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特定の宗教

  • 2012-01-25 (水) 21:41
  • Q&A

「特定の宗教についてどう思われますか?」との質問を今日はチョイスします。宗教で悩んでいる方。たとえば家族のどなたかが宗教にハマったとか。嫁ぎ先が総出で○○○○(宗教名)だったとか。同じ宗教なのに宗派でケンカしてるとか。今は多彩で多分野に別れる宗教・宗派が存在しておりますが、まぁあまり偏見がないのが自分の考えです。

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昔から、「どんなに中の良い間柄でも政治と宗教の話だけはするな。」と言われている位、その方の心に根強く起因するものですよね。『宗教は嫌いだ!』 とおっしゃられる方も多いとは思いますが、賛成派も反対派も、まずは「宗教」とは何かをしっかり認識されることを自分はお薦めしてます。

まず宗教とは、時にその人の力になり支えになり、勇気になり愛と変わる。この世に科学で証明できないものが無くならない限り、多分存在するものだと思います。またそれを使うのは人間。決して神様でも仏様でもキリスト様でもない(笑)なので、お世話になる自分達が一番良く理解し、一番慎重に扱わないといけないものです。扱い方を間違え、国家規模で犯罪を犯した宗教も皆さんの記憶に新しいと思います。

次に、宗教は力を指し示す杖であって力そのものではない。

※ 詳しくお知りなりたい方は、こちらを読まれて下さい 「村雲式スピリチュアル論② 神様と宗教」

宗教は、『循環』が大切だと思います。

神職さんやお坊さんは「マスター」な訳です。日本語でいえば、その道の先生・名人・達人。この方々は、その道のプロで人を導ける立場にいますが、習う自分達は何の為か・どう生かすのかが大切。なので、マスターは尊敬はされても過剰な力を持つのもおかしな話だし、それを勉強する自分達は循環させる・・・・いえば、日常と非日常、現実と思考、行動と思慮、物質と精神、自分が言う視える世界と視えない世界。まぁくくりはさまざまですが、その教えだけを念頭に置いて日常を教えだけに没頭するのはマスターの仕事であって循環させないと本当の意味での学びにならない。なので、偏らない事やバランスが大切だと思います。

「特定の宗教へ傾倒する根拠」

誰だって、何かのきっかけがある筈ですね。そしてそれを大切なことだと感じた・生活の中心に置きたいと思った・生きる上で必要不可欠だと思った・その力を知った。ただし、最後の「その力を知った」は大いなる間違えです。何度も言いますが、宗教は力ではなく、力がどこにあるのかを指し示す道具。今では残念なことに、神道も宗教の一つですが、自分は神様に力があると信じ切っておりますがそれ自体(神様)を恣意的な目的で動かしたり、祈ったりと考えたことはございません。人智の及ばない所にいらっしゃる方なので、人が自分の目的で動かせる筈がない。

※ 神社の「祈祷」とは神様にお願いし、願いを叶えて頂くこと。しかし同時に今の自分自身やその在り方を見なおし、神様の御心に合う自分に修正する必要があります。神社参りばっかり行かれている方はこの辺りの認識のズレが若干あるのかなぁ~・・・と。ただ好きで行かれている方はスル―して下さいね(笑)

根拠をそう定義つけすると次に出てくる問題は好き嫌いですね。

たとえば、パソコンはwindowsかMacが主流ですが、やはり自分が信頼して好きなものはどうしても贔屓目で見てしまう、または人に薦めたくなる。夢中になって語り合っている人達をみれば小さな宗教戦争です(笑)ただし、色眼鏡抜きにいろんな宗教を眺めれば、必ずや一長一短はございます。なので、宗教が好きな方はより一層の客観性を持たなければ、変に固執したり、それを守ろうと攻撃的になったりと・・・・・まぁ人生、生きにくくなる。好きなら好きで極めて行って頂くのも構いませんが、人に押し付けたり、反対に色んな宗教を渡り歩かれる方も多分、宗教そのものの意味合いがあまり解ってないような気がします。いや、勉強するのを否定はしませんけどね。

