つづき。
続いて、『父性と母性』 の話にはなりますが、本来はふたつ揃って 「夫婦」 が 「家族」 となって、力をあわせて子どもを育てていく、教育していく。
家にお金を入れない男は必要ないし、子育てよりも自分の欲を優先させる女も必要ありません。(子育てが終わって、子が大人として立派に成長すればあとはご自由に、、、、これが神様の考え方です)
万が一、子どもが育っていく中で欠けたものがある場合は、、、、、次は、「何で埋めるのか?」 はさほど大事ではありません。問題は、
『どうやって埋めるのか?』 です。
より的確にいえば、「埋めていこうとする”姿勢” や”方法”・”選択”」 でしょうか。
再婚は反対ではありませんが、埋めるものが情や愛も大切でしょうが、それ以前に ”子育てに必要なのか?” ”本当にそれは埋めれるものなのか?” が大事になってきます。これは、育てられる子に選択肢があるというより、選ぶ大人に権利がある話なのでより慎重になるべき。
選択肢はいくつかあります。
・父親が母性も同時に発揮する
・母親が父性も同時に発揮する
・離婚しても、離婚した相手と子育てだけは上手くやる
・祖父や祖母に、足りない性を補ってもらう
外の敵から身を守り、生活費をしっかり稼いでくるのは父性の方が有利です。
子どもの機微をしっかり読み取り、命がけの愛情を注げるのは母性の方が有利です。
「シングルマザーについて (再婚をする前に)」 では、『『別れる』 と決心した時は、同時にまずは 「誰の手も借りず、私一人でも立派な大人に育てる」との「覚悟」を決めて下さい。』
と書かせてもらっておりますが、この考えは未だに変わっておりません。
その「覚悟」があった方が、次の相手を探す時も探しやすいですしね~
『責任や覚悟』、言葉にすれば重苦しくて仕方ない・・・・・自分の嫌な言葉が二つも続いておりますが(苦笑)、本来はやることさえやっておけば、それで良いのではないかと思います。
一番大切なものを一番大切にするということ。
シンプルに一番これがわかりやすいかも。
自分は、「パートナー」 という言葉があまり好きではありません。せめて、『お互いに都合がいい時の、都合がいい相手』 とか、『必要不可欠な、慰め合っている相手』・・・・・せめて 『(肉体関係がある)お付き合いしている相手』『寂しいから、今は一緒にいる相手』 とか・・・・・はっきり定義して欲しい。
そっちの方がわかりやすいし、面等むかって言われると
「おぉ、そうなんですね~!」
と、清々しささえ感じてしまいます。
「パートナー」って言葉、いつから使いだしたんでしょう・・・・・あれ、なんなんですかね、、、、職業を聞いて、「ハイパーメディアクリエイターです。」 と答えられるぐらい、胡散臭い(爆)
自分はそんなに清廉潔白な人生は歩んでいないんですが、「パートナー」 の中身がわからないだけに勝手に嫌悪感を感じてしまってるのかなぁ・・・・・う~ん、よくわからん。まぁ、「職業は本物の霊能者です!」ぐらいに胡散臭い・・・・・いや、霊能者の方がまだマシだな。
自分が神様の助言にしたがって、
「このまま、”パートナー” として時間を流した方がよくありませんか?」
とお伝えする時は、
・双方(もしくは片方)の子どもが成人してて、自分の意志を持っている場合か、双方、子どもがいない場合
・籍をいれる責任や覚悟があっても、双方(もしくは片方)の子どもが納得していない場合
ですかね、、、、、やっぱり 「籍」 って重要だと思いますよ。形にこだわる必要はありませんが、形があってはじめて成り立つものも多い。”不幸になれ” とはさすがに願いませんが、パートナーをもつ人は自主的に慎ましく生活して欲しい、、、、、もしくはパートナーを月ごとにかえても文句は言わない制度とか(笑)
完全な偏見ですが、「パートナー」って言葉を使う人に限って、別の異性と関係もったら激怒するでしょ??・・・・でも、「パートナー」 ってそういうものだと思うんですよね・・・・・・なんか認識がずれてますかね?(汗)
概念にしばられるのは可哀想ですが、その概念で秩序が成り立っていることを考えると、やっぱりそうなっちゃうのかな・・・・・・
足りないものを、必死で ”おぎなう姿” に人間の美しさと生き方を感じてしまう。
だから、
「シングルで未だに両親に迷惑をかけっぱなしで・・・・・」
「託児所に預けて、子どもと接する機会が少ないのですが教育は大丈夫でしょうか?」
なんて伺うと、、、、なんとよい教育をされているのかと、感動してしまいます。
だって全力で運命に立ち向かって、すべてその責任を引き受けている訳でしょ?大丈夫ですよ、今は双方寂しい想いでいっぱいでしょうが、その子が大きくなればきっと片親の苦労に気づいて立派な大人になってくれます。
再婚を決意された方でも、選択肢の一つとして問題はありません。
「子どもは了承しているか(懐いているか)どうか」
「自分が一緒にいられる相手かどうか」
も、もちろん大切なことなのですが、何よりも・・・
「本当に足りない性として必要かどうか?」
が大切かと。子どもは基本、かまって欲しいし遊んで欲しい寂しがり屋ですからね、相手がきちんと自分が足りないと思う性をもってくれているかどうかが重要です。
これだけに限定できるものではないのですが、平たくいえば・・・・・・
・父性が父性の役割を果たそうとしてくれているのか
結果じゃなく、それをやろうとしている姿が大切なんですよね。現実的には、家庭にお金を入れてくれているか、家庭に問題があった時にはすぐに動いてくれるのか、、、、など。
・母性が母性の役割を果たそうとしてくれているのか
自分の子どもじゃないのに、食事をつくってくれるのか、掃除や洗濯は?
