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手を抜いたところから、問題になっていく。

・・・・・・・・東京にいらっしゃる、もう鑑定の度にお逢いさせて頂いている、「肝っ玉大お姉さま(??)」 から前回の鑑定の際に教えて貰った言葉です(笑)人間ですね、極端に 「あれもこれも・・・・・」 と考え出せばキリがない。でも自分は、考えないけどその時にその場所で 『気づける自分かどうか』 だと思っております。120%、四方八方に完璧な人間はいませんもんね・・・・・・・だけど、「手を抜いたところから、問題になっていく。」 これもおっしゃる通り、間違いなく事実かと。



すっごーーーーーーーーーーい大きな目線でみると、今の時代の問題 「いじめ」「少子化」「引きこもり」「自殺」「精神病」「親が子を殺す、子が親を殺す」・・・・・ニュースをみていて、「えーーーっ、そんな感じ?!」「なんか時代も変わったよねぇ~」 と思っちゃうんですが、時代が変わるのは当たり前、時代は流れているからですね。今の時代に刀差してちょんまげしている人も珍しい。それに、上記の問題だって昔もそこそこあった話だと思います、、、、、目立たない程度にですけど。

時代は変わるんですが、『その時代・時代の問題』 は、実はホンの少し前の時代が残していったものが、ホンの少し後の時代にあらわれている・・・・・・そう感じずにはいられません。

時代は刻々と移り変わる、より便利で楽で快適で、より”豊か”と”思わせられる”方向で。車に乗りたてのころはパワーウインドゥをみて、「なんじゃこりゃ、すげー!!」 とはしゃいでみたものですが、、、、、今となっては手動でクルクルとまわす方が懐かしい・・・・・・タクシーにのって、思わず何かを確認するかのように、クルクルと回しては窓を開け閉めしちゃいますもんね・・・・・・・・・・え?やりません??(笑)

目先の利潤のために。その中で人の”人間性”が文明と共にいきなり画期的に向上するはずもなく、そこには 『ひずみ』 も絶対に出てくる・・・・

この 『ひずみ』 が、これが大きくみれば、引きこもりや自殺・ニートや心身症、少子化の問題として表面化しているだけの気がします。人や時代、今の自分の環境や状況をみてため息つくのは簡単ですが、どの時代も「問題は問題」として存在しているわけですね。(栄養失調が社会問題の時代もあれば、今度は贅沢病と呼ばれる痛風が問題になるわけです)

何がいけなかったのか、何が足りなかったのか・・・・・?

結局は 『人間性の向上』 にあったんじゃないかと。いや、それしか言えない・・・・・・ですが、日々驚くべき文明の進歩の中で、それについていく「急成長の人間性」なんて、方向も分からなければ本当にそれが出来るんでしょうか??

ここです、大切なことは。

多分、『出来る・出来ない』 じゃなくて、『やろうとしたのか・してないのか』 がせめてもの自分たちの道徳心やその他、人間としてのアイデンティティ(自分とはなんなのか)を守る唯一の方法だった気がします。それを一番最初に手放してしまった、、、、、、”大人が” 諦めてしまったこと。いや、諦めたんじゃないですよね。時代と共に慣らされていったのかも知れません。(「勇気×勇気」の記事じゃないですが、昨日のことがなければ自分も自分の癖というか長年の習性にまったく気づかなかったと思います、、、、、経験をしすぎたために、慣れすぎたために、弊害はたくさんあるんですよね・・・・でも、やれなかった・やれた自分より、「やろうとした自分」が大切だと考えます。

結局、今の現状を覆すには、、、、、

いえ、覆せずとも何かをやろうとするには、「大人の努力」 が先に来ないと何も変わらないんでしょうね、多分。(もしくは、”一緒に成長しよう”とする心・・・かな?)そしてその時々で気づける柔軟性があればいい。だって、今のベストが明日のベストとはならないぐらい、日々変化しておりますので。

小さい子や若い子の心は純粋で美しい。でも、もっと昔は自分たちもそうだった筈ですよね・・・・・・若い子をみれば希望が持てます。このままスクスクと育って欲しいと願わずにはいられない。ですが、本当は願うだけではなく、その分、それ以上に自分たち大人が率先して走らないと子供は大人を見本にします。(そう考えると、何も考えず理想だけを子供にぶつけている子供親がいかに多いことか・・・・・)

