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虐待する親のもとに生まれる赤ちゃんの魂について(管理人の見解)

あなたならどう考える?虐待する親のもとに生まれる赤ちゃんの魂について2015-05-11 (月)

たくさんのご意見、ありがとうございます。皆さんのご意見は、表現の違いはあれど、どれをとっても素晴らしいものでした。管理人も管理人なりにいろいろ考えてみましたが、今のところこれが自分の考えです。

どなたかのコメントに、「代弁はできない」とありましたがその通りだと感じます。なので、自分が経験したことを踏まえて、その魂の立場になってみると・・・・・・やっぱり、目的としては 「魂の進化(お互いの成長)」。もっと砕けた言い方をすれば、おそらく 「自分が選んだもの」 に ”賭けて” みたんだと思います。



そう考えた理由には、二つのポイントがあって・・・・・・

① お腹の中に入った時と、入ってからの魂の目的が変わること
② ”進化”は自分一人では成り立たないもの

があげられます。

①につていは、幾度か記事にさせてもらったように、生まれてくる前(親を選ぶとき)は、「どういう親であれば(自分自身が)成長させられることができるのか」。

これは親の”魂”を超えた、崇高な部分がうかがえます。

そして、魂が肉体に入ってからは、「どういう親であれば自分自身を成長させてくれるのか」。

これは生物的な、”自覚”や”生まれて最初の我” ととらえても問題がなさそう。

魂が親選びから、肉体に宿るまで、モノの考え方がガラリと180度違ってきますが・・・・・

管理人が考えるに、核となる魂は最初の「成長させられるのか?」。

その核を中心にさらにもう一回り、大きく覆いかぶさる魂が、「成長させてくれるのか?」。

最初の核(目的)が「ビー玉」。
その次の核(目的)が「風船」。

風船の中にビー玉が入っているイメージですね。

きちんと生まれてこの世に産声をあげれば、そのビー玉を覆っている風船の上に、さらなる覆っているもの。次の「目的」。

それは、言葉にすれば生物的で原始的な、「自我(感情や欲)」となるのでしょうが、、、、、これは赤ちゃんの場合、「お腹すいた」「眠たい」「うんちやおしっこがしたい」「気持ち良い」「気持ち悪い」・・・・・実際は、これぐらいでしょうか。



①について、「なぜ目的が変わるんだろう・・・・・」と考えて、最近、奇しくも自分自身のことについて考えていた時にわかったことがあるんですが(いや、教えてもらった・・・かな?)

結局、「目的が変わる」=「制限ができる(自分の中で制約をつくる)」=「より自由な、”自由”が手に入る」 ということ。(これは大人にも大きく関係することなので、またいつか改めて記事にさせていただきますね)

・・・・ようするに、「崇高な一生命体」から「人間」として、これも実は進化しているんですよね。

より自由になるために。より輝きをますために。


②に関していえば、これも至極まっとうな話で・・・・・・

人が成長するには、人(自分以外の人間)が必要不可欠です。
人は人の中でしかホントの意味で磨けません。

「リーダーとは、リーダーを育てた時にはじめてリーダーになる」

という言葉があってですね、、、、、この言葉を知った時に、「・・・・確かに。。。。」と軽い感動を覚えました。

夫婦になってみても感じることなんですが、

「あ~こいつ、全然わかってないなぁ~・・・・・」

と感じてしまっている時は・・・・・実は、”わかっている” と感じている方も 「たいしてわかっていない」というサインなんですよね、経験上!(爆) ・・・・ウチは最初、これが原因でケンカが多かったような気がします。まぁ一言でいえば、”わかっている”と勘違いしていた自分に主な原因があった・・・・・ということです(汗)



①と②をトータルして考えれば・・・・・・

そこから(勝手に)導きだした答えは、「お互いの魂の進化(成長)」と、「選んだもの(親)」に対しての期待(愛や情)と自分では認識しております。

この言葉が適切かどうかはわかりませんが、最後は”賭け”ですからね。「崖から飛び降りる勇気が必要」と、神様か守護霊様には教えてもらいましたが、”生まれてくる” という行為に、肉体としての維持と、親選びを含めての勇気だと思います。

