つづき。
そこより、師匠が祈れば次々に霊能を開く(筆書きをはじめる)という霊能者が量産されていくことになります、、、、。自分も16年前に、神祭のための霊台として霊能をひらいてもらった内の1人です。
自分が弟子入りさせてもらった当時は兄弟子・弟弟子を含めて自分が知る限りでは5人の霊能者はいましたね。そこから、また時代とともに数は減ったり増えたりです。
とにかく、師匠が祈れば霊能者が増える。タケノコのように、年が若い人たちが次々に霊能者になっていくんです・・・・・・正直、若い時の自分には複雑でもあり不思議な感覚でした。
師匠に弟子入りして約10年近い歳月が流れた時。いつしか師匠も65歳、この時、当時一番優れていた霊台の人から、
「曹岳(師匠)はよくこの歳までがんばってくれた。今日から隠居して人間らしい余生をおくれ」
と、はじめて祭主(神様が望む祭りのまとめ役)としての卒業証書をもらい、「これで少しは世の中の役に立てたのか。」・・・・と、心からホッと安心していた姿を今でも思い出します。
そこから数年・・・・・
師匠は決して自分たちを見下したり、粗末にしなかった平等精神の博愛者だったので、、、、それぞれの弟子は師匠の想いを胸に、ある弟子は事情があって現実社会に去り、ある弟子は自分で宗派を立ち上げたり、ある弟子は残って自分も含めて皆がみな、師匠の真似事でも形や規模はちがっても 「神祭」 をそれぞれが 「祭主」 としておこなってきました。
でも本当の ”地獄” はそこから待っていました。
今、生きている人たちには忘れることはできない 『東北の大震災』 です。
TVをつければ、たくさんの人が死に、水に流されていく。放射能の問題は未だ解決せぬまま。
「自分の30年間はなんだったのか。」
本気で涙を流して泣いていました。全身全霊、心と体すべてで苦しんでいるようでした。
その時の師匠の姿はみていられなかったです。そして今現在も、水害に天災は毎年あたり前のように起こっております。
その頃からでしょうか。
今までは年齢上に、時は徹夜で時には何時間も祈りとおし、なんとか持ちこたえていた師匠の体調もすぐれない日々が多くなってきてしまい・・・・・・
「普通以上に酷使してきましたからね、、、、」
と慰めていたんですが、69歳の時に末期ガンをお医者さんがみつけてくださり、いくつか病院に連れていきましたがどの医者も宣告は 『余命1年半』。
今はどうしたわけか、1年半を4年まで生きています。
ただ、師匠の手紙でわかるとおり、この4年間は放射線治療をはじめ、抗がん剤やら漢方、睡眠薬に血圧の薬。リンパ浮腫に時々だす高熱に皮膚病の薬。夜も眠れず、あらゆる苦しみの中で歩けず、座るのも苦しく、寝るのも苦しく、ただ椅子の上に座っている状態です。
今年のはじめだったとは思いますが、出張に行く前の挨拶に伺った時に
「・・・悪いが、今日はきついからもう帰ってくれんか。」
と、この16年で一度も聞いたことながなった言葉を聞いた時、傷ついたというよりも、「もうそんな状態なんだ・・・」 と帰りの電車で涙がでてきました。
今まではどんな高熱であろうと、神様にいわれた祭りを行いながら空いた時間に、相談で訪ねてきてくださる方々に誠実に対応していた師匠の姿をみてきましたからね。
つづく。

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