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神様が先か、ご先祖様が先か。(管理人の場合は)

ども。GW前夜、皆さんいかがお過ごしですか~
管理人はいつもと相変わらず、PCに向かっています(笑)

さて、昨日の日記に続いてこの話、

『神様が先か・・・・ご先祖様が先なの・・・??』

管理人的、個人的に思う存分、意見を述べさせて頂きます。

しかし、その前に管理人が日頃思っている神様やご先祖様に対しての思いを
自己満足で書かせて頂きますね~!

まず、はじめにいつかの記事で書かせて頂いたのですが~
自分が思う 『神様』 とは古事記や日本書紀のモデルとなった方々、
古代に生を持ち、肉体を持ち、『人間』 として活躍された方々でございます。

そんな神々様と縁あってお付き合いさせて頂き、はや9年目に入っておりますが~
正直、未だに 『意味不明』 (笑)
※ご先祖様・仏様に関して言えば小学生の時からですが同じく意味不明・・・・・不可思議な方々ですよ、ホントに。

まぁ感覚程度で聞いて頂きたいのですが・・・・・



ご先祖様・・・・これは自分の中では「仏様」とはほとんど一緒です。
祖父や祖母、またはそれを継いで下さった方々に至るまで、みんなが 『ご先祖様』 であり、
死んでもなお、この世に残れる49日間を終えれば仏になる。・・・・「仏様」も似たような感覚ですね。
※もちろん、宗派によって違いますが今でもお香典の表書きは、49日内であれば 「ご霊前」、過ぎれば 「ご仏前」
が多いですよね~
 
そして、今自分が神様と出会った人生であるようにきっとご先祖様も 『仏様』 と出会った訳ですよ。
今では想像もできない時代に。1人1人が悩み苦しみ、小さい幸せを見つけては勇気や愛や希望に変えて。

・・・・そうです。今の自分達と同じなんです。

「師匠~もう、そういう時代じゃないんですよぉ~・・・・」

これは自分が誤魔化し半分、言い訳半分でよく師匠に言う台詞ですが。

「時代が変わっても人間の根底はそう変わらんものだよ・・・・」

これは若い時は 「あ~またそれかよ・・・・」 で終わるはすだった言葉なのですが、
今では身に染みて良く分かります。

要するに幾ら尊い言葉を並べても、損得があっても、人間平等でなくても公平でなくても
『自分が歩いた道、勇気を持ってやった事以外は手に入らない』 という事です。

そんな人生を歩く中、後ろから背を押してくれているのが自分の中では「ご先祖様」
勇気か愛かと言えば、自分は特にご先祖様から 『勇気』 を頂いているような気がします。
やはり、「同じ人間だった」と言っても神様には申し訳ないですが、ご先祖様は「親近感」がもてます。

弱い自分を見せられ、泣きじゃくり甘える事が出来、全てを受け止めてくれそうな存在の方々。

まぁこの歳で(この歳だからこそ?)親に同じ様な事は出来ませんが
『ご先祖様に対してなら出来る』 安心感とでも申しましょうか・・・・・・・

また前の日記でも書かせて頂きましたが、神様は 『霊界』 にはノータッチ。
しかし、生きる上でなにかと障害になる事もこの 『霊界』 。
そこで手助けして頂き、協力して頂ける味方としてご先祖様がいらっしゃる事も安心感の一つかも知れません。

そして。

勇気を持ち、一歩踏み出すとき前から引っ張り、また指を差し示し、導いてくれるのが「神様」
自分にとって、『愛や希望』 を頂いている事を特に強く感じるのが「神様」なんですよね~

いくら 「生きていた人間」 と申しましてもおおよそ一万年~二万年前に存在された方々。
今の時代まで、人の月日にしてこれだけながい修行をされた方々なんですよね。
(その割には少々甘えすぎ、かなり軽口を叩かせて頂いているのですが)
大きな愛で包み、自分が生まれる前・これから先・死んだ後の事までまるで全てお見通しです。
(決して神様は口には出しませんが、時々そんな気がします・・・・・・)

