つづき。
「日本初の天才、宗教界の革命児」。これは決してオーバーなネーミングではございませんし、まぁ存在したのか、いなかったのかは別として(厩戸王子は実在したようですが有力皇子の一人としての存在はあるものの、政治的補佐ができる場所ではなく 『聖徳太子』 そのものは当時の、日本人の夢や憧れが凝縮した空想の姿である・・・・・なんて説もあるのですが)
個人的な意見をいわせてもらうと、「実在したのか。本当はいなかったのか?」 ではすでに語れないほど、スケールの大きな存在となっている訳でして・・・・・・
その理由としてのひとつに、栃木県に 『聖徳太子神社』 というものがもう300年以上前から存在しております。ってことは、いくら研究されても、神格化した架空の人物と呼ばれても・・・・・聖徳太子はすでに”神様”なんです!神様が存在したか否かなんて、理屈理論では説明できませんもんね(爆) ・・・・・・日本の神々様とは、なんと便利な存在なんだ・・・・・・・。
今現在、管理人がパソコン打っている間にも宗教の違い・・・・・もとい、思想の違いから、文化の違いから、人種の違いから世界各地で戦争や内戦、武力紛争が起きているでしょ?内戦だけでも2005年のデータによると、27カ国で32の武力紛争がおこっているそうです。(その地域に住む人の合計は、23億3000万人。じつに世界人口の3人に1人は、 戦禍に巻きこまれている計算になる)
日本は、我が国の最初で最後の 『蘇我VS物部』 の宗教戦争以降、今の所宗教(思想)でのテロは国内で起きていても(オウム真理教のサリン事件とか)お互いに違う宗教の旗印をたて戦いがあったということはありません(信長の比叡山焼き討ちも、宗教戦争ではなく政治的な戦です)
江戸時代に鎖国はあっても、完全に多文化を排除した訳ではなく、制限したり新しいルールを取り決めたり、『コントロール』 しておりました。(その中から 「出島」 という存在が出来上がった訳です)
その基をつくってくれたのが、西暦の574年に誕生した厩戸王子、のちの聖徳太子。この人がわりと早い時期にこの日本で生まれてくれたのは奇跡としかいいようがなく、ありがたい話です。そりゃ~一万円札にのって当然の方です(笑)
たとえるのなら、日本人を母体にして、白人と黒人を混ぜて一人の人間として仕上げたんですからね~・・・・・驚くべき、政治的センスと叡智。
これが 『冠婚葬祭』 にしても、クリスマスを祝い正月には神社に詣で、死ねば葬式を行い、成仏したかどうかが気になる国民性の原点。
その考えは今の日本まで脈々と続き、
「神道は世界的にもその性質上、期待されている宗教」
と呼ばれている所以でございます。
自分が思うに、「宗教」の本来の存在意義は勇気や希望、また救いや安心、道しるべなどいろいろありますが、
「外側の形が違うもの」
をひとつに出来るという、とてつもない力を持っております。(同じキリスト教の、大名と農民が並んで聖書を読み上げたり。白人と黒人が一緒に聖歌を歌ったり)
はじめに書かせていただいた大友宗麟をみればわかるように、「キリシタン大名」と妙なネーミングができあがったのも、元をただせば聖徳太子さんのお蔭でもあります(笑)
・・・・・が、残念なことに他国や他地域では・・・・・・世界の宗教戦争や内紛をみれば、どこか宗教としてのとらえ方が間違っているんでしょうね・・・・・・
「宗教(思想) VS 宗教(思想)」
これでどれだけの血が毎日流されているのでしょう・・・・・
ちなみに、残念なことに 「神道」 は敗戦とともに廃絶されないための手段として、宗教法人化されてしまいましたが、、、、、本来の 『宗教』 とは、そこに教祖があって、教典がある(キリストがいて、聖書がある。お釈迦様がいて、お経があるように)のが定義なのですが・・・・・・・(今日の日に想ふこと(葦津珍彦(あしずうずひこ)さん))
「教祖はいない。教典もない。」
と、宗教というわくでは語れない、なんとも摩訶不思議な宗教なのでございます。存在そのものは ”宗教” というより、”国体(その国の基本的な思想や根幹)” に近い存在。
もうひとつ勘違いしてはいけないこと。
「聖徳太子の、「和を以て貴しとなす」の考え方は素晴らしいっ!世界平和のため、日本の為に即実行だ!!」
「いろんな文化や思想をミックスして、新しい文化や文明を築いた天才が古来の日本にいたのなら、今の自分たちもそれを見習おう!」
と騒ぎたて、できもしない 『Love&Peace』 を謳ってしまう、慌てん坊も世の中には多いのですが・・・・・
聖徳太子は国内を統合するため、いえば 「コントロール」 する目的の為に、”和を以て貴しとなす” と政策のために智恵を絞ってそれを実行していった方でして。
