- 2020-10-15 (木) 15:33
- Q&A
先日、書かせて頂きました「質問、募集!」の回答記事です。
では、早速。
私は今狩猟免許の取得に取り組んでいます。
住んでいる地域は山に囲まれており、常に山の
生き物達との生活共存を考えていかなければなりません。共存といえば聞こえがいいですが、実際は人の生活圏に侵入されないよう駆除をしなければなりません。罠にかけるのは主に猪で、獲ったあとできる限り命を無駄にしないようお肉を自家消費して頂きますが、それにも限界があります。ですので自ずと駆除後は破棄せざる負えず、山奥に掘ってある穴へ投げ入れられます。
農作物への被害を減らすためとはいえ、完全に人間側の都合によって山の生き物の命を奪い、「山の恵」として頂くのではなくただ破棄してしまう。この行為を神様はどうみられていますでしょうか。
私もまもなく猟友会の一員として山の生き物を管理する側になります。自分が奪う命に対してどう向き合っていくべきかはっきり答えがでていません。農作物を荒されて深刻な被害を被った方は、それ等は駆除されて当然であるという感情もまた然りだと思います。
昔の食べるための狩猟と現在の狩猟(駆除)と
その目的の変化に神様はどう思われていらっしゃいますか。何かお言葉を頂ければ幸いです。
何卒宜しくお願い致します。
神様からご返事を頂きました(´ー`)
さて。己の生活の営みの為に食べ物として動物を殺し食する。また己の生活を守る為、罪もなき動物の命を奪う。この二つはの、人が生きる為と大きくいえば同じように思えても、目的が変化した訳でもなくそもそも違う目的として存在しておるとわしは思うてみておるよ。
大昔は人口も少なく病や怪我も多くあっての。動物一匹を狩るのに失う命も少なくなく、命を守るため主食の稲を育み、協力して種の保存の為に理性も育んできた。これが後の農耕民族、日の本の民じゃの。
また別として、己が生きる生活圏を守る為、命を賭けて相手の命を奪う。
これは人間も動物も本能で力を競い知恵を比べ、自然のなかで強きものが生き残るのは原理原則じゃよ。現在にいたっても下手をすればその動物によってこちらも命を取られる危険もある、まさに命掛けじゃの。
奪った命に対して、祈りと感謝でわしらに還元しようとする。この感性も大きな人間の一歩じゃろう。
動物は純粋であり、全力で生をまっとうしようとし、たとえ人間に命を奪われたとしても恨みも残さぬ。そこに不必要な理屈はなく、そこに人は美しさや気高さ、神性や神秘さえ感じて今にいたる。
ひとつ訊くが、完全に人間側の都合によって、と申されるが人間の都合以外でぬしらが生活しておる部分はどこにあるのかの。
これは責めておる訳ではなく、種の保存本能により仕方のないことでもあって、しかしより強いものはより大きな愛情が必要でもあって、この答えをさがす為に人は葛藤のなかで己の理性を磨き、真の意味での自然の摂理と、その中にある共存共栄を育まねばならぬのも強き者の重要な役割じゃの。
その為に悩みのなかで動物の命を奪っておる者の役割は重たく、またそこからしか真の人の叡智に伴う理性は育たぬものとわしは思ってみておるよ。
ひとつ、今の人間に勘違いして欲しゅうないことは、動物の命を奪い、また奪われるとは知恵や力の比べあいではなくての。これは大きくいえば理性の磨き合いと思うてくれれば良いことじゃ。
科学とともに動物に勝てる鉄や火薬を生み出し、それが留まることを知らず原子力を作り出し、しかしそれらは人間たちが己の力や知恵を試している訳ではなく、己らが試されていると感じる感性があれば理性は自ずと例え葛藤のなかでも磨かれていく。
八百万
以上が頂いたお言葉です。
蛇足ですが、外国では動物を殺すのは一部のスポーツ感覚ですよね、、、、
それが良い・悪いと言うまでには考えが及ばず、だからと言って魚釣りは好きで昔は食べれないブラックバスやブルーギル、アメリカザリガニなんかも釣りまくっては、
「外来種やけん!」
という理由で無駄に殺しておりました。。。。
マタギさんのドキュメンタリーに不可思議な感動を覚え、またYouTubeで「狩猟女子」「狩女子」と呼ばれている人たちが、
「あ~怖かったぁ~・・・・・。」
なんてセリフを聞けば、そっと画面を閉じてしまう。
大義名分を振りかざして神様ブログを書き続ける自分をみて、神様はどうお考えなんだろう・・・・
・・・いやー正直いって、まだ怖くて聞けません。
神様がおっしゃる「理性」って本当に難しいです、、、
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コメント:1
- 真理子 20-10-25 (日) 23:07
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神様からのお言葉有り難く読ませて頂きました。
丁度この期間に狩猟試験の合格、獣魂供養祭への参加がありまして、この美しい里山を守っていく一員として決意を固めました。理性の磨き合いというお言葉が自分の中でどういう解釈になっていくのか、これからの経験を通してじっくり考えていきたいです。