(今、この画面を読んでくれている皆さんは一番最初で、一番大切な「勇気」への代償をもらった方々ばかりですね(笑))


「虐待されて亡くなった子はそれが運命だと知っていたのか?」

自分はそうは思いません。・・・・・いや、そう思いたくないのが本心かも知れませんね・・・・・。

その子たちがあの世で幸せに過ごしていることを願い、信じていますが、もしも虐待の末、子どもの命を殺めた親が、

「最初からそうなることをこの子は知っていたんだよ。」

というセリフを吐こうものなら、怒りが抑えきれないと思うから。


かくいう自分も、当時は虐待?まがいの行為を受けてみたりしましたが、それでもありがたい事になんとかここまで五体満足で育ち、考える力もあり、創造を形にする能力も最低限ある人間に育ったと自覚しております。

今となれば、親に対してはいろいろ含めて「感謝」しかありません。

が。

それでも時々、最初の魂の目的を忘れて、親をみるたびに

「なんでこの人たちはこれが分からないんだろう・・・・」
「なんで、そこでこのセリフを吐くかな。。。。」
「あぁ、もう、ムカつく!」

などなど、言葉にできない、、、、いや、しちゃいけないだろうと思われる感情がフツフツと湧き上がってしまうことも多々あります。。。。。


「親と上司は選べない」

とは言いますが、親は最初の自分の魂が選んできているはずですけどね~その「選んだ責任」 を忘れちゃっててですね~・・・・・・親への理想のみが大きくなってて、それが自分の成長を妨げちゃってる訳ですね、、、、、、、反省。

そうはいっても、虐待する親を擁護するつもりなんてサラサラありません。

サラサラないどころか、「選んできてもらった」という想いを最後までもって、責任もって子育てして欲しいと切に願います。

また、すでに大きくなった子ども・・・・・「大人」の方に対しては、『親』 は今となったら守るべき存在であって、それは 「自分自身の成長のため」 という魂の二番目の目的になっていることを忘れないで欲しいですね。

・・・・・・いや、管理人も忘れないように生きよう・・・・・・・。


コメントの中に、

「自分の魂も、自分が、こういう人生歩むと、なんとなくわかってたのだろうか?それでも、自分の魂が自分になることを選らんだのか」

とありましたが、これは違う気がしてます(苦笑)

柔らかい風船(心)の中に、ビー玉(魂)が入ってて・・・・・その風船の表面は、柔らかくてフワフワしてて「感情」と呼ばれるもの。その「感情」の上に、人は経験を積んでいって「自我・自覚」や「考え方」が身についていく。

中心の核である、「ビー玉」 をしっかりつかんでおかないと、「このビー玉が大事だ!」との考えは間違っていないのですが、「人生の主導権」「自分の人生への影響力」は、「感情」の上に積み重なったものの方がでかかったりするのが実体験かな?


この世に生まれてきたすべての皆は、最初から素晴らしい魂をお持ちの方ばかりなんですが、、、、、なぜ不幸を感じたり、落ち込んだり、悩んだりするかというと、考えられる理由はこれも二つ。

・ 自身の核に異常に期待している
(自分自身をあまり知らない)

か、

・ 自身の核を表に出し切っていない
(磨き方を知らないか、磨いていない)

に行き着きます。

(「磨く」っていっても、ハァ~っと息を吹きかけ、必死で布でこするイメージが強いんですが・・・・・本来は、広義の意味で 「自分の魂を大切に扱えるかどうか」 だと思っています)

自分自身の核が「ビー玉」ではなく、「米粒」の人が、・・・・・・米粒なりの力を全力で発揮した結果、、、、それがどんな結果であれ、不幸を感じたり、落ち込んだり、悩むことはありませんからね。管理人のように、普通に納得して幸せに生活していると思います。