自分はこう見えても、本当に信仰心が薄い人間なので(苦笑)、家が浄土真宗なのでご先祖様への畏敬の念で仏説阿弥陀経を挙げさせて頂き・・・・・・神様大好き人間なので古神道にのめり込み・・・・・・・日常で生かせるものはどんどん生かして、後は神も仏もなく適当に生きる、、、、、この生き方は割と気に入ってますね。頂いた質問の中で、『ひふみ神示について詳しく教えて下さい!』ってのも頂きましたが、「いや、読んでないし・・・・・」、、、、こんな感じです(苦笑)



何でもそうですが、一番難しいのが 『その人の事実がその人の真実』 だと言う事。

その宗教で命を助けられた・不治の病が治ったと言われる方にはそれが命掛けの真実であって、生活が良くなったらそれは今後も生活をより一層良くする為に必要不可欠なもの。になるでしょう・・・・「その人」にとっては。

それを似た環境や状況の人・大切な人へ”善意”で勧めてしまう訳ですね~

目が悪くなって眼科に行ったら、そこの先生がいきなり先生のメガネを外して、

「これを君にあげよう!とても字が綺麗にみえるし、私もとても助かってるんだ。遠くも近くも良く見える。大事なメガネなんだが、君にも感動して欲しくってね。」

と言われるのと同じ事ですね。気持ちは本当にありがたいんですが、先生の目と自分の目は同じ目の悪さでも、度数も状態も、遠視か近視か乱視か、どれ一つとってもまったく同じではないはず・・・・・・。どんなに腕が良い先生と評判はあっても、やっぱり疑問が残ります。

この前、自宅で新年会をやった時にですね、ある方が「ここに集まっている人は皆、村雲さんの信者さんなんですか?」と自分に聞いてきました(爆)唐突な質問に答えに困ったんですが(かなり酔っぱらってたし・・・・・・)その時に自分が神職の格好をして、導く仕事をやってれば胸を張って「そうですよ。」と答えても良かったんでしょうが・・・・・まず、その場の皆は誰一人と自分を尊敬していない!(爆)また、尊敬される必要もない。本来の答えは、「自分と縁のあった方々の集まりです。」が正解でしょうね。


トータルして考えれば、「教えそのもの」「信仰の対象物」「マスター」「導く人と教えを乞う関係」・・・・・これのどこをどう取っても、依存する要素もなければ反対に否定する要素もない・・・・・・なので、特定の宗教についても何ら偏見がない。と言うのが自分の考えです。こんな回答で良かったんかな・・・(汗)


※ 質問に答えるつもりが、余計に質問メールが多くなってるここ最近ですがお返事は出せるかどうか解りません。また、「質問の意図があとちょっと解らない・・・・」と思い、さらに詳しい説明を求めるメールをしたら受信設定ミスでメールが送れなかった・・・・という事態が頻発しております。ご確認のほどを。

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コメント:8

たみも 12-01-25 (水) 22:52

こんばんは。
私にも、とある有名な宗教に入っている友達がいます。
ここ数年で仲良くなったのですが、ふとした会話からわかったことでした。
でも、押しつけもしないし、聞けば答えてくれます。友達がそれだからといって、私も特になにもないです。今日もお茶飲んで、語ってました(笑)
異国の方で、キリスト教の友達もいます。
その人も、おしつけません。
恵まれてますよね。
大切な友達です(^-^)
この縁は、子どもの幼稚園での繋がりなので、子どもに感謝です。
あと、なかなか子どもを授からなかったとき、神社に絵馬を奉納しました。
それから私自身も、妊娠しやすいように身体を暖めたりなど、進んで頑張りました。
その後、すぐに授かりました。
このとき、神様と二人三脚で頑張った!と思いました(笑)
もうひとつ、近親者がなかなか職に恵まれず、書類選考からダメというのが多く、頑張って欲しいという思いで、絵馬を奉納しました。
その後すぐに、最終の何人かまで残ったが、ダメだったという話を聞き、ああ、やっぱり本人が努力しないとそうだよね…(生活習慣を正すとか。かなり見直す面があったので)と、実感したこともありました。
以上です(笑)

