- 2022-06-04 (土) 19:38
- 霊能者
こんばんは。皆さんお元気ですか、管理人です(笑)
いやー久々の日記更新ですね~懐かしいですね~・・・・・。
実は今、いろいろと新しい計画に向けて着々と進めておりまして・・・で、まずは早速のご報告ですが、「一回目」頓挫いたしました(苦笑)一刀両断でやられましたとさ。
それから、残っている問題を先に目途をつけたいと考えながら。
考えすぎて、仕事であり得ないミスしてどやしつけられ。
仕方ないから、お決まりの 「懐かしの小学校」→「師匠へ挨拶」を行って・・・いつも、出発地点と途中ゴール地点に足を運ばないと、なかなか復活できないルーティンを自分でつくってしまっておりまして・・・・それでも足りないと、昔の記事を片っ端から読み漁っていたら、なんだか急にブログが書きたくなりました。
システム担当に泣き言、、、、まではもう言いませんが(もうすぐ47歳なので。さすがに大人ですので)いろいろと相談をして、さっそく、2回目の下準備の途中でございます。諦めませんし、まだ1回目で諦めれるはずもない。
はい。今日は思うところあって 『自己肯定』の話でございます。
『自己肯定』。苦手というより、やる必要は今までございませんでしたね。
あんまり真剣にやった記憶がございません。
だって、わざわざ自分で自分を肯定しなくても、
「いや~すごいね、村雲は。才能あるよ。」
「その何にも考えてない勇気?少し別けて欲しいわ、、、」
「きゃー村雲さん、素敵 ♪」
最後の1行だけ、少し誇張しておりますが、上2つは人に言われることが多いので、お世辞か社交辞令か、本心かを考える前に、
「ふっふっふ・・・ありがとね。自分もそう思う。」
で終わらせているから。実際に、それがお世辞だろうがその方の本心だろうが、「真に受けていない、聞き流している」というより、
「自分の人生にあまり関係がないものカテゴリー」
に勝手に脳みそが別けている気がしてます。
褒められれば、そりゃ~嬉しいのは、嬉しいんですけどね~褒められるの大好き (´ー`)
しかし、その嬉しい感情と自分の人生そのもの・・・というより、「目指す目的や方向性、欲しいものを手に入れる手段」とはあまり関係がない気がしております。
まず、何よりも「人と比べない。」タイプの人間です。
比べないんじゃなくて・・・・厳密にいえば、「比べられない」んですよ、この今の世の中で自分は唯一無二の存在なので。誰に認められなくても、確認しなくても、本当はみんなそうなんですけどね。
「羨ましいなぁ~あーぁ、良いなぁ~・・・・・。」
は感情として、すぐに口にするタイプでもあるんですが(根が素直で正直なもので)またそれと、自分が手に入れるか、入れられるのか、本心より欲しいのか、そうでないのか、が関係ない。
・・・いや、まったく関係ないことはないですけどね。
要するに、今の自分は『本心から自分が求めているもの』がはっきりしています。
例えば、次の展開の為の資金(お金)に関して。
「うわぁ~いいなーあの人、あのアイディア頭良いなぁ~それであんなに稼いじゃってるよっ!」
とは真剣に思う(うらやむ)のですが、では今、その金額が自分の手元にあったら・・・・
「うん、これ以上は必要ないな。」
「う~ん、あれじゃぁ、足りないね。」
と考えられるし、自分は、自分が求めるものはやっぱり『器』のようなものがあって、人を喜ばせる、人から感謝される、自分が感謝するなどなど、すべては誰かが判断してくれていて、その器に入る分だけは頂ける、、、、、と考えております。
器そのものから想定して、自分で創造しているので、やはり他の器は参考や勉強にはなりますが、自分とは関係ないかなぁー・・・・・
人様のご相談にも乗らせて頂いておりますが、やはり顕著に感じるのは自分の人生の振り返りよりも、他人の人生の方が学びになっております。
例えば、お金に関してですが生き金の使い方を知らなかったり、お金の性質やお金の気持ちを考えられない方々に対して。
コツコツと、正しい目的に向かって正しい努力をしている方をみると、