そう書いちゃうと、「生まれてから・・・・ひょっとすると、生まれる前からすでにビー玉か、米粒か、水晶の玉か決まっているのでは?」 と考える人がいらっしゃるかも知れませんが、基本的には生まれてくる前は皆、すべて同じ大きさです。

どんな大きさであっても、磨けば磨くほど(大切に扱えば扱うほど)魂は削れていくどころか、光り輝く(大きくなる)という性質をもってます。
神道に「修行」という言葉はありません


これってね、言葉で伝えるものじゃないという気がしております。

やっぱり、一人一人が背中でみせていく、次に繋いでいくものだと。


それからコメントでもありましたが、何を「虐待」とするかは難しいですね、、、、、

自分も今考えれば、些細な理由で裸で家の外にほおりだされたり、手足を縛られ猿ぐつわをされて姉と二人、押し入れに押し込まれたり、水をかけられたり、水につけられたり・・・・・いろいろありました。

そんな姉が一人息子の甥っ子を、同じように風呂につけていたのを知った時は・・・・怒りよりも先に、悲しみと恐れが心の底から湧き上がりました。

いつも笑顔で身近な友人が、「昔、この子を殺して自分も死のうとした事が一度ある」と聞いた時、本当にびっくりしました。


お嫁さんが「子育ての勉強会」に参加した時、

「最後にオムツを換えた日を覚えていますか?」

と先生から質問があり、ほとんどの人が覚えてなかったそうです、、、、そりゃそうですよね~あれだけ真剣に、必死で子育てしているとそうなりますよ。

でも、真剣に、必死になりすぎているお母さんが身近にいらっしゃる方は、ぜひとも以下のことを伝えてやってください。

・子どもは親を選んで生まれてくる
・子育てに正解はない
・一緒に成長していくのが目的である
・「母」よりも「妻」よりも、まずは「自分」であるということ

そして、

・子育てもいつか必ず終わりがくる

ということ。


昔は団体戦、共同体(コミュニティ)の中で人を育て、人に育てられていた時代。

・・・・・今となっては本当に難しい話ですが、「虐待?」と迷ったらまず匿名で通報を。悲しいですが、これで一つでも救える可能性ある魂があるとするならば、今の時代は仕方ないのかも知れません。


親と子ども、どちらが先にあの世にいっても、「一緒に成長する」という目的は変わることはございません。

すでに子育ても終わり、親の介護をされている方々。

ここにも、管理人がわからない苦労や努力や悩みもたくさんあるとは思いますが、真剣にやり過ぎないように、「まずは自分自身」という余裕をもって一つでも多くのことを今世で学び、学びをもとに豊かに過ごしていきましょうね。



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コメント:10

ひで 15-05-12 (火) 12:52

こんにちは。ブログ読ませていただきとても為になりました。文章にもありましたが私も幼い頃に同じようなことを母親にされてまして、ま、自分が言うことを聞かなかったからなのかも知れません。でもその時の気持ちや寒い思い出は今でもはっきりと覚えていますね。だからこそ子供達や他人でもやられて嫌な事はしないと思ってますし、やりません。変な感想になりましたがこれからもブログ読ませていただきます。

15-05-12 (火) 13:26

障害のあるお子さんをお預かりする施設で働いています。
通ってきてくれるお子さんは本当に千差万別で、お母さんもいろいろな人がいます。
でも、そういうお母さん方に、「お子さんはあなたを選んで生まれてきたんですよ」と言ってみたとして、いったいどれだけの人の心に響くだろうかと思います。ポジティブに捉えられる人は、そんなに多くはないんじゃないかな、と。
叩かないと言うことを聞いてくれない・・と思いつめている人に、「それは虐待です」とは言えないし、子の行く末を案じて一生懸命自分を押し潰して日々頑張っている人に、「あんまり必死になりすぎないで」とも言えない。私自身は、子どもさんが自分のところにいる間、お母さんが不安なくお仕事できたり、コーヒーでも飲んで息抜きしていてくれたら嬉しいな、と思いつつ、仕事をしています。
村雲さんの仰ってることを否定したいわけではないんです。
でも、自分の想像をはるかに超える環境で子育てをしている人は確かにいて、その人達と共感しあえる体験がベースにないと、村雲さんの仰ることは、そう容易く言えることではないかなと思うんです。
個人的には、子育ては自己責任ではないと思っています。
色んな形の命や生き方がある事を知って、直接関係のない私達がまるごとそれらを受け入れられるように、こども達は色んなメッセージを持って生まれてきてくれるのだと思うのです。