今の時代の、子供に関しての”問題”は、今の自分たちが家族の中で、人との交わりの中で、社会の中で避けてきた、もしくはやるべき時にやらなかった・・・・それがそのまま雛形として、反映されてきただけなのかも知れません。(子供には人間関係の高度なコミュニケーションを求める癖に、自分はお隣の家やらお舅・お姑を避けている・・・・・みたいな)本来は子供に教えるのは、”背中をみせてやる” ことが一番だと思います。国は国をあげて国民を守り、自分たちは守られる権利はありますが・・・・・・・「少子化」だって、えらい人たちが集まって何回も会議してくれるのもありがたいし、必要ではあるんでしょうが、、、、、本当は近所のおじちゃん・おばちゃんが自分の時間を削って、少々のお節介をしてくれて、近くの若者同士をくっつけて背中をおしてくれるだけでかなりの解決になるのかも知れない(笑)

教師に文句をいう親御さん達も、もしかしたらもっと上の「教育委員会」を厳しい目でみた方が長い目では徳かも知れない。ようするに、『教師そのもの』 よりも、『教師をつくり管轄する組織そのもの』 を変えていくわけですよね・・・・・・・そうすれば、自分たちの子供は無理でも、孫の代にはその時代にあった、最高の(・・・・と言ってもその時にはその時の問題があって当然なんですけどね 「二つの問題」) 教育ができるかも知れない(人の思想を変える、教育を浸透させるには60年の月日が掛かるといわれております)

子供のいない自分は、最近ほんとうに甥っ子が可愛いんですよね、、、、、(もしくは「甥っ子」という存在かも知れない(笑)) そしたらやっぱり、「どんなおじちゃんだと嬉しいのか?」 ということも昨夜真剣に考えましたし、友とも話し合いました。まぁ最後はよく分からなくなったけど、話し合った二人の最終意見は、『終われるより、追う人生』、『生き生きとピカピカしている、元気な70歳を目指す』 ということで意見が一致しましたね(笑)ぶっちゃけ、今の甥っ子や姪っ子には関係ないかも知れませんが、周りの大人がそれを目指さないと後に続く子供たちがそれをできるはずはございません。偉そうな教育論だけではありません、なによりもそんな人生じゃないと自分自身が満足できない! それにはやっぱり、ゆるりぬるりとした生活も個人的には大好きですが、「問題そのもの」がないと悲しいかな、気づけないことも多いし・・・・・・・。

おかしいなぁ・・・・・・・今、考えれば、その時々で真剣に考えたはずの、「どれが正しい、どれが間違っているか」 とはホントに些細なことでした。自分の場合。

昔の自分の絶対正義が今の自分の絶対正義じゃないことだけを考えてみれば、今の考えに固執する必要すらあやしくなってくる(笑)ただし、そこにはやっぱり 「自分らしさ」 は必要なことだと思います。自分の、”根っこ” の部分って言うのかな・・・・・・言葉にすれば難しいですが、やっぱりなにを大切にしていくのか。ということかな。そして、その”大切にしたいもの” をより大切にするには、何度も確認してどんな刺激も与えてみるべきだと思う・・・・・自分を変えること・変わる恐怖よりも、そういう勇気も必要だと思った。

今年は自分自身がさらに変化をする年。人よりは随分と遅れていますけど、ようやく人生の土台がボチボチと固まってくる年だと思います。いや、そういう風に決めております(決めないと”ゆるりぬるり”が大好きな人間なんで(笑)) そんなにガチガチで前のめりで一生を送るわけではないですからね、、、、、ここぞという時は少しはシャキッとしとかないとっ!

たった一人一人の力でさえ、時代は変わる。時代とは単なる人の集合体です・・・・・恐れるに足りない。

自分は「最高!」の人生を送りたいんです!シャレにならないぐらい楽しくて、自分らしかった人生。皆も「最高!」と思える悔いのない人生を一緒に送りましょうね!!

