- 2024-08-06 (火) 23:10
- 霊能者
最近、よく「調和」って言葉を耳にします。
健康診断にいけば、「いろんな数値がいろいろと悪いですね。もう少し”調和”のとれた生活を・・・・」
会議で発言すれば、「もう少しさ、俗と聖の”調和”がとれた提案が出来るでしょ、あなたなら。」
子どもの学校の二者面談(先生と親)にいけば、「○○君の笑顔にいつも癒やされております。よほど”調和”のとれたバランスの良い生活を送られているんじゃないかと。・・・ただし、今の年齢にしては九九と漢字と、都道府県をあまり覚えていないようでして・・・・・」
まぁね、ウチの教育方針は『好きなことを好きなだけ、やる。ですから』との言葉は飲み込み、あまりにも「調和」のキーワードが多いもので、アホな自分は「調和」という言葉の意味を調べてみました。調べた結果、本気でアホ臭くなっちゃいましたよ。。。。
「調和」とは
全体(または両方)が、具合よくつりあい、整っていること。そのつりあいや整い。
全体がほどよくつりあって、矛盾や衝突などがなく、まとまっていること。また、そのつりあい。
ふむふむ、、、、、バッカじゃねーの・・・(-_-)
「具合よく」「ほどよく」って誰がどう決めるんだろうか?
「整っている」
「つりあい」
「矛盾や衝突がなく」
いやいやいや、そんな人間も人生も、あり得ないでしょ、、、、、ま、あれですよ。皆どこかで言葉に出来ない「不調和」や「違和感」を持ってるから、反対に「調和」という言葉を使いたがるんですよね、多分。
まぁ、冗談はさておき、医者の先生も年下の上司も学校の先生も責めている訳ではございません。
が、しかし。
こんなに再現性がゼロの、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。」の人生のなかで調和なんてとれるはずないやん。
仮にとれたとしても、第三者からみた、たった一瞬やん。
その一瞬もさ、二度とこないよ。あったとしても、別の一瞬。
同じものは、この人生において、、、、否、何度生まれ変わっても二度とない。
そう考えるとですね、診断表をみて感慨深そうに考えるフリをした自分も、上司に指摘され、「あれ?なんかマズいこと言っちゃった?」って思った自分も、子どもの様子を伝えてくれた先生に対しても(これは苦笑いしかなかったんですけど。。。)もうちょっと想像力ふくらませて楽しめばよかった。
そんなことを考えてしまった訳ですね、はい。
でも、頭じゃわかっているけど、かなりの方が口にする言葉なのですよ。
そして、頑張って「調和のとれた人生」を送ろうとする。
言葉をそのまま当てはめてみると、
「全体(または両方)が、具合よくつりあい、整っていて、矛盾や衝突などがなく、まとまっている人生。そのつりあいや整い。」
そんな人生あるかぁぁぁぁああーーーーーーって感じですよね (^^;)
いや、人生どころかそんな毎日もない。一日もない。1時間も1分もないかも知れない(笑)
自分が言葉を調べて、改めて思ったことは、
「調和のある、バランスのとれた人生を目指すのは無駄。」
だということ。いや、本気で無理だと思いますよ。時間の無駄です。
第三者がみて、「調和がとれてる」と判断されるのは自由です。そもそも、状態を表す言葉の一つであれば、別に自分自身や人間に当てはめる必要はない筈です。
が、すーぐスピリチュアル界隈や、宇宙を語りたがる人、たかが人間なのに無理して果てがあるかないか解らない宇宙と人間を繋げたがる人って、すぐ「調和」って言いたがるでしょ?
が、その外からみている第三者も果たして「調和がとれた客観性で客観視できているのか問題」が発生してしまう。
ここまで来ると、調和なんか「求めたら、負け。」的な思考に陥るんですよね、自分は。
そんな「調和」や「調和を口にする人」が気になる天邪鬼的な村雲思想の方にお勧めなのは、調和やバランスをすべて無視して
自分の気持ちに「いつもより少し素直」に生きてみましょう。
そうすれば、今の一瞬が、詰まらない会議が、今日の1日が、少しだけ楽しくなる。少しだけ、自分を好きになる。少しだけ、明日の自分を信じたくなる。
目標に向かって必死に努力している人をみれば応援したくなります。(特に若い人はね。もうそんな年齢です(笑))
それとは別に、単純に感性に逆らわず好きなことやって、後から痛い目にあっても「あ~またやっちゃったよ・・・。」と笑える人が好きです。これは親近感かな(^ ^;)
どんな人生でも、その人らしく生きて後悔しない人生が一番だと思いますよ~
キレイなだけの言葉でがんじがらめで窮屈な人生より、
「あ~やれるだけのことはやった。次はどんな人生に生まれ変わろうかな?」
ぐらいであの世に行くのが丁度、良いかもしれませんね(笑)
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