これが神様・ご先祖様に対しての管理人の感覚でございます。
で、ようやく『神様が先か、ご先祖様が先か』の本題に入りますが、

自分は日頃、家で祈る時は、仏壇から先に祈らせて頂いております。

これは、「祈る順番が言っている事と逆じゃないか」と思われるかも知れませんが
外では失礼のない様にやはり年功序列(?)と言っては変ですが、
『大大大ご先祖様である神様』 が本来、先です。


家では何故、仏様が先かと言えば 『祈っている時の感覚の違い』 が一番に挙げられます。

これは理屈じゃないので分かりにくいのですが、、、、まぁ聞いて下さい。

まずは仏壇の前に座り、目を閉じ静かに呼吸を整え「仏説あみだ経」を挙げさせて頂く時。
何故だか体全体が凝縮されるような、内側の中心に向かって一つ一つパズルのピースが合うように
内側に力が溜まる感覚が好きなのです。祈りながら、昨日の事、今日の事、また最後は明日の自分を
報告してしっかりパズルが完成した、魂がその中心の重力で固まり昨日・今日・明日の自分が一つになった
感覚・・・・・言葉にすればこんな感じですかね(笑) その時に言葉はなくともご先祖様の愛を感じ、

『勇気』 が湧いてくるような感じがします。

そして次に神棚に移動し、祝詞を挙げさせて頂きます。

そうすると先ほど固まった自分(魂?)の中に自分が入り込める感覚になります。
「神棚・神社への祈りについて」参照)
例えるなら自分の中の小宇宙ですね。その中に本当の自分がいます。「素」 の自分です。
その「素」の自分。が見つかるまで自分は祈りを辞めません。
意識上の自分と素の無意識内の自分が合わさる時、今度はその魂から光が発せられる感覚がします。

その光が序々に強くやさしく、「何かに導かれている感覚」 と申しましょうか。その時自分は神様からの勇気を感じ、

『愛と希望』 が湧いてくるような気がします。

出来るだけ詳しく、言葉で表したつもりですが・・・・・まぁこんな感じです(笑)

その過程の中で自分達があちらからの一方的な要素ではなく、こちらから送れるもの、これが 『情』 です。

差し伸べて頂けるもの、「受け手」はジッとしていては始まりません。
・・・・こちらからも手を差し伸べる手、これが 『情』 です。


さて、この情や(何か分かりませんが(笑))総称して「見えないもの」のやり取りの中で
一番邪魔になるものは 『理屈』 だと管理人考えます。

心を自由にし、今ある力を内に外に全て開放し、全てのプラスの気で『 体・心・魂 』 を充満させる。
ここに 「理屈」 は必要ありません。

「礼儀を大切にして下さい」 と自分は良くお客さんにいいますが、この礼儀とは=ルール ではありません。
その根源にあるものは相手を、例え見えずとも、愛し慈しみ敬意を持ち接する心。これが表に出れば「礼儀」です。

例えば甥や姪、近所の幼い子がいくら自分の名を呼び捨てにしたとしても、
自分の為に何かをしようとしてくれ、情を注ぐ、情を注ごうとしている姿にルールは必要ありません。

ただし、この幼い子が成長し、中学生・高校生・大学生、そして社会人になれば当たり前のルールがあり、
こちらとしても社会に出てようやく「大人の話が出来る」との心構えが出来たりします。

おそらく、このブログを読んでくれていらっしゃる方々は大人ですよね?(笑)
なのでそこそこ礼儀についてはちょっと注意しているに過ぎません。(もちろん、管理人も勉強中ではありますが)