役割的には、男は父性、女は母性の性が強いとは思いますが、性別はどっちでも構いませんよ(笑) お母さんがジャンジャンお金を稼いでくれて、それで家が上手くいっているのならそれで良いし、お父さんが「主夫」として家の仕事から子どもの面倒までみてくれているのなら、、、、、双方により人間的なより高いスキルは必要ですが(前の記事に書いた通り、性には短所・長所の個性があるため)それで子どもが 「心身ともに健康的に成長できるのであれば」 問題ないはずです。
あ、、、、ついでにこれも書いとこ。
自分の知ってる男性で、社会にでる勇気がないのに奥さんに働かせて・・・・・まぁ共働きは今の時代、仕方ないんですけどね。家にこもって男として大事な勇気(社会に全力で挑戦する:お金を稼ぐ)ことが出来ないのをいい事に、「掃除」「洗濯」「食事」 はやっています。とドヤ顔で自慢しつつ、株や投資でいくら儲かったと偉そうにいって奥さんや子どもにも威張っている男性を時々、見かけますが・・・・・・・なんか、男としてはしょっぱいですよね・・・・・・・。
株もパチンコで稼いだお金も、お金はお金。
それで生活しているのなら文句もつけようがないのですが、男・女、父性や母性の前に人間としてちょっと魅力は感じられなかったり・・・・・・・
まぁ個人の好き嫌いですので、お気になさらずに。
それから、もう一例。
現在、子育ても無事に終わった50代の女性。フト隣をみると嫁に寄りかかる、昔と別人かとおもうような姿のぐうたらな夫。まるで家政婦かのごとく嫁を使うわ、うっぷんばらしの対象にはするは、もう最悪な状態です。
「村雲さん、離婚したいんですよね~もう子育ても終わったし、別居して2年も進展のないまま、経っているんですよ私たち。」
「お。いいじゃないですか、離婚しましょうよ離婚!・・・・で、経済的には大丈夫なんですか?」
「でも、一人で生きていくのは寂しいですしねぇ~誰か、代わりの相手がいれば・・・・・・」
ここまでは割と普通の相談です(笑)話の続きは、そこから。
「・・・・で、実はいまお付き合いしている人がいるんですけど、、、、」
「あら、意外とモテるんですね(汗)だったら、籍を綺麗にして・・・・・」
「う~ん、再婚ってなると、どうなのかなぁ~離婚したら生活がねぇ~きちんと働いてくれるのかしら、神様に聞いてもらえませんか?」
「・・・・・・・・・・・・・・。」
これ、もうただの不倫でしょ?(爆) ここに、「本気で・・・・・」なんて本人が思っている以上に説得力がありません。
・・・・・・終わりと始まりを ”被せちゃう” 人が多いんですが、これ失敗の元ですからね~そんな女の人に本気で惚れる人もいないと思います。
きちんと子育てが終わったら、それこそイチから相手を探す場合も自信をもってください。そこまでやり切ったら、「もう若くないし・・・・」 なんて当然のことをいまさら自覚する必要なんてありませんからね。
凛とした女性の強さと、内に秘めた自信。
「本物の母性」のあるところに、「本物の父性」はひかれます、いくつになっても。それが社会に対する自分のあり方、生き様。それが本来の人間の魅力ってものです。
本物の母性に惚れた父性は、本気で守りたくなる・・・・・なので、
「あなたを一生守りたいので、籍を綺麗にしてもらってからお付き合いをはじめましょう」(これ実話です)
・・・・・このセリフが出る男性は、責任感があるとみて大丈夫だと思います。
男性は女性の容姿に魅かれることも多々ありますが、それで引っ張れるのも結婚するまでです、、、、、最悪、結婚までもいきません。
添い遂げよう!と決意された方は、あとはしっかり男性を褒めて(単純なので褒められると喜びます)しっかり稼いでもらって、最後の最後まで使ってやってください。
あくまでも理想(きれいごと) を並べた感じになってしまいましたが(汗)、愚痴をいいつつもケンカしながらも、二人で乗り越えているご夫婦もたくさんいらっしゃいます。
一人身でも、結婚されても、離婚されても、実りのある人生を謳歌されてください!
