つづき。
五十猛様は歩くのが大好きな神様でした。
来る日も来る日も、今日は東へ、明日は南へ。眺めのよい場所では2~3日野宿をし、そのまわりにある狩場やその土地の民を観察する。平和維持のためはもちろんでしたが何よりも大王が寝泊まりをする場所よりも、いろんなものを見聞きするのが五十猛様の楽しみの一つでした。
当時、五十猛様が拠点にされていた場所は今の地名でいえば飯盛山(現・福岡市西区飯盛)付近でした。
(今日も自然が美しく、皆も小さな平和を保てている。このままぼんやりと過ごしてよいものか。わしにもまだ天より与えられた役目というものが残っているのか・・・・・)
そんなある日のこと。
ある一人の部下からこんな話を聞きました。
「五十猛様、なにやら風の噂なのですが・・・・ここより南に進み、山をひとつふたつと超えた地に、”赤土” を司る一族がいるのはご存知でしょうか?」
「うむ。なにやら独自の技術をもって、その赤土(辰砂)から ”みづかね(水銀)” を生み出すという、あの一族のことか」
「はい。最近はどうやら内輪での争いも多いと聞いております。」
「・・・・・そうか。」
今の飯盛付近よりさらに西へ。
そこには標高1,055mの背振山をはじめ、金山・高山の背振山系の山々が現在の福岡県と佐賀県の境目に横たわっております。
この山を越え、佐賀の地に足を踏み入れしばらくいけば今でも発掘現場としては有名な、『吉野ヶ里遺跡』。またこの辺りの地名で有名な神崎や金立(きんりゅう)には今でも中国秦の始皇帝の命令により不老不死の薬を探し求めた 「徐福伝説」 が残っている地として有名です。
(今からの新しい時代には、世の中の平和が保てる新しい技術が必要なのかも知れん・・・・・・。父上の許しがでれば思い切って南へ向かってみるか)
さっそく使いを父神スサノオ様のもとへ走らせた五十猛様、、、、、、
しばらくの日数の後、スサノオ様からの返事をもった使者が戻って参りました。
「ご苦労だった。返事はどうか?」
「はっ。スサノオの大神様のお返事をそのまま述べます。 ”南へ行くのを許す条件はただ一つ、、、、、、南におる丹生族を攻め滅ぼすか、従わせること、どちらか一つ” ・・・・・とのことです。」
「”攻め滅ぼす” か ”従わせる” ・・・・・か。親父らしい返事だ。わかったと伝えよ。」
五十猛様はそこから旅の準備をはじめました。
まわりの者ものが不思議に思ったこと・・・・・・
それは共として連れていく者が、ほとんど普段着に近い山に入る格好のまま。誰一人と武器らしい武器ももたなければ、鎧で身を固めたものも一人もいない・・・・・・・。
準備をしたのは数人の部下と、全員が養える数日分の、米や肉を干したものだけ。
五十猛様の心は、見慣れない土地と新しい技術、そして父や祖父の代からほとんど接触のなかった丹生一族と呼ばれている一族に対しての期待と不安、、、、、
なによりもすべてが合わさって、何か新しいものが生みだせる。
きっと何かが変わる。これからの時代に必要な、その何かが・・・・・・・
なんの根拠もない予感だけで胸を膨らませ、ついに出発の日を迎えます。
つづく。
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コメント:2
- 北斗七星 14-11-24 (月) 10:42
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ドキドキ。わくわく♪( ´▽`)
- 管理人 14-11-24 (月) 19:01
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北斗七星さん
おぉ、読んでくれておりましたか(笑)ありがとうございます!