- 2019-11-14 (木) 23:59
- 神社
こんばんは、管理人です。
今日はニュースでもバンバンやっております、天皇陛下が即位されて最初に行う「新嘗祭」の日、一世に一代の『大嘗祭』の日ですね(^^)
大嘗祭は、大嘗祭は悠紀殿(ゆきでん)・主基殿(すきでん)を中心とした、いわゆる「大嘗宮」にて、天皇陛下が天照大神様をお持てなしする為、竹でできたお箸でひとつ一つのお供え物をお供えします(供進)
同じ作法を日が変わる前に一度、そして0時を過ぎて再度、計2回同じ作法を行い、天照大御神と天皇陛下は同体となられます。(その際の、天照様へお供え物を備えられる作法(供進)の箸作法は1000回を超えます。。。
日本人が「日本」に試されている時代 ① 日本の祭りと天皇家より抜粋。
11月23日の夜から朝方に掛けて、厳粛な雰囲気の中、その年の秋の収穫で取れた作物や、新しい米で作ったお酒を神々に献上し、今年の実りを報告し、それを感謝し、その後に神々様と一緒にお召し上がりになる。なかなか内容まで報道されない為、一般の方々には親しみのない言葉や祭祀ですが・・・・・これは深夜に密かに宮中にて行われ、その為に予め準備期間から本番まで神々とお会いする為に身を清め謹みます。
更に重要なのが 「大嘗祭(だいじょうさい)」。これは上記の 「新嘗祭」を新しく立った天皇が行う祭り・・・・・いえば、天皇一代に一度きりしかない重要な祭りです。しかも一子一伝。この儀式のクライマックスはさすがに宮中の中でもどのように行われているのか知る方はいらっしゃらないそうです。これは祭の準備月前から準備月、その儀式の流れまであまりにも説明が複雑で長くなります
なのですが、皇室行事に詳しい方は不思議に思った筈、、、、
『なぜ令和の大嘗祭は14日なのか?』(通例であれば、新穀感謝祭の11月23日に斎行される)
先程、友人からも同じ質問があったので、自分も慌てて調べました(^_^;)
元々、新嘗祭(新穀感謝祭)の日が11月23日と決められたのは、明治6年からです。
それまでは旧暦11月の二番目の「卯の日」に行う。。。
と決められていたので、日にちは前後しておりました。
現在では「勤労感謝の日」と、訳の分からない休日になっておりますが(^_^;)
日を定めて今上天皇(その時代に即いている天皇の呼び名)はその日にご奉仕される訳です。・・・・が、新暦で令和の時代で計算すれば、丁度「冬至」に当たります。
「冬至」とは、太陽が一番、日本より遠く位置する日。
それを伝統に考慮して、再考し選定された日が、令和の「11月14日」となります!
この日が丁度、旧暦での二番目卯の日となる訳です(^^)
歴史と伝統のなかで、なかなか意味の深い日だったんですね、、、、調べて自分も驚きました(苦笑)
せっかくなので、もう一つ。
大嘗宮の中と、天皇陛下の作法は秘儀とされており、未だに公開されておりません。
が。
実は歴史を紐解くと、実は一度だけ、ある貴族の日記に書かれた経緯があります。
それは、平安時代末期の日記『大嘗会卯日御記』の中で、作者である摂政・藤原忠通が崇徳天皇の大嘗祭で奉仕した際の記述がその日記に残っていたのです(^^)
当時、崇徳天皇は5歳。
その幼子の天皇が、「顔六借(すこぶるむつがる)」(駄々をこねたり、嫌がる)様子が見られ、当時は抱いたりあやしたりしながら斎行した・・・・
・・・・今となっては畏れ多くも、ホッコリするような、秘事中の秘事がこんな形で世に残るとは(^^)
最初に書いた通り、大嘗宮での儀式は秘事です。
が、また面白い?ことに、この日記から憶測が憶測を呼び、それは今でも尾をひいて皇室研究者の議論の的となるのです!
まぁ、そのお話しはまた今度。
今宵は今現在でも行われている、『神人合一』の祭りに想いを馳せながら、令和の時代の平和を祈りましょう(^^)
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コメント:2
- しまけん 19-11-17 (日) 21:49
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私もちょうど14日に勤務先最寄りの神社(神明社)で「大嘗祭当日祭」に参加してきました。
一生に一度あるかないかの貴重な経験をさせていただきました。 - 管理人 19-11-25 (月) 21:46
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しまけんさん
こんばんは、しまけんさん!おおおおおおおっ、マジですか!!!!良かったですね、本当に一生に一度ぐらいですよ(^_^)