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宗教界の革命家、「厩戸王子」という天才について①

中学時代、高校時代と部活と勉強(勉強は嘘ですけど)に忙しいかたわら、管理人がはまりまくったゲームが光栄さんの「三国志」「信長の野望」・・・・・・これらが最初の人生を踏み外した要素のひとつ、、、、といっても過言ではありません(爆)

歴史ファンの管理人のファンタジーをみたしてくれる戦国武将たち。

織田信長をはじめとした武将は多数いますが、その中でもゲームの影響か、どちらかというとマイナーな武将の方が好きだったりしますが、その中でも 「高橋紹運・立花宗茂・道雪」 といえば九州では絶対にはずせない有名な武将たちです!今でも糟屋郡には立花が城を構えた立花城の跡が残り、その後は「三本の矢」の創作話で有名な毛利元就の実子、小早川隆景が入城。その後は黒田官兵衛の実子、黒田長政がその地を治めますが、今でも石垣だけ残る 「福岡城(現 舞鶴公園)」 の城壁はこの立花城の城石をそのまま運んで利用したと書かれております。





「あれ?今日は 厩戸王子(うまやどのおうじ、後の聖徳太子)」 の話じゃないの??

・・・・と思われた方、間違ってませんのでご安心を(笑)

九州で活躍した武将の中でも自分が大好きな、

「高橋紹運・立花宗茂・道雪」

その君主にあたる 『大友宗麟』 は戦国時代、安土桃山時代ではちょっとしたキラリと光る異端児でして、またその時代を駆け抜けた大名の中でも、「キリシタン大名」 としてかなり有名です。(もちろん、当時はキリシタン武将はたくさんいたと思いますが)

・・・・・と、ここまで一気に勢いで書き上げたのですが(笑)「大友宗麟」と、「厩戸王子」 の話に戻らせていただきますが、、、、、キリシタン大名、この不可思議な言葉が生まれる土壌をつくってくれたのも・・・・・・時代ははるかに違っても、その功績は「厩戸王子」 だと自分は思います。

分かりやすく、『聖徳太子』 で名前を統一しますが、聖徳太子はそういう点では日本のなんでも取り入れられる柔軟な宗教文化の発起人、またそのことによって神道を今まで生かしてくれた恩人、偉大なる思想家でもあり文化の革命家・・・・・ですね。


聖徳太子といえば、皆さんも一度は教科書で目にしたであろう

「摂政」(政治をサポートできる重職)
「冠位十二階の制定」(身分に関係なく、能力に応じた登用)
「十七条の憲法」(中央集権方の国体)
「遣隋使」(新しい文化を仕入れる為の、積極的な外交)


などなど。今更ですが、「聖徳太子は本当は実在しなかった!」なんて説、実は戦前から幾人かの歴史学者の中では発表されたりしておりますが、自分は歴史は好きですが歴史学者ではないので、ここでの真偽はとりあえず放置しておいて・・・・・・・

この功績の中でも教科書によくのっている話が、

『仏教の蘇我、神道の物部』

という、二大勢力がそれぞれの宗教を推し進めてきた (ここでは解りやすいように”宗教”という言葉を使いますが、ただしくは神道が宗教法人化されたのは終戦直後の昭和20年より) それを利用して政治を行おうとした際に、

「よし、これからは仏教を広めようか!」

と簡単にいえば仏教が広まる土台・下地をつくられ(そこから一気に仏教という教えが広まっていく=神道の衰退、、、、、と解釈されやすいのですが) 戦の際には、


「勝たせてくれたら仏教を大切にします!」


なんて、可愛げのない約束を仏様とやって、本当に戦に勝っちゃったり、その後は仏教に帰依し、多くの仏像やお寺を寄進したり・・・・・

「国をまとめ、治めていこう」 という政策の中で、当時の政治はまさに命がけ・・・・・・神道(自然信仰、日本民族に代々伝わる思想)で国を治めようと考えていたグループにとっては、


「なにやらかしてくれてんだよっ!!!!!」

って攻撃され、反仏教・儒教派(というより、古来からの神道擁護で国を維持していこうとした保守派・・・・かな?)からは忌み嫌われる存在になってしまったのは仕方ないのですが・・・・・・


正直、当時のこれからの国の在り方・新しい国をつくっていく中ではベストの選択肢だったのかも知れません。

ただ、間違っちゃいけないのは、だからといって

「神道を非難した、排除した、廃絶しようとした」

わけではないんですよね、、、、、

当時、聖徳太子が摂政をおこないサポートしていた天皇が 『推古天皇』。聖徳太子の叔母でもあり、日本初の女帝でもありました(東アジア全体をみても、初の女性国家統治者だったそうです)


推古天皇は崇仏を行いながらも、きちんと天神地祇に対しての畏れ敬いを忘れず、きちんと祭祀も行っていたと記録は残されております。


新しい国の夜明けにあって、今からの国の在り方はどうあるべきか?

またその国はどういう方向性でいくべきか?

方向が定まれば、その国はどういくべきか?