千恵 15-05-12 (火) 16:51

村雲さんの仰る通りですね。


マザー・テレサのお言葉にもあるように…。

「愛の反対は憎しみではなく無関心。」

「思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。」
「言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。」
「行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。」
「習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。」
「性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。」

自身の思考1つで…愛にも暴力にもなるのでしょうね(><)

ちゅみ 15-05-12 (火) 20:15

私は父によって性的虐待を受けていました。レベル的には低い?ものではあったのでしょうが、思春期の私は傷付いていましたし、父を嫌悪していました。母はそんな様子を見ながらも笑っていただけでした。
きっと二人共それが虐待だとは思っていなかったのだと思います。
やめて欲しいとも言えませんでした。気に入らないと声を荒らげて怒鳴り、物を投げ壊す父は私にとって恐怖だけの存在でしたから。
父は子供を私物化し電気を消しなさい「はい」と納得した時の「はい」は同じだと言う人です。私が友達を作ると友達なんか必要ない両親が居れば幸せだとも言う人でした。趣味に興ずると趣味等持つ必要は無いお前は両親と一緒にテレビを見ていれば幸せだという人でした。
私に反抗期が無かったというのが両親の自慢でした。無かったのではなく封じ込められていただけでした。思考を止められていただけです。

戦いが始まったのは私が30歳を過ぎてからでした。29歳の時に大きなきっかけがあり、このままでは私はたった一度のこの人生を生きながら死んでいると感じたからです。

ある日両親が言いました。
「お前は変わった。素直じゃなくなって可愛げがなくなった」と。その後も戦いは続きはしましたが、よくわからないけど両親のその言葉を聞いてホッとしたのを覚えています。

そんな両親を選んだのはやっぱり私自身だったんですね・・母は昨年12月に亡くなり父も84歳になります。
もう一度人生をやり直すとしてこの両親の元で良いですか?と訊かれれば・・「暫く考えさせていただきます」と答えると思いますが(笑)やっぱり選ぶような気がします。

生後間もない時の私を見つめる父と母は若いながらも命を託された責任感で輝いていますから。
2人がいたから私がいるから。

希映 15-05-12 (火) 23:08

生んでくれてありがとうって大好きって赤ちゃんの泣き声にメッセージが乗ってたらそれを伝える為に生まれて来るのかなって、超長文書いて思いました。
長文は消しました、長かったのと取り止め無かったので(-_-;)

伝わらずに命を落とす危険も省みず。

ちきん 15-05-12 (火) 23:18

深いテーマのお話ありがとうございます。

虐待の通告は年々増えています。
これは周りの方々が子ども達や保護者に関心をもっている成果だと思います。
本当に1本の電話で救える命もあるのです・・・。

人として生まれる以上はみんな未熟なんでしょうね
みんな愛されたいし誰かを愛したいんだと思います。
簡単な事が一番難しいです(笑)

また村雲さんに会いたくなったじゃないですか
今度は一升瓶を持って行きますよー( ´艸`)

管理人 15-05-13 (水) 10:24

ひでさん
「だからこそ子供達や他人でもやられて嫌な事はしないと思ってますし、やりません。」・・・これだけでも立派な進化だと思います。

鵙さん
コメントありがとうございます、鵙さん。現場の声が一番ありがたいです。「その人達と共感しあえる体験がベースにないと、村雲さんの仰ることは、そう容易く言えることではないかなと思うんです。」・・・・おっしゃる通りですね。厚かましいですがもう一歩踏み込んで、「共感しあえるベース」がない人たちが働きかけれるアプローチ方法をよき理解者として提案していただけると嬉しいです。尊敬できるお仕事をされていると思いますよ。