けい 12-01-25 (水) 23:15

こんばんわ。

私は無宗教ですが、神様は信じています。
変かもしれませんが。
必ず自分の中に神様が居てくれると信じています。
だから、これは冒涜とか取られる方も居るかもしれませんが、
神様の居る場所、
神社だったり、教会だったり、そういう場所は好きです。
こだわらずに行けます。
まぁでも、日本人だからでしょうか、神社の雰囲気と和の雰囲気はやはり安心できます。
宗教って考え方や捉え方の違いなんじゃないかと思うんです。
同じ”ありがとう”でも、心のこもったありがとうや、適当なありがとう、
伝え方も色々あれば、
受け取り方も色々あるなぁって。
宗教も同じで、神様ってものが本当に私達に何かを伝えてきたなら、
日本人には、日本人の
アメリカ人には、アメリカ人の
アラブ人には、アラブ人の
捉え方があって、それが今の宗教じゃないかと。
結局は人の違いなんじゃないかと。
大元は一つなんじゃないかと考える私は、ひょっとするとかなり罰当たりなのかもしれません。


形はどうあれ、宗教や考え方が生きる道の支えになったり、希望になったりする事は良いことですよね。

でもどんなものでも、宗教や考え方に呑まれて、
誰かを傷つけたり、血で血を洗ったりするのは悲しい。

私だったら、私が伝えたことが原因で、誰かが誰かと血で血を洗う争いを起こしたら悲しい。
神様もきっとそうじゃないですかね。

ひろこん 12-01-25 (水) 23:41

スピリチュアルな方と仕事で出会い、言われたとおりにお参りするとかならず変化がおこります。
わたしはどちらかというとすごく反省したり受け止めてしまって責任転嫁ができないのでくよくよしがちでしたが、「分別をもつこと」「気をしっかり持つこと」「強い精神ではねのけること」を教えてもらいました。
一緒にお参りをさせていただいたときに、特殊なお参り方をするので調べてみたところ新興宗教とよばれるところで修行されたことがわかりました。

しかしながら、ご本人からの勧誘もいっさいなく、亡くなった父の伝言をとどけてくれたり、神様のことをおしえてくださったり、行動をともにすればするほど、
その方自身から学ぶことが多いのです。
謝礼をもとめられたこともなく、そのかたは「ひろちゃんといると気持ちが休まるの」と、たぶん好意で一緒にいてくださっているのだと思います。

わかんないですけどねw

「宗教」ときくとびびる自分がいます。
ですが「宗教」と「神様」はべつだとはっきりおっしゃっていました。
なんでもかんでも教えてすがられてもいけない、あなたは石橋をたたいてかなり慎重な性格だけど、自分なりにかみ砕いてなっとくしてくださるから嬉しい、と言われました。

なんてゆうか、神様って、宗教に関係なく宿るのですよねきっと。
いらっしゃるし、神様は答えてくださいます。私は言葉とか特殊なものが見えたり降りたりしませんが、かならず変化の「きっかけ」をくださると感じています。

良い悪い、善悪はわかりません。
ただ、不思議なのですが、特別な神様でなく、昔からたくさんの人に知られてる神様です。
お参りに行くと、「なんかうれしい~(*^-^*)」っていう気持ちになったり、
見たことないものが見えたり、知りたかったことがわかったり、
不思議不思議不思議なんです。


村雲さんのおっしゃるとおりだと思います。
あくまでも生きていく上でのヒントだと思うのです。

西郷隆盛さんのおなかは、太鼓のように大きくたたけば大きく響き
小さくたたけば小さく響く

この響くことが人には大事なんだと思います。
すべてが正しいわけじゃないし、んん??っておもうこともたくさんあるとは思いますが、
ふつうに生きていて出会えない考え方、解釈の仕方、生き様、心意気、
そんなエッセンスがあるのが宗教だと思います。
また、立場があがればあがるほど、神様の存在、先祖、感謝を忘れない人になると思うのです。
自然と人は成長していくと引かれるものなのかなあと感じます。


…まあ人それぞれですけどね!
(ということを肝に銘じておかないとめんどくさくなることがあるから)

私は芸術や美術がすきなので、宗教と美術ってどうしても切り離せないんですよね。
なので自然と昔からいろんな宗教や、神話、民話、伝説、神様、精霊、いろんなのに興味があります。
信仰が作り出す宗教画は背景を知れば知るほど深いものになります。
美しさを知るために裏を見たい知りたい、理解したい、というのが自分の場合ですね。