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コメント:7

神奈 13-01-12 (土) 23:18

今晩は。
ここしばらくの村雲様の記事を一気に読ませて頂いたのですが、
すごく、考えさせられました。
これは、いつも思うことなのですが、
ふとした時、「自分は昨日の自分より成長出来ているのか。」
自分が何も知らないと実感した時、
「自分は何も知らない、何も出来ていない、ただの子供なんだ。」
こう思うことが多いです。(寧ろほぼ毎日(笑))
答えは…どうなのか、自分でも良くわかりません。
自分でも結構メンドくさい性格してるなぁとか思うんですけど(笑)
それでも、やっぱり私も村雲様が仰っているように、
自分らしく、楽しく、そして何より、
「自分が納得出来る」人生を生きていきたい。
難しいことかもしれないし、案外簡単なことかもしれない、
それは子供の自分にはまだ判断がつかないけど、
それでも、悩みながらでも、存分に自分が納得した人生を歩んで、縁側のある平屋で、日向ぼっこしながらポックリ(笑)逝けたら多分最高なんじゃないかな。
なーんて記事のコメントとしてはどうなんだというコメントをつらつらと書いてしまいましたが、こんな風に思いました!(笑)
あ、あと死ぬ時は友人とか、家族とか、知り合いの葬式に全部出てからポックリ(笑)死ぬのが目標です(笑)
まだまだ他にもありますけど(笑)
なので、後悔はしても、納得のいく人生を歩もうとできる限り足掻いて魅せます。
長文失礼致しました。m(_ _)m

ミッフィー 13-01-12 (土) 23:51

確かに手を抜いたところから問題は起こってきます。でも時々手を抜いて生きてみたいと思います。特に自分にとって1番大切な物を投げ捨てたい衝動に・・・しませんけどね。それほど勇気があって強い人間ではないですから。でも・・・何が大切なんだろう。

ききょう 13-01-13 (日) 0:25

こんばんは。


…(人の思想を変える、教育を浸透させるには60年の月日が掛かるといわれております)…
変えてみたいですね(笑)。
人がつくる世の中の流れだから、その時々で、これからも何かしら考えさせられる事は起こると思う。
変えられなかったら、また人として生まれてきます。そうやって人の世は今まで続いてきたと思うから。
どんなに背負うものがあっても、こころの生き物(人間)はやめたくありません。

めぐ 13-01-13 (日) 8:00

読んでいて考えさせられました。
確かに追う人生。。
わたしもこうでありたいんだ!ってすごく共感しました。

誰かの背中を見て自分も成長したくて
だけど、自分に追い求められるだけで
ずっと自分が成長できない環境に
すごくストレスだったんだなぁと
理解することができました。。。


と、、
たぶん、(きっと、おそらく;)
きのうお問い合わせをさせていただいたんですが
届いていますでしょうか(>_<)

めぐ 13-01-13 (日) 8:30

失礼しました;
お返事頂いていたのにみていませんでした(>_<)

ありがとうございますm(_ _)m

kabosu 13-01-13 (日) 8:46

60年で変わるのなら60年前を見てみると・・・戦争が終わった時期。
それまでの日本人の精神を根こそぎ持って行かれた時期。
それまでの日本人の教育を全否定され、それを真に受けた人達が先生になって「教育委員会」にいます。

高度成長期で心よりも経済の発展に重きをおいて日本は成長してきたけど、20年位前に”これではいけない”と慌てて施行したのが{ゆとり教育}。
追い抜け追い越せ!で教育された人・先生達が、突然「ゆとりある教育をしなさ~い」と言われ、こんがらないはずがない。
皆、人の事よりも自分の事で精一杯だった。
(でも、そんな時にも「これは方法がおかしいよ!!」と訴えている人達はいました。)

この60年は・・もしかしたら一人の一生分の時間・・「何か変だ」と気付く時間として必要だったのかも知れない。
今すぐ「今を、これからを変えたい何とかしたい」意識を持ち始めた人達が増えている感はあります。
そして自分もその一人である事に大いに期待したいです。

空飛ぶ甲冑陰陽道 13-01-23 (水) 19:18

変わると決めたその時から人は変わるのかな、と。
決めた”つもり”ではなく、本当に決めたその時から。
最初は「決めた」と「決めたつもり」の差が自分もわかりませんでした。
でも、今は大分わかるようになりました。

何をおいても「素直」が一番

これが今の私の出発点だったと思います。

縁がありましたら、お会いする事があるのかもしれませんね。
今はまだわからないですが…。

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