何だ??)
今でもはっきりとした答えは見つからぬまま、、、、しかし、当時の自分は、神様は完全な”善”。悪いのは”悪”。若さと純粋さ(?)にものを言わせてかなりの直情型・極端な人間性で、心の汚れを知らず(・・・と思っていたのは、今考えれば本人だけ(爆))、ようするに頑なに偏った”真面目さ”だけ表にみせてた人間でした。今の、”村雲” が、「善人は苦手だ。」 というのは、もしかしたらここから来てるのかも知れません。
まぁ極端な性格は未だに治ってないのか、今はただのぐうたらで不真面目な欲深いおっさんに変わり果ててしまいましたが(汗)それでも祈る時だけは、あの時の片鱗ぐらいは持ち合わせていると、、、、多分、、、、、適当ですが、それぐらいの自負は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・欲しい(苦笑)
今でもその時に頂いた神筆は、くしゃくしゃの皺だらけになってしまってますが、大切に保管してます。
それから13年、もう数え切れないぐらい神祭に参加させて頂き、神祭であれば吐き気がするぐらい神社に手を合わせたと思います。その中で、たくさんの仲間と出会いたくさんの仲間と別れてきました。普段は知り合えない方々と、普通でない心のつながりがある反面、やっぱり普通の友達と同じように(いや、普通の出会いじゃなかった分だけ??)出会いがあれば別れもあります。
こんな偏った青春時代を送り、社会不適合な人間に成長してしまった分・・・・・躁鬱病から治りかけて「幽霊の声が聞こえた。」社会的に苦労を重ねて「幽霊がみえるようになった。」神社や神様が好きで「霊感が出てきたので霊能者になりたい。」とおっしゃられる方々をみると、これは決してバカにしている訳ではなく、、、、『あ~幸せそうだなぁ・・・・・』と感じてしまう。時々、真剣に羨ましいとさえ思う。少なくとも、その方々は昔の自分のようにおそらく ”純粋” だからですね。(まぁ、当時の自分の若さのように、なんに対して”純粋なのか”は本人もわからないだろうから、できるだけ弟子なんてとりたくないんですけどね(汗)それを受け止めるだけの器も経験も全然ないし・・・・)
時々、その時の兄弟子に出張がてらご飯を食べにいきますが、、、、、イカズチ様よりお言葉を頂くチャンスは未だに狙っているんですけどね~下手にお願いすると、
「聞いてやるから、ここの呑み代は全部お前が払え。」
と言われるのは目に見えてますので、結構警戒しております。
空がゴロゴロと鳴るたびに、いつもどこかで思い出す、過去の思い出です。
どれぐらい純粋だったのかなぁ~あの時の自分。なんか過去の自分と今の自分の純粋さ、数値で測れる機械とか未来に発明されませんかね、、、、まぁその時は間違いなくあの世でしょうけど。雷もおさまったようです。いつの間にかこんな時間、もう寝ます。
雷の神様の心、いまだ知らずのまま。
コメント:6
- ボーマンダ 12-09-15 (土) 3:00
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「雷」のいち文字は不思議ですね。いや、わからないですから、村雲様の今後の報告に期待です
ちょっと今更な感じはあるのですが、やはり、霊能者って努力というか修行(神道に修行はないんですよね(笑)過去の記事も読みました)というか、そういう時間が必要なんですね、一応、今までブログを拝見させていただいていたので、わかってはいるつもりだったのですが、今回は一層踏み込んだ話を聞かせてもらって「あゝ、やっぱり、大変なんだ」って再認識しました。
霊能者というと、いきなり、天使が降りてきたり、神様が光の中から現れて……、能力開花!とか、そんなイメージだったのですが……、人間ですもんね(笑)
そうそう上手い話もないし、神様仏様も望んでないでしょう。
「・・・・・・・心を中立に保って祈り、・・・・・・・・・」
中立に保って、いや、心を中立に保つって難しいですよ、(僕の勝手な感覚だと)中立な部分って綱渡りの綱みたいな領域で、すぐに右に左に落ちちゃうし……。心をその真中でいさせることが出来れば、きっと人生も穏やかなんだろうとは思うんですが……(涙)