私自身は…なぜか軍神っぽい神様に縁があるようです。強い女になります。(*´∀`*)

12-01-26 (木) 0:28

今晩は、村雲さん。

以前、宗教の違いはあっても、神々様は(仏様方も)、人を導くという所で、お互いに連携されたり、交流は持たれたりされていますか?という質問をさせて頂きました。
その時に、八理様から、宗教云々よりも、(神々様は)まず一人一人の心底を観ておるという話をされていました。
当時の私は、尋ねていた話の方向性がズレていたような気がしました(笑)
でも、今思うと、八理様が伝えたかった事は、神々様の関係性よりも、自分がどう生きるかを真剣に考えて欲しいという事だったんだなと思います。
今生きている自分の毎日こそが、神々様と共に歩める千載一遇のチャンスなんだと感じます。

だけど、神々様の世界や人柄をもっと知りたいという気持ちは止められませんが(笑)

あっきん 12-01-26 (木) 0:37

文頭の方で笑ってしまいましたw
ヒフミ祝詞。私も聞こうか迷ってました。
さて、私は母の実家が神道です。祖父母の葬儀の時は当然神社でした。子供の頃は神社で普通に遊び暗くなったら帰ってました。
祖母が他界したときの葬儀で、宮司様が仏教で言う説法の時に、
「仏教は戒律とか厳しいけどウチ(神道)はやれ、地獄に行くとかそういうの無いから改宗するなら言って下さいねw」ってまぁ、冗談を含めてか言われてましたが、今考えたら他の宗教に比べてそうなのかなぁと思います。ただ、今自分が苦楽を経験する事が出来るのはこの国を発展させて頂いた今は神と言う立場になられた始祖達、そしてありとあらゆる自然の恵み。八百万の神と例えられてる位、神道は万物に感謝し、恥ずかしくない生き方を考える点ではあらゆる宗教の中では厳しいのかもしれませんね。
会社で例えるならいつもニコニコしてる社長の下で働くくらい怖いですねw言わなくても自分で判ってるだろう?って無言のメッセージみたいですよぉ。
先日、縁を頂いて伊勢の神宮に挨拶させて頂きました。畏れ多いってのを初めて体感しました。正直・・・広すぎて正中線何回も踏みました。ちなみに、村雲さん、2個ばかり前のブログで今年は何しようかな?って言われてましたが・・・嫁探しはしないの(笑)?

kabosu 12-01-26 (木) 9:04

[目に見えぬ 神の心に通うこそ 人の心の まことなりけれ」
23日にひいた おみくじの言葉でした。

金シャチ 12-01-26 (木) 15:56

こんにちは!

寒いですね! あっ!雪!

『宗教』 難しいですね…

神様の教えを伝える方が『神様』になってしまったり
お布施の額で順位や地位が決まったり
新規入信者を何人増やしたかで『準マスター』になれたり
色々なシステムの教団?宗教団体?があるようです

管理人様のおっしゃる『自分をささえる杖』であって欲しい…
他人を傷つけたり、振り払ったりする道具にして欲しくありません。

本当に自分に合った『杖』を調整し、たまには点検し手入れしながら付き合う事が大切だとおもいます。

『杖』は、持った人の使い方次第で凶器にもなります。
それを望まれる神様はいらっしゃらないと思います
(個人的な意見ですが…)

取り扱う方の勘違いやオゴリがない事を願います。

神社詣り好き!神様好き!で
『神様の御心に合う自分に修正する所 多々有り』の私ですが…

願いをこめて投稿させていただきました

もにょ 12-01-26 (木) 23:57

こんばんは、はじめまして。もにょです。

家族が一向宗と曹洞宗、神道にキリスト教という宗教カオスなので、親近感を感じてコメントしました。神道に入った祖父は、キリスト教から神主さんに一足飛び。我が家に限っては、もう何でもアリだなと思います。

いろんな宗教があって形は違えど、大切にしたいものの根っこさえ見失わなければ、やはり何でもアリなんじゃないかなと思ってたところに、このお話を読ませていただきました。ありがとうございます。

なんだか自分の考えがこんがらがってきたので、ここまで。
毎日、更新を楽しみにしています。どうぞお疲れの出ませんように。

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