その言葉の意味や成果だけ・・・・・表面だけで受け取ってしまった結果、
「他国と仲良くしなきゃ」
「他国の思想や文化をすべて受け止めよう!」
とされている方々もいらっしゃいますが、果たしてそれが日本国を含めた他国との情勢をコントロールできる手段になっているのでしょうか?きちんとした思想と計画があって謳っていることなのか?・・・この辺りはどうなのかと考える必要があるのかも知れません。
『Love&Peace』 は大賛成だし、平和が一番は当然の求める結果ですけどね・・・・・・・
日本をとりまく近隣の国がどんな思想だろうが、どんな宗教だろうが別段構いません。この国を向上させ、さらに大事なところは残していくというコントロールの手段のひとつとして、「良い所は受け入れ、取り込む。」 それを粛々と行うのが、日本民族の国民性。
これが、この国を守る決意も思慮もなく、たんに「和を以て貴しとなす!」 を合言葉によって 『国益が害されて』 しまえば、本末転倒です。
個人的には、聖徳太子の政治的センスは国内統治&当時の超大国との関係においては多大なる功績と後の国づくりにまで、大いに貢献してくれました。
ほとんどの国の人間が知らない東洋のたった小さな島国が当時の超大国(隋)の皇帝に、遣隋使(翌年は小野妹子)を使者として
「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙なきや」 (日が昇る国の天子が、日が沈む国の天子に書を送ります)
という文書を送って激怒させております(笑)
本来は、日が昇る国(東にある国)・日が沈む国(西にある国)という意味合いだったのでしょうが、表現もさることながら ”天子”という言葉は、一皇帝を指す言葉でして。聖徳太子は対等な関係ですよ~と、この国を守る誇りと気概に満ちた、かなり強気なメッセージだったんでしょうね!
この一文をみただけでも、聖徳太子は決して「仲良しこよしが一番だよ!」 と訴えていただけの政治家じゃないことが良くわかりますし、外交手腕としての腕もピカイチ。さらに宗教界をきちんと把握・利用して国内を治めきった「天才」としか言いようがない人物です。
まぁね、1000年に一人の美少女は数年おきに量産されているこの国で、1500年に一人の国際情勢をコントロールできる天才政治家がそろそろ現れて欲しい・・・・・・なんて管理には願っております(笑)
というわけで、長くなりましたが「厩戸王子」のお話を終わります。
コメント:8
- 希映 15-03-27 (金) 16:37
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村雲さん、皆さんお疲れさまです。
なぜお疲れさまですかというと、仕事明けだからです(笑)
ブログの本筋とは変わってしまって申し訳無いのですが僕なりに思ったことを。
神道と儒教と仏教の捉え方で、神道は理屈抜きの理との付き合い方なのかと思いました。
現象そのものや性質そのものを捉えて、人がどうあるべきか、どう付き合うかということなのかなと、見えないものを神様という対象を作ることで肯定でき認識できるようにして、世界で生きる知恵の結晶。モノ、コトという感覚の獲得。
儒教は自身がどうあるべきか、どのようにあるべきかという、内に行く倫理的な教え。
自己の見えない徳というものを認識し、自己のルーツと自己の在り方を大切にし、身を正し、礼を修めることにより、悪性を持つ人の節度と善性の完成。生を見つめた学問。
仏教は自身が他者、ひいては世界とどうあるべきかという外を向いて自己に還す倫理的な教え。また、善性とはなんぞやという学問。見えないものを徹底的に解剖し分解した要素の対照学。
生を見て死より先の世界を肯定せしめる救い。
ここまで考えて、神道で生と死を認識して、儒教で生とはどうあるべきかを取り入れ、仏教で死に際してどうあるべきかという感覚を加えているんだなぁと思いました。
喧嘩させずに調和させた聖徳太子って本当に偉大ですね。
ちょっと意味わかんなかったらごめんなさいm(__)m
ただ、改めて日本の風土って得難いものなんだなって、そして、教えが尊いことなんだなと思いました。
あと思い出したのがヴァイキングが優れた戦士になって勇敢に闘いヴァルハラに死後行ってオーディンと共にラグナロクを戦うって思想は宗教なんじゃないかと思いました。 - ブーシュカ 15-03-28 (土) 10:21
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厩戸皇子のお話ありがとうございますー。17条の憲法って、wikiに書き下し文まで載っているんですね!和を持ってたっとしとなすの箇所の後半文章は、話し合いのコツな感じがしました。