いかに理屈よりも「情」が大切か。
また、大人としての「情」があれば「礼儀」は自然についてくるかを知って頂ければ幸いです。

最後になりましたが、最近ご提案とご質問を頂きましたのでその返答を。

『最近仏教のルールが変わったので「仏壇」の呼び名を変えた方がいいのではないか?』

ルールが変わったのは知りませんでした。教えて下さった方に本当に感謝致しますm(_ _)m
しかし、これは自分の中では考えておりません。

理由は上記に書かせて頂きましたが、「理屈」ではないからです。

しかし、「心」だけでいくほど、私達は子供でもありません・・・・なので「理屈」に関してのご質問は
これからも出来るだけ、知識内で答えたいと思っています。

おじいちゃん、曾じいちゃん、曾曾じいちゃんがそうして来たのなら、また親がそうして来てるのなら
それに愛情と敬意を払って自分も真似たい。ただ、それだけの考えです。

『家の中に先祖供養の場があるのなら、身内のお墓参りって何故必要でしょうか?』


これも上記の理由と同じになっちゃうんですが、理屈や理論ではないんですよ(笑)
管理人が思うに 「骨は骨」。言葉は悪いですがただの 『物質』 です。
しかし人間の心情を考えます時に例えば、お骨を大事に扱ったり、家に持って帰ったりされる方を見て
「あ~無駄な事なのに・・・・」
などと一度も思った事はありません。
一つの愛情表現だったり、敬意だったり、管理人も同じ大切な方を失った立場だったら
理屈や理論で片付く問題ではないと考えているからです。

「少しでも傍にいたい。離れたくない。残ったその方の形見に近い方が祈りが届きやすいのでは・・・・・」

これは当たり前の人間なら誰しも持っている感情ではないでしょうか?

「理屈」 は時として神仏へ通じる道の邪魔をしてしまいやすいですので要注意ですよ~

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コメント:11

ちくわ 08-05-03 (土) 4:02

完全無欠のご回答ありがとう存じます。
では、外での参拝はやはり神様が先なのですね!!

これで心おきなく大仏様の前を横切れます(苦笑)
神様にご挨拶したあとは、お隣の薬師寺堂で般若心経の一つでもあげるように
心がけます。
このたびは丁寧な回答をありがとうございました。

匿名 08-05-03 (土) 9:47

管理人さん、こんにちわ(^o^)

素敵な表現ですね♪
読んでいて、心がほんわかしてきました~
感覚を言葉で表現するのは、とても難しい事ですが
なんだか伝わってきました!

スパイ 08-05-03 (土) 13:52

こんにちわ(*^_^*)

難しいですね(+_+)・・でも難しく考えずに簡単に考えれば簡単なのかも?しれません。。

『自分が歩いた道、勇気を持ってやった事以外は手に入らない』 という事

当たり前なことなのに、人は無視してることが多いです。(私も含めて)
なのに、~したい。~でいたい。~なりたい。 ・・なんて願望だけ肥大して努力してない人多いです(><)!私も含めて・・
色々考えて、巡り巡って、自分の行動や考え(上記の一言)に落ち着くのにそこに行くまで人は時間を掛けてしまって、時々逃避して、脱線して・・って感じです。
身近なことでも、初めのアクションも自分、最後(〆)のアクションも自分・・なんだって再認識しました。反省(T_T)/~

神様やご先祖様にお祈りすることに依存し、本来の自分のやらなければいけないことを失念してる人が多いから(私も含めて)、その辺はしゃんとして生きて行きたいと思いました。

管理人 08-05-03 (土) 18:11

ちくわさん
いえいえ。ちょっと自分の事まで書きすぎました。。。すみません。
でもこの矛盾を納得頂くにはここまで書かないと意味がないかと、、、、

ゲストさん
ありがとうございます~そう言って頂けると嬉しいです(泣)
何度もアップする前に読み直したんですが・・・こんな書き方しかできませんでした。
あと、自分で読み直しても意味不明(笑)

スパイさん
「私も含めて」にスパイさんのお人柄が分かりますね!
しゃんとして生きなくちゃいけないのは自分も同じです。。。。。
みんなで一緒に成長できたらいいですね!