「あ。この方はいずれ手に入れるんだろうな・・・・」
真面目だけど、お金に関して無知というか勉強が足りない方が急に大金を手にしても
「う~ん、狂わなければいいけどね・・・・」
やはり成功した人と失敗した人、直接お会いしてお話ができる経験も大きいと思います。
これ、お金という物質を例にとりましたが、「愛情」や「神様・仏様」に関しても同じことが言える気がしております。ようするに、求めるだけじゃ入ってこないってこと。
「自己肯定」に話を戻せば、
〇 村雲は他人とあまり比べない
今までは師匠とは確実に比べることが出来たのですが、その方も卒世してしまい、存在はばっちりあって、基礎の考え方や魂もそこそこ身に落としてきたつもり(?)ですが、師匠が亡くなり3年経った時、「師匠は師匠、自分は自分。」と本当の意味で学べた気がしております。
(本当はもっと早く学んで欲しかった、、、が師匠の本心でしょうけどね)
そして、もう一つ。
〇 目的と方向性。ある人とない人を区別して欲しい
自分には目的があって、正しいかどうか分かりませんが方向性も定まっている。これを、毎日確認するために、ビビりながらも勇気を出して行動したり自分の想いや経験を信じたり、頭を下げて勉強させてもらったり・・・・ようするに、
「より目的を手に入れる、より幸せを感じれる人生の為に努力している」
と思っているんですが(それも、そうなるかは知らんけど)、さらに言えばその「努力」でさえ「日々の成長の楽しみ」にするべく(努力がそもそも嫌いなので・・・)、
「創意工夫」と昨日の自分と比べて今日の自分はどうなのか?明日は何を楽しみに生きればいいのか? ぐらいの情報は時間がある時にノートに落としているのですが、それをやってない人とは区別して欲しいと願っております。
(そのやり方を知らない方を非難したり、やる余裕のない方の人生を否定している訳ではございませんので、ご了承ください)
〇一つ気をつけていることは、、、、
上手くいかなかった場合・手に入らなかった場合。そこには理由があります。理由はなるべく、自分の中からみつけ、自分で対処できる範囲に落とし込む。他人や環境・状況のせいにしない。これ、大切です。(「まぁ、神様も望んでないのね・・・」は最後の最後の最後、自分を納得させる為だけの言葉です)
だってですよ。
「あ~私って駄目な人間なのですよ・・・・・。」
って、呪いの言葉のように四方に発しながら、本人は工夫も努力もなければ・・・・そりゃ、ねぇ・・・・
「あ~そうだねぇ~・・・・。」
ぐらいしか、言葉は出なくなっちゃう。
これがですね、相談者なら話は別でして。
どこかで向上心があったり、訳もわからないまま小さな魂の光を感じて、わざわざ勇気を出して大切なお金を使ってご自身の可能性を試すためにご連絡を頂いている訳なので。
「どこまでやれるか分かりませんが、このご縁を大切にして行ける所まで行きましょう!!」
ってこちらの魂にも火がつく訳ですよ。
相手が真剣であればあるほど、そうなるのは当たり前の話です。
相手の日常が少しでも楽しくなってきたら、こっちまでまた楽しくなっちゃう!
ま。手柄はすべて神様、ご先祖様。だから余計に感謝したくなる。
「何年前に相談した者です。おかげ様で今は、こうなっております!」
なんてご報告を頂いた日には、その日と次の日は何があってもウキウキしちゃっている自分がいます。あれ、本当に嬉しいものなんですよー「まだ筆書きとってあるんですよ(笑)」とか言われた日には、手を合わせて拝みたくなるぐらい、なぜか嬉しい(;´∀`)
他人と比べたり、まだ見ぬ未来を不安しして、
「あ~俺はやっぱりダメだぁ~」
「仕方ないんです、どうせわたし〇〇なんで。」
なんて自己否定の呪いは、誰も得しない以上にあなたが損をするだけなので、皆さん、もう辞めましょうね(笑)
まぁ、自分も時々、今は亡き師匠に甘えて手を合わせて愚痴る時もありますけど。何のために死んだ人を呼び覚ましてまでヨシヨシして欲しいかって、そりゃあなた、最高の明日を迎える為ですよ!