う~ん、、、、これ書きながら、いろいろなものとリンクしちゃいますね(苦笑)

「神道の思想」という ”蒸したもち米” を打ちつけ、「儒教の思想」 という ”水” を加えながら、「仏教の思想」 という ”丸め方” で新しい 『お餅』 という食べ物をつくり出して、

「はいどうぞ。皆でこれを食べようね!」

と目の前に出してくれたような感覚、、、、、まぁ、餅がベタベタして、ノビノビしてて苦手で受け入れられなかった人も多かったとは思いますけどね(笑)


結果としては、三つの思想を分担させ、それぞれの宗教を統治し、それを国造りの根底にすえた・・・・・「日本初の天才、宗教界の革命児」 と呼べるのはこの人を他において存在しないのじゃないかと。

聖徳太子憲法の第二条は、「篤く三宝を敬へ。三宝とは仏・法・僧なり」となっている。この場合の「仏・法・僧を敬え」というのは、決して「神道のかわりに尊べ」という意味ではない。太子の憲法に流れている思想体系は、主として儒教・仏教であるほかに、法家や道家の思想も入れられている。その条文の用語には漢訳仏典系のものが多いが、そのほか詩経、書経、論語、孟子、荘子、中庸、礼記、管子、史記、文選などから採ったものがある。つまり太子は、当時の唐・天竺(インド)の文化と思想の精髄を集めようとしたらしいのである。

ー『渡部昇一「日本の歴史」第一巻 古代編 現代までつづく日本人の源流』 から一部抜粋ー



つづく。

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コメント:8

うさぎ 15-03-25 (水) 20:56

厩戸王子大好きなのでとりあげていただきとても嬉しいです。
できることならお嫁にいきたかったです(笑
また続きを楽しみにしています。

通りすがり(3回目 15-03-26 (木) 0:58

待っていました。

小学校から習って幾度も目にしてきた人なんですが、自分にとっては’聖’に’徳’っていう漢字を使っているあたりがなんかこう、畏れを感じます。畏れというかなんというか、見れば見るほど、他の歴史上の人物とは変わった印象を受けます。

まあこういうご時勢だし、ネットを見てるといろんなことが書かれていて思うことも多いんですが・・・やっぱり名の通りとても優れた人物だったんですね~。

次も待ってます!でもあんまり無理しないでくださいね~!

15-03-27 (金) 3:55

初めまして。最近このブログを見つけて以来毎日見てます。全く記事と関係ない質問なのですが、今月東京のとある神社に自分の決意を言いに行きます。そこには本社と摂社があります、本社と摂社全てに決意を宣言した方が良いのでしょうか? 今自分はそうしようと思っているんですが村雲さんはどう思われますか?

エビフライ 15-03-27 (金) 12:01

本さん、
差し出がましくてすみません〜
わたしも最近、摂社のことを、こちらで参考にさせて頂いたので、もしかしたら本さんにも参考になるかも。です。
http://ryu.uranaido.net/2013/08/21/post_4208.html

上の方に、便利な検索機能まであるみたいですよ〜

管理人 15-03-27 (金) 12:27

うさぎさん
こんにちはうさぎさん。お嫁にいって、これほど大変な場所はないと思いますよ~(笑)でも一度はお逢いしてみたかった歴史上の人物の一人ではあります!

通りすがり(3回目さん
ありがとうございます(笑)聖徳太子が文献に初めて載っているのは日本書紀。ここでかなりあやふやな供述が多いため(もともとは日本書紀自体が、対外国用の歴史書であるため)にその存在が疑われています。良かったら調べてみるのも面白いですよ~

本さん
はじめまして本さん。以下のコメントを参考にされてください~

エビフライさん
ありがとうございますっ!!

15-03-27 (金) 19:05

エビフライさんありがとうございます!

あとり 15-03-29 (日) 10:45

こんにちは。
先日は鑑定ありがとうございました。お聞きしたことを念頭に置いて、自分なりに積極的に気づいて行きたいと思います。

厩戸皇子に関して
私も若い時から興味のあった存在で、居住が関西なので所縁のある霊場をめぐってみたり、法隆寺主催の「太子道を歩く」法隆寺からお墓のある叡福寺まで歩くというハイキングに参加してみたり(*^^*)、まつわる文献を読んで自分なりに考察した結果、政治的手腕とシャーマン的な力も合わせもっておられたゆえに上宮法王と言われていたのかな❔当時の時代の先を行き過ぎて‥
蘇我氏との、折り合いもおありでしたでしょうし‥
能力の高いと言われている霊能者の方々も「ふれてはいけない存在」扱いなのはもうかなり上の神様になってしまっているからなのかな‥
この時代から現代に至るまで残る、呪詛や結界を何重にも張り巡らされて怖いことになってしまっているのかな‥

なんかいまいちはっきりしない
今回、私の能力不足で言明できなかったことが、載ってたので、少しスッキリしました。
築かれた理想や想いは現在に生きる日本人にも、これから先も全然有効ですもんね。

本当に1500年ぶりに優れたリーダーに現れて欲しいものです。

管理人 15-04-03 (金) 20:42

あとりさん
こんばんは、あとりさん。先日はこちらこそ、ありがとうございました!「太子道」、初めて知りました。日本の土壌はまだ死んでいないと確信しています、なんと言っても「神道」が残っていますしね(笑)自分は天才政治家は無理だけど、サボり症の百姓になっていい土壌だけは耕して残したいなぁ〜(笑)

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