ラピス・ラズリ 08-05-03 (土) 19:06

(-_-)ウーム なんじゃもんじゃですね。 仏教の仏は、蔵王権現以外ほぼインドの神様ですが・・・ (-_-)ウーム
話変わって、懲りずに別の質門です。 護国神社の神札って、稲荷神社の神札同様神宮大麻と別にした方がよいですか?
それと、招魂社に祈願は慎んだ方が良いと言われた事があります。(-_-;)
たしかに神道は死後神様と成られていかれますが、招魂社に祀られる経緯を考えますと、一理あると私はおもいますが、如何でしょうか(・_・?)
いつもながらよろしくお願いします。(*- -)(*_ _)ペコ

管理人 08-05-03 (土) 20:21

ラピス・ラズリさん
う~ん、、、自分なりの意見ですが 『護国神社の神札』 だって神様は神様なんで
一緒にしちゃっていいんじゃないですか??ただ、稲荷様は界が違うので別が望ましいんですが。
「招魂社に祀られる経緯」・・・ここに経緯を持って来られると何にも言えませんが(笑)
自分はそう理屈で固める必要はないと思いますよぉ~。

夕月 08-05-03 (土) 23:11

村雲さんのサイトをきっかけに、神様についてと先祖供養について深く考えるようになりました。
全く異なった様々な(宗教含む)神様とご縁があるのですが(どちらかというと親が。節操なしです(^^;)
私自身いいかげんなため、基本的には無信教です。
それでも人間関係、仕事とう常に不安なことが多く何かにすがりつきたくなり、
神社に守護をお願いに行ったり
親に付いていって御祈願してもらったり…。
でも、神々への感謝の心を持ち、また心をこめて先祖供養をすれば
あとは自分の心掛けしだいで、他力本願な自分から脱却せねばと思いました。
霊感があってよくあたる人がいると聞いて、
何人かのひと(有料)に見て貰ったことがありますが
不思議とかすったことはあっても当たったことがなく
そういうのに頼ろうとせずに、自分の力でなんとかしなさいということなんだろうと、
最近とあることをきっかけに思いました。
霊感があるという人の言うことは金輪際信じない!と思いましたので(^^;
私自身をよく知る守護霊様が、つい依存しようとする私を戒めてくれたと思ってます。
といいつつ村雲さんに会って視てもらいたいと思ってしまうあたりがダメダメです。

管理人 08-05-04 (日) 0:28

夕月さん
そうです!一番大切なのは自分の心がけ、それだけで未来の道は大きく変わると
信じきって下さい(もぐりの霊能者の意見で申し訳ないですが(笑))
「といいつつ村雲さんに会って視てもらいたいと思ってしまうあたりがダメダメです。」
これは本心、嬉しいですよ(笑)
縁というものもございますし、その辺りも守護霊様に任せて見ましょう!

ラピス・ラズリ 08-05-04 (日) 1:08

ほ~(@_@) 一緒にお祭りされても良いのですか。
それはそれは、

御霊入れの件ですが、
授与品は、神職の方が神様に、それを持たれる方が、良い状態になられるよう、専用の祝詞で、参拝者に代わってご祈願されてます。そういった意味での御霊入れですよ。 
私にその行為は無理がありますね(神職じゃないですし)\(ε ̄\)

多数の質問返答いただき感謝申し上げます。ヽ(´∀`*)ノ
では~(゜-^*)/~

管理人 08-05-04 (日) 3:07

ラピス・ラズリさん
なるほど、了解しました(笑)
自分の兄弟子は1人、名のある神社の神職をしています。
(兄弟子・・・・とは、自分と同じ能力を持った人です)
あと仕事柄、他に3人の神職の方。この方々も名のなる神社の神主さん。
時々、電話で分らない事をご教授願ったり、現状を話し合ったりしているのですが・・・
その神社の内部事情や、考え方を聞くたびに皆で首をひねっています。。。
う~ん。。。。今の神社神道に少々、疑問を持っているんですよね~。
でも、皆が皆ではありません。
そこには真剣に自分のやっている事に信念を持たれた方や
すばらしい方々も同じくらい多いと思います。
・・・ちょっと先入観を外さないと自分の悪いクセですね。
と同時に一つ言わせて頂くと、
・・・・ラピスさんには無理ではないんですよ、本当は(笑)

倉本恵美子 10-12-08 (水) 8:07

神様に願い事は叶えてくれないんですか?

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