天才政治家が何人も何人も同じ時代にいれば、各地でものすごく熱い議会が重ねられそうですね!各地の偉人を掘り起こせば、傑出した人物の一人や二人、多く、郷土史に残っている日本だと思うので、先人に学んで、土地柄にも合った傑士が表舞台に上がってくるのでは?とか淡い期待もかなり持ってしまいます〜。
力ある方々が表に出た時に、きちんと評価し伸ばせる世間であればと願います。三人寄れば文殊の知恵。天才政治家の適材適所ともなれば…ですね!! - うさぎ 15-03-28 (土) 23:52
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かつて日本に来ていたキリスト教普及というのは目的は宗教というよりも侵略の下準備ということらしかったですね。
現代でも宗教を道具の様に振りかざしている国もあるように思われます。
日本人は特に熱心な人でなくても自然に神様や仏様を敬ったり、他の宗教だからと言って否定するようなことはしませんよね。
そういったことも遡れば厩戸王子のおかげかもと思っています。
こちらのサイトを拝見して簡易仏壇を作って以来、お仏壇では御先祖様、神棚で神様に毎朝晩と御挨拶させて頂いています。
それまでも毎朝神棚に向かって二礼二拍手一礼はしてましたが、たまたまなのでしょうけど、より心が慰められています。
いろんな形で感謝できることは幸せだなぁと思います。
とはいえ理屈ではなく好きですっ。厩戸王子様(しつこいw) - ちゅみ 15-03-29 (日) 21:31
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こんばんは〜。
いやいやいやいや・・・
厩戸王子さんのお話しは脳内になかなか入って来なくて(汗汗汗
何しろ人生で殆ど使って来なかった脳内の一角ですから、まず鍵を使って開けて、クモの巣を払って掃除して、歯車に油を注してかみ合わせを調整して、最初は手動で動かし、初めてエンジンを付けて・・・
厩戸王子さん、後の聖徳太子さん・・
エンジン停止・・
あぁ〜〜もっと真面目に勉強しておけば良かった、なんとレベルの低い所から読ませて頂いているのでしょう・・今更反省。
何度も何度も読み返している内に、少しずつ入っては来ましたが(あっせ〜
近い過去にこの日本の為と必死に生きて来た方々の多くが今、医療の現場で社会から置き去りにされている現場を目の当たりにすると、今の日本は弱気を挫き強気を助ける奇妙な国となってしまったと実感せざるを得ないです。
和を持って貴すとなす
為に、日本を操る大国を論破し、叡智と工夫に富んだ天才政治家が一日も早く現れて欲しいと私も思います。
聖徳太子さんは神様だから、もう生まれ変わってはこないのですよね〜・・ - 管理人 15-04-02 (木) 14:57
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希映さん
おぉ、すごい知識量・・・読み応えがありましたし、勉強になりましたよ!バイキングの下り、神話に教祖も教典も残らなかったでしょ?だとしたら、民族の思想ではあったのかも知れませんけど宗教までは昇華しなかった、、、否、できなかったんですかね。。。
ブーシュカさん
きちんと評価し伸ばせる世間、、、まさしく。一定数、在野に傑士はいるのでしょうが、既成利権の壁は歴史の長さだけ、厚い。。。まぁそれを突き抜けてこその天才なんでしょうが、土壌ぐらいは自分たちの手で改良したいですよね。 - 管理人 15-04-03 (金) 19:23
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うさぎさん
おっしゃる通り!宗教の裏表ですね。人の心を根こそぎ持っていく可能性があるだけに、怖い。
ちゅみさん
自分も聖徳太子を神職学校で習うまでは、そんな感じです(笑)神様は人に生まれ変わるのか、、、いい疑問ですね。実は生まれ変わります、それ以上はお話できない約束ですが(泣) - じょう 15-04-05 (日) 21:26
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自分が勉強不足か
ただ単に表に出ていないのかもしれませんが、
強かな方というイメージの政治家さんが自分は浮かばないですね
(まあ本当は官僚の方が一番強かなのでしょうけれど)
やはり戦前戦後と教育や色んなものの影響とかもあるのですかね?
あと
おいそがしいとは思いますが、ゆっくり更新されてくださいね - 管理人 15-04-06 (月) 0:27
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じょうさん
ゆっくり更新、、、ありがとうございます!