続き。
『大宰府に左遷』
その理由とは、身分が低かったにも関わらず宇多天皇に可愛がって貰い、その挙句に醍醐天皇を天皇の座から下ろし自分の娘婿に当たる(897年には娘を宇多天皇の子・斉世親王の妻とした。)斉世親王(とこよしんのう)を皇位につけようとした・・・・・これが罪状だそうですが、もちろん道真様にとっては全くと言っていいほど心当たりのない事だったに違いありません。
「東風(こち)吹かば 思い起こせよ 梅の花 主無しとて 春を忘るな」
春になったら主を忘れず、香りを私のもとへ届けてくれ梅の花よ・・・・
この歌は左遷が決まった時に可愛がっていた自宅の梅の木、菅原家の家紋にもなってる梅の花に残した歌です。東の風とは春風のこと、もしくは左遷先の太宰府から見て東にあたる京の都。そこから家紋、菅原家の象徴である梅の花の香りが来るとは、左遷が決まってもその後の良い知らせを期待した想いが込められていたかも知れません。
「君が住む 宿の梢を 行く行くも 隠るるまでに かえり見しやは」
あなたが住む家の立木を、道すがら何度も振り返り見えなくなるまで見ておりました
いよいよ出発の日、残された家族への想いに胸を焦がし道真様が詠んだ歌です。これから襲う家族への不幸と、その時の道真様の心情を考えると込み上げてくるものがありますね・・・・・・・道真様は長女と妻様を都に残され、23人いたお子さん達の内、4人は跡継ぎの男子。皆、それぞれ四国の土佐や静岡県へとバラバラに左遷されます。娘達18人と共に福岡の筑紫の国、太宰府の長官として就任。
しかし、長官とは名前ばかりのもので・・・・・
幼い娘を大勢連れて行ったまでは良かったのですが、その家とは雨漏りが酷くその為、床も腐りかけのボロ家、、、、、収入もほとんどない状態で家の修理にお金を掛けられるはずもなく、食うにも困る日々の生活の中、哀れに思った近くの農民の方々が道真様を元気つけようと窓からこっそりと梅の枝に餅を差して差しだして貰うひもじさ。(これが今、天満宮で有名な「梅ヶ餅」のいわれですね)
去年今夜侍清涼 (去年の今夜、清涼に侍す)
秋思詩篇獨断腸 (秋思の詩篇、独り断腸)
恩賜御衣今在此 (恩賜の御衣、今此処に在り)
捧持毎日拜餘香 (捧持して毎日余香を拝す)
「去年の今夜、私は清涼殿(天皇が居た場所)に居た。その時に詠んだ「秋思」の歌も断腸の思いで作った歌だったなぁ。褒美として天皇より頂いた衣は今もここにあって、毎日捧げ持って、香を焚いている」
そして暇あるごとに近くの天拝山の頂上に登り、神様にこう語りかけたのです・・・・・・・
続く。
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コメント:2
- 己亥 ママ 10-12-24 (金) 0:50
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こんばんは。
「こう語りかけたのです..」で終わって続くとなったら、悔しいけれど(泣)香を焚いて祈って待つしかありません。
本日、鬼成の日にて候
酔いしれました。マイッタ! - ジュン 10-12-24 (金) 7:59
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管理人さま
おはようございます
頭が良くて、天才なのも、辛いものですね。
そして、道真様は、めぐりくる運を、しっかりと(もちろん実力もともなって…)掴まれただけなのでしょうに…。
『東風ふかば…』の歌亡き祖父が、お酒が入るといつも、吟じてた…(なんでやろ?)
まあ、それは余談ですが…。
衣に香を焚きしめる風雅なる世界ほど、悍ましいものなのですね…。
凡人で良かった!
今日は、クリスマス☆イヴですね~ルンルン♪
皆さま、良いクリスマスを~☆
管理人さまもっ☆
いつも、お忙しい中、お話を、ありがとうございます。
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