千恵さん
わかっているつもりが、、、、おそらく日々の忙しさにかまけて、実行ができていないので、ついつい忘れちゃうんでしょうね・・・・・やっぱり頭でわかっている内は分かってないのと同じですね。聖人になるつもりはありませんが、ちょっと反省。

ちゅみさん
すごいですね、、、、月日が経つごとに、ちゅみさんがドンドンと変化している気がします、、、、、すごいですよ本当に。いや、もともと凄かったんでしょうね。自分の中身をより深く知ることによって、外とのすり合わせがドンドンはじまったような雰囲気・・・・・

管理人 15-05-13 (水) 10:33

希映さん
わかります(爆)ブログ(文章)を書いてて思うのは、一度、きちんと自分の中で咀嚼して書き出さないと、誰かのブログみたいになっちゃう。そして後から読んで、「へぇ~」みたいな(苦笑)書きながらまとめてしまう癖は良くないよね、って自分に今、言い聞かせてます(笑)

ちきんさん
なんか監視して、されている社会みたいで嫌なんですけど、後からガチャガチャ言っても、取り戻せるものと取り戻せないものが世の中にはありますからね、、、、難しい。ウチも時々、「これ通報されるんじゃね?」ってぐらいのレベルで赤ん坊が泣いてしまうんですが(虐待していないよ、、、ってか、そのつもりだけど)その分、ご近所さんへの挨拶とお付き合いは余計に念を入れています・・・・・「簡単な事が一番難しい」、ホントそうだよね。

15-05-14 (木) 22:38

村雲さんが問いかけてくださったアプローチの方法を考えてみたのですが、なかなか効果的な答えが見つかりません・・申し訳ないです。
個人的には、当事者にどう働きかけるか、というよりも当事者をとりまく私達がまずその人が抱える苦しみをどう理解し、捉えるかという事が重要な気がします。
児童虐待もそう。
もちろん、子を傷つけ殺める親が悪いのは当然ですし、子を物のように扱う猟奇的な親も確かに存在します。
でも、虐待事件ひとつとっても本当に様々な背景があると思うんです。

以前、発達障害を持つ子どもさんを育てていて虐待通報されたお母さんとお話したことがあるのですが、「自分の育児の大変さを知ってもらうきっかけになった」とポジティブに捉えておられた反面、「自分は頑張ってたつもりだけど、周りには虐待する母親だと思われてたんだと思うと、辛い」ともこぼしておられました。

学生時代に実習をしていた市役所では、保健師さんから、自身が適切な養育環境に置かれていなかった為に、うまく子育てできない親が増えているという話を聞きました。殴られて育てられたから殴ることしかできない。不潔なところにいたから清潔にするという感覚がない。ご飯を作ってもらったことがないから、作れない。
嘘のような話ですが、自分を守る為に避妊をするという知識がない為に無計画に妊娠し、子育てに忙殺されるお母さんもいるんです。

そんな話を聞いて、村雲さんはどう思われますか?
私自身も、親から殴られたり閉じ込められたりして育てられたタイプでしたが、こういう話を聞いた後は、親も厳しい環境で必死で、そうするしか思いつかなかったのかもしれないと思うようになりました。

私を殺さなきゃいけないぐらい、お父さんとお母さんが何に困っていたのか。何が辛かったのか知って欲しい。

失われた小さな魂は、そんなことを訴えているような気がします。

管理人 15-05-15 (金) 10:26

鵙さん
まずは鵙さんの真摯なコメント、心から感謝です。自分はすべてにおいて、「共感性」が大切だと感じています。(「共感性」の前には「きっかけづくり」という手段が必要ですが)これは長くなるので、真剣に一本の記事にさせてください!

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