「はぁ、、、あなたそれじゃ、今以上には伸びないわね・・・。」
そう冷たく言い放たれて、心も体も固まってしまった若き26歳の11月のある日。
このセリフを当時の洋服販売店のエリアマネージャー(2~3ヶ月に一回、1対1の面接がある会社)から言われた瞬間、
(あれ?さっきまで洋服売り出して初めて個人予算を超えたから、褒められてなかったオレ??なんで今、突き放されたの??この前に自分が言ったセリフ、なんだったっけ・・・??)
そう考えだしたら頭が真っ白になってしまいまして、、、言われた瞬間の風景だけが嫌に頭にこびり付いております。
よくよく思い出してみると・・・・・。
「むらくも君。あなた、今月が初の目標金額達成よ!おめでとう!素晴らしいわよ。」
「・・・いや~自分なんか、まだまだです。先輩たちのお陰で売り上げが上がったようなもので・・・・。」
そう。はにかみながら、つい口にしたこのセリフ。
「自分なんか、まだまだです。」
この何気ない一言が、エリアマネージャーを半分怒らせ、半分悲しませてしまったのに、しばらく気づきませんでした。
「あのね、むらくも君。あなたさ、頑張って売り上げ達成したんじゃないの?運が良くて達成できる金額じゃないんだし、頑張ったけど達成できなかった先輩たちの方が多いでしょ?なんで素直に喜べないのかな?」
ショックでした。まず、なんで怒られないといけないのか?(自分はそう感じたし、確かにエリアマネージャーは半分、怒っていたと思う)
不器用な姉を尻目に、割と器用で甘えん坊に育った自分は、19歳でフラフラ遊んでいた自分は日曜日の度に父が、父の友人たちと作ったソフトボールチームに連れていかれ、大人というものを学んだ。大人というものより、どうすれば可愛がって貰えるか。どう受け答えすれば素直な子になるのか。
父はそこそこ運動神経も良く、そこそこ人望もあったのでソフトボールチームの中で最年少の自分は当たり前のように周りの大人に可愛がって貰った記憶が残ってる。
皆が褒めてくれたし、将来有望だと無条件で褒めてくれた。練習が終われば、いつもの大人の飲み会がはじまり、その中で自分はジュースを飲みながらまた褒められ、可愛がってくれるのを何よりの原動力として酔った大人の会話を横で聞くのが楽しかったし、次のソフトボールの練習にも力が入った。
「あれ?謙虚であれば皆が可愛がってくれるんじゃないのかな?結果はどうであれ、頑張っている姿に皆は褒めてくれるんじゃないのかな・・・?」
高校時代から鳶やサッシ屋の職人としてアルバイトをし、東京で働き戻ってきて、26歳で訪れた「今までの生きてきたルールがまったく通用しなくなった感」には驚きましたね(;´∀`)
驚くよりも、正直に言えば(このマネージャー、何を訳のわかんないこと言ってるの?可愛がってた先輩たちよりも自分が売り上げたからひょっとして悔しいのかな?)なんてふざけた気持ちの方が勝っていました。
自分がやってしまったことは、「自己否定」。自分自身を無駄に下げてしまう行為。
やってしまった、、、というよりは、振り返れば処世術に近かったと今では思います。
これは、『親からの愛が~』『幼年期の体験の中で自己肯定が出来ず~』と、よく本では読みますが、理由はそれだけじゃない気がしてます。若かりし頃の自分のように。
20年以上も、人とたくさん会わせて頂き、人と交わり人と触れ合う中で、「自己否定」が強い方は、繊細で、誠実で、謙虚な方が多いことに気づきます。
「君はすごいよ~よく頑張ったね!」
「そんなことはありませんよ(笑)まだまだこれからです!」
確かにそれで、本当に頑張れる力になるし、今以上に前に進もうとする力にもなる。
でも、世の中はそれだけじゃ越えれない壁もたくさんあって、気持ちの持ちようだけでは進めなくなるぐらい辛いこともあって、フトした瞬間に理由もなく気持ちが落ちてしまうことだって多々ある。
そんな時、繊細であればあるほど。誠実であればあるほど。謙虚であればあるほど。また、昔の自分の様に何が本気で欲しいのか?どういう自分を望んでいるのか?を本気で考えるよりも、「無意識のうちに周りの反応をメインに取捨選択・意思決定をしてきた人間」ほど、打たれ弱く、落ちれば上がってくるのに時間が掛かる人も多くみてきました。「自己否定」の悪循環ですね(-_-;)
