- 2014-10-15 (水) 7:20
- その他
つづき。
葦津さんが開催された 「思想研究会(『光栄』研究会)」なるもの。それはまさにアカデミーと呼ぶにふさわしく、それぞれが独自で学び葦津さんの教えをもらいながらもそれぞれが歩いていった「道」・・・・・・・。
渋川さんは謙虚に、こう記してあります。
当時の研究会での講義を振り返ると、本当に「アカデミー」とはこういうものを指すのではないかというような感覚でした。この勉強会を通じて「社会主義というものはどういうものだろうか」ということを考え、「神道人としてどう考え、どう行動すべきか」など、様々な御教示をいただきました。ただ、御教示いただいたと考えていたのは実は私だけで、他の研究会のメンバーは全部自分たちで既に勉強していました。つまり、先生に頼って学ぶ者と自ら学ぶ者との差があったのだろうと思います。ー神社新報より抜粋ー
とても謙虚なご意見でこのコメントを読むだけでも、葦津さんをはじめ渋川さんのお人柄もよくわかります。
恥ずかしながら、同じ「勉強会」と称して講義させていただいております自分の勉強会とは質も内容も大違いですが、それでも自分もこのコメントを読ませてもらった時に自分の勉強会の原型ができあがったのだと思います。
実は、葦津さんのお話は先日から記事として新しい試みとしてさせていただいております、「「小奇祭」、第一週の報告会っ!!」の皆さんのコメントを読ませていただき、管理人も反省を含めて初心にかえりたいと想い、神職の学校でならった古いノートを引っ張りだして今にいたります(笑)
なんか無性に読み直したくなったんですよね~皆さんの影響で(爆)
敬称を省略で大変申し訳ないのですが、葦津さんや渋川さんをもっと皆に知ってもらいたいなぁ~という気持ちと、自分の初心のために。自分の在り方をもう一度見直してみたいという想いにかられました。
渋川さんの記は最後にこう締めております。
「アカデミーというものは、人から人へ教えられるものではなくして、自分自身が勝ち獲っていかなければならないものだ」という葦津さんの教えが心に残っています。平成四年六月、葦津さんは逝去されましたが、『葦津選集』 全三巻、『「昭和を読もう」葦津珍彦の主張シリーズ』 全六巻をはじめ、葦津さんの著述を纏めたものが残されています。できうれば一人でも多くの方々が、その著述を読み、混迷した現代、どう考え、どう行動すべきか、なすべき道を自分自身で勝ち獲っていってもらえればと願ってやみません
「勝ち獲る」、、、、、ちょっと大げさな・・・・・と思いきや、決して言葉は間違っていないと考えております。 『教え』 を元に、それぞれが自分で考え行動していく。・・・・・人生を「つくって」いく。
人から与えられるのは小さな種で、それに芽を出すも花を咲かすも実をみのらせるのも、すべて自分が勝ち獲らなければならない・・・・・
・・・・・とかいって、「葦津珍彦の主張シリーズ」一冊も読んでないんですけどっ!(汗)
考えれば、「小奇祭」なんて本当にちっぽけなスタートですが、皆は自ら目的とする地点を設定して、行き着くまでに良いであろう 「道筋」 を作り、それを実行されている訳でしょ?
・・・・・ちっぽけだけど、ちっぽけでいて大きな一歩。
これはやっぱり凄いことだと思う。もう立派な 『神道人』 ですよ!「海人」に負けず、もう 「神道人Tシャツ」 でも作って販売しましょうかね!(爆)
<お知らせ>
「福岡勉強会のお知らせ(10月23日(木))」・「福岡鑑定のお知らせ(11月分)」 のお返事が遅くなっておりまして申し訳ないです!メール受信は増える一方ですが、開く余裕がない(汗) ・・・・・明日中には、必ずすべてにお返事お送りいたします!申し訳ございません。。。。
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コメント:2
- 日次月次 14-10-15 (水) 10:28
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人から与えられるのは種。
いつもいつも種をもらっているのに、蒔いてないどころか
もらったことすら気づいてないですが(笑)
あるいは、もらっても受け取る手が足りてなくて
こぼれ落ちてるのかもかもしれないですが(–;
脳のシナプスのように
常にアンテナを張り巡らせておかないから
気づかないor気づけないんですね。
かといって、いただいた種を手当たり次第に蒔いても
世話できる量にも限りがあるし実る前に目移りしてもだめだし。
結局できる分しか実らせられない。
それも含めた神様の采配かもしれないですけどね。
そんなことより神道人Tシャツ、ぜひお願いしますっ!!!
手ぬぐいとかハンカチとか湯のみとかもいいですね。
(「神道」とか「古神道」もいいなぁ、なんて)
ぜひっ! - いもこ 14-10-15 (水) 19:34
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GHQが日本の精神性の高さを恐れ、洗脳していったと聞いた事はありました。天皇制のみならず、神道の解体、旧漢字の廃止、食文化、娯楽に至るまで。
少しショッキングでしたが、やっぱり現代人、現在に満足しているのですよね。
欧米人は神道を精神性の高いものと認識した。大切に受け継いで行きたいですね。
渋川さんの記した内容で、以前ブログの記事で取り上げられていた「修理固成」を思い返しました。なんども形を混ぜ合わせ国が造られる。終わりがない。どの事にも言えること。神道において大切な言葉なんですね。
自分も実践していけたらいいなと思いました。