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コメント:4
- 千恵 15-09-11 (金) 12:08
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>一人身でも、結婚されても、離婚されても、
実りのある人生を謳歌されてください!
(*⌒∇⌒*) WOW~♪ 了解いたしました~GOOD!! - なみ 15-09-11 (金) 13:10
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村雲さん、こんにちは(*^^*)
今回の記事は痛いところだらけで(汗)
寂しい気持ちに負けない心を持ち続けるのはツラいですね。。
あと3年の我慢ですが、果たして私にその覚悟ができているのか…引きこもりつつも考える毎日です(^^; - 管理人 15-09-16 (水) 12:21
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千恵さん
とにかく、「プラス・プラス・プラス」の選択を。心と体は軽く、芯の決意は固く。結果はどっかりと受け止めて。そこからまた、「プラス・プラス・プラス」。これでいきましょう!
なみさん
楽しくすごすか、ただ3年じっと嵐がすぎるのを待つのか。せっかくの人生ですからね、焦る必要はありませんがじっくりと腰をすえて・・・・・ですね(笑) - ラキコ 18-09-01 (土) 14:43
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村雲様
こういう事があるのだなあと、知らない世界に戸惑いながら、興味を持ってブログの記事を拝見しております。
離婚や再婚の記事になぜか気持ちが非常に反応してしまい、コメントを入れさせていただく事にしました。
私は離婚したシングルマザーです。
世の中に倫理やコンセンサスがあるのも、多分知らないわけではないと思います。
個人的には、結婚期間、離婚、そのあと、子育て。何か、男女とか母とか父とか、稼ぐか家を守るか等。生活に付帯する全てのことが複雑に絡み合い、二元的な関係性では割り切れずにやってきた気がします。
もしかしたら、はたからみるとそういう事なのかもしれませんが、
複雑に絡まるすべてのことを、自分を見失わずに、大切なことは何なのかを、真似できるお手本がない中で、どんなに周りから何を言われても守るのが精一杯で暗闇も失敗も割り切れない形で通ってきました。それがよかったか悪かったかは未だわからず、ただの頑固者なだけかもしれませんが。
その時に一番苦しかったものは、二元的なアドバイスでした。
きれいにすれば入ってくる縁もある。
もっともかもしれません。しかし、自分のキャパをはるか超えてるのではないかと思う葛藤を抱えながら歩く毎日に、善かれと思って届けられる二元的な言葉はあまりにも手厳しく。仮にそれが何かの心理であっても、真理だからこそ、五里霧中の人間には言葉の強さが一人歩きをしてヤイバのように突き刺さることもあります。
もちろん、二元的なものの見方をされてると言いたいわけはなく、
子育てをしながら、一人で心身ともに倒れてしまうなら、どこかに愛情を求める経験をしてもいいと思いますし、人の数だけやってみたいこと、心がむく方向ってある気がします。
それをやらないと人自身は満足と納得をしないなら、私は結婚も離婚も、再婚も、なんでも、誰かがセオリーを指図するようなものではないと思います。もちろんそんな意図はされてないとは思うですが、私がひねくれているのか、そんな風にちょっとは心にきちゃうみたいです。
もちろん、倫理やコンセンサスありきですが。
でも、世の中そういうものが無視されていることもあります。
生まれついた場所がそういう時もあるし。
気がついたら、そうなっていることもあるし。
もし周りに危険な道に明らかに進もとうする人がいたら、友人としてそっちに行かないように働きかけはすると思いますが。
そして、別れた人は終わりと最初がかぶるなんて、人の心の柔らかさや弱さがやんわりと出るかわいい感じではなく、良く言えばひたすら無邪気だったので、他に言葉が見つからないのでちょっと不本意な用語ですが不倫といいますが、そういうものを沢山していたようで、離婚の決め手になったのもそういうことで。
でも、私はちょっと癖の悪いとこを直して、でも、良いとこもいっぱいある人なので、これからの別れた相手の人生が手応えのあるよいものならいいと思っています。
不倫をしたから良くない関係しか手に入れられないとか、そんな風なことを相手に望んでいません。
私は苦しみが多かったですが、その苦しみの中に自分を反省したりというのも随分入っていました。
それを通して、私が成長したかはいまはまだわかりません。
けれど、何が幸いするかは、形ではなく、経験と自分を見つめる勇気に絶え間無く向き合い続けることだと思います。
私は、もし、今離婚や不倫で心をやまれている方がいたら、多分、二元的なものの言い方は、仮にいつかそれが真実になっても、極力避けてするんじゃないかと思うのです。
オセロなら簡単ですが、人の心はすぐにひっくり返るものではないですし。
きっと私のコメントは大変にご無礼かもしれません。じゃあ、書かなきゃいいじゃんという話にもなるのかもしれませんが。
こういう心もあるんですと、言いたくなっちゃったので、どうぞお許しください。