あと個人的に引っかかったのは、年齢です(笑)その時期から、仕事と祈りをして頑張っていたんですね。これにはちょっと耳が痛い。
ぼくも努力をしていたら朝になっていた、それから、仕事に行った、とかいう気合の入った努力をしないといけないんだ……。
自分の人生は誰の人生なのか、をつくづく反省します……。ナヨナヨっとした感じじゃなく、雷みたいに力強く、勢い良く、がんばりたいなぁ。
あと、村雲様は社会不適合者じゃないですよー、冗談でも、そんなんじゃないはずです。 - 雷 12-09-15 (土) 20:23
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私自信の名前に雷と使っているのでうれしくてコメントします。昨日から縁あって読ませていただいております。
- にゃふっ 12-09-16 (日) 10:26
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こんにちは。とても済んだ川面なら、アメンボが泳いでいても分かるけど、ゴミだらけならカメが首を出してても見つけられないでしょ?何が言いたいかっていうと、「心が澄んで常に神様に近づきたい」って思う人ほど、却って自分の小ささや馬鹿さ加減や、昔の失敗やらが許せなくて自分を過小評価してしまうのではないですか?だから今回も「社会不適合者」とかご自分の事をいってますが、どうかと思いますよ。だいたい本当の社会不適合者なら、偉そうに勉強会なんてやらないでくださいよ。社会の荒波を日々被って、もがいている人が貴方の助言を求めているんでしょ?不適合の人がそういう人に何が言えるんですか?
謙遜と卑下とは違いますよ。 - 管理人 12-09-16 (日) 11:51
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ボーマンダさん
コメントありがとうございます、ボーマンダさん。他人からみた「努力」を本人がどう捉えているか、、、、と言ったところですかね。自分は好きでやってきたので、かえってありがたかったような・・・・周りも良い人たちばかり・・・・・とは言えませんが、とにかく若さもあって楽しかった。今はそれしかあわらしようがありません(笑)祈りの最中だけでも、中立さを保てればよかったんでしょうけどね、、、、当時の自分は(今も?)何と何の中立か?が解らなかった。それが少しわかった神社参拝があったのですが、これはまたの機会に。努力はしなくていいですよ、とにかく楽しみましょう!!そっちの方が好き(笑)
雷さん
コメントありがとうございます雷さん。またご縁があったらコメント下さいね~!
にゃふっさん
ははは、褒められているのやら、怒られているのやら(苦笑)これは考え方の違いでしょうが、勉強会をされてる講師や先生のみんなが聖人君子とは限りませんよ。そして自分は、「社会不適合者」と言われる人たちからもたくさん学んで来ました・・・・いや、そっちの方が勉強になったかも(笑)しかも自分の勉強会はあまり偉そうじゃない、どっちかと言うと終わったらこっちが怒られたりしてます(爆)そんな自分でも話を聴きにきてくださる方々がいる・・・・・・それもあって、自分ももっと大切にしたくなる。「社会の荒波を日々被って、もがいている人が貴方の助言を求めているんでしょ?」・・・・・・そんな人たちばかりじゃないですよ。これは自分の大切な人たちを舐めすぎだと思います。にゃふっさんがそうだったからと言って、みんながみんなそうではないですよ。 - りんりん 12-09-19 (水) 23:21
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素朴な質問です。
神様からのメッセージを筆に降ろす時って、手が勝手に動く感じなのですか?それとも書こうとする自分が他の何かになっている感じなのですか? - 管理人 12-09-23 (日) 20:24
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りんりんさん
強いていうのなら半々ですかね・・・・・・なんかどっちも違うような気がしますけど・・・・・・・すみません、良く聞かれるんですけど、言葉にすればするほど違う気がしてしまって。すみません。