本気でぶつかって、本気で努力して、それを手に入れて、本気で喜べる人。
いわゆる、「自己肯定が出来る人」は自分の価値を肌身で感じている。そんな自分が決定したこと、そんな自分が求めていることにきちんとした価値を見出せる。だから、本気で相手に「No」といえる力がある。「No」といえる、強い「Yes」が持てる。
意識的にも、無意識的にも自己否定をし続けた人は、自分の価値がわからない。だから、手にしたものの価値も、本当のところ、本人には (・・)? がついてたりする。
人間関係においても似たようなところがあってですね、、、、、
「なんで別れないの?そこまで好きなの?ちゃんと覚悟はある?」
「・・・う~ん、、、正直に言っていいですか?村雲さんが、何を言っているのかさえ、分りません。」
「そうだよね。人は感情で繋がっているもんね。感情なんで理屈はないっ!そんじゃ、このまま行っちゃうか!答えや結果はいづれ出てくるだろうしさ。そんな人生も、ありっちゃ有りだよね!」
「いや、それは困ります。私は幸せになりたいんです。適当なこと、言わないで下さい!私の話、真剣に聞いてました?!」
「・・・答えが出ないからさ。今、めっちゃフォローしたつもりだったんだけど(-_-;)」
それだけじゃないんだけどね。最終的には、相手の言いなりになるか(相手も自信がないオーラだしてるその子をみて、どうせ別れ切らないと判断し、その子の扱いが雑になってくる)もう少し骨があって、意地がある子なら相手に自分の欲求を思いっきりぶつけて「自分が本当に価値のある人間か否か」を無意識に試したりする。その相手からの答えで、自分の価値を確認しようとする。
さて、それは困った。そんなんで、健全な男と女。異性でなくても、友達関係でも職場であっても、いえば「人間関係」はすこぶる築きにくい。
いつも褒めてよい場面で(褒めなくちゃいけない場面で)いちいちもう一人の自分を否定しまくっていたら、そりゃー上手くいく人生も、その時は上手くいっても長い目でみれば上手くいかない方に流れちゃいますよね、、、、いちいち、半分の自分が半分の自分の足を引っ張っているんだもん(;´∀`)
昔は、「自己肯定感アップ」・・・いや、違うな。つかの間の幸せタイムで「無条件で頼ってくれる存在の子どもを抱きしめる」が一時しのぎで使えたんですけどねぇ・・・今やっちゃうと、「髭が痛い!」って本気で腹を蹴られるレベルですし。「ここぞ!」の時にとっておきたいリフレッシュタイムですし。
何よりも、自分みたいな大人に育って欲しくない(笑)
だから、自分が考えた方法はたった一つ。
「自分なりのリフレッシュタイムを使いながら」←これ大前提ね。
〇夢のある目標を作り、目標に向かって正しい努力を真剣にコツコツやって、結果はどうであれちゃんと喜ぶ。達成したら自分を本気で褒める
これしかないですね、はい(´ー`)
あとは、今の考えはこれ。先日の日記になるけど、
「「セルフ自己肯定の日々」のススメ。」2022-06-04 (土)
頑張って書いているので、よろしければ一読くださいm(_ _)m
まぁ、良かったら参考に。あとは皆さんの「リフレッシュタイム」をコメント欄に残してくれれば参考程度にさせて頂きます!犯罪以外はオッケーですよ(笑)
- 次の記事: 赤い月の夜。
- 前の記事: カラオケボックスにて(子育て通信⑮)
コメント:2
- 綾 22-09-12 (月) 20:35
-
私のリフレッシュ!
週に一度ジムに通うです。
その時は行かなきゃ…って腰が重いんですが、1時間近くハードに運動すると、モヤモヤがどこかに飛んでって。
わりと本格的にリフレッシュしてます。
まぁ、毎日とか続かないので週に一度の…ですけどね(笑) - 管理人 22-09-15 (木) 10:42
-
綾さん
週一でもそれ、本当に凄いですよ、、、、週に二回は運動したい・・・と願いながら、一切できていない自分からすれば羨ましい。というより、綾さんすごいです(:_;) 夜、少しでもいいから散歩しよ。。。。