最近は積極的に自己肯定を他人に任せる人も多くみられますが。
「え~っと、・・・愚痴になりますけどね。」
なんて訳のわからない先手を打ってくる技を覚えた方々が多いのですが、わかりました。
愚痴なら愚痴として自分は受け止めましょう(苦笑)
ただ、お互いに限られた時間とご縁の中で、、、、、
ってことを忘れないで下さいね(;´∀`)
本来、自己肯定とは誰がやっても慰めにしからないし、それに慣れちゃうと上がってこれなくなりやすい。日常を利用して、昨日の自分と今日の自分を比べて、スペシャルなセルフ自己肯定の毎日をルーティン化してください (´ー`)
その報告を聴くだけの仕事が出来ないかなぁ~(笑)
「いやー村雲さんの生きざまみてたら、妙に勇気が湧いてですね。お礼にはい、これ受け取ってください。ありがとうございます~」
なんてね。最高の仕事じゃないですか!こっちは面白おかしく楽しく生きて、存在するだけでお金になるとか(笑)
いかんいかん、それが目的になると人生しくじるんですよね、、、、神様はやっぱり凄いや(´ー`)
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コメント:4
- 金シャチ 22-06-09 (木) 12:29
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こんにちは~
自己肯定感・・・なかなか持ちにくいです。
人様に褒めて頂けば・・・リップサービスか?と勘繰り『いえいえ、私なんか…』と、自己否定ともいえる言葉を発してしまいます。
自己肯定なのか? オゴリなのか?その境目が、未だあやふや…
最近、誉め言葉に『ありがとうございます』と言えるものの…
やはり、その奥には『リップサービスかナ?』と、疑う自分が見えたりもします。
『なにくそ❕』根性を求められて育ちましたが…
残念な事に、それも育ってはおらず・・・
親が考えてくれた『反骨精神の元 努力し、向上する…』子は、
『打たれたら、倒れながらもグズグズと未練を引きずる…』BBAと、育ってしまった様です…。
正しい、自己肯定感を身に付けたいものです。
『もう、そんな事、イイじゃありませんか…』と、
笑い声が聞こえそうです。 - 千葉の鹿 22-06-10 (金) 3:04
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自己肯定か…
私のせいで息子の人生、孫の人生狂わせたのに
どうやって責任取ればいいんだろ
責任取れるんだろうか
ありのままの自分を肯定する
開き直りだな 私にとっては - ぽむぽむ5 22-06-17 (金) 8:45
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村雲さんご無沙汰しております。9年前京都でお世話になりました。一昨日通帳を探していて偶然筆書きを見つけ、コメントしに来ました。
夫の転勤で先月東京から茨城県に引っ越し、買い物が不便なため48才にして運転免許を取得中です。自分ではそこそこメンタル強いと思っていたのですが、できなくてヘコみ、できなくてヘコんでる自分弱いな…、とさらにヘコんでおります。
でもゼッタイ免許取って鹿島神宮にご挨拶に行きます!頑張ります。 - 管理人 22-07-05 (火) 20:53
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金シャチさん
毎日、自己肯定と自己正当化が上手になってきている気がしてます(笑)でも、それも、そんな気がしたり、いやいやそれじゃーいかんだろ!と考えたり、、、、これも詰まる所、自分の中での出来事の域を出ない訳でして・・・もうそんな事、どうでも良いんじゃないでしょうか?(^^)
千葉の鹿さん
開き直りで良いのではないでしょうかね-・・・ただ、ちょっと、ほんの少しだけ「謙虚すぎる謙虚さ=驕り」が出ている気がしております(ごめんなさい)。息子はさておき、お孫さんの人生狂わせたって・・・どんなに良い想像しまくっていたんだろうか?本当にお孫さんの人生は狂ったんだろうか?何を基準に?お孫さんはいくつ?その年齢で人生狂った判定??・・・まー自分が孫なら、千葉の鹿さんにはもう二度と餌は与えないですね(苦笑)
ぽむぽむ5さん
ぽむぽむ5さんご無沙汰しております!9年ぶりですねっ!・・・ってまたいつかお逢い出来た時に頑張って思い出します(^^) 免許もそうですが、慣れない方が慣れる為の資格なんですから!慣れるまで何度でもチャレンジ。免許とっても講習に来る方も大勢いらっしゃいますので、全部慣れです、慣れ(^^)