- 2022-07-05 (火) 23:18
- その他
つづき。
今想う、自分の役割。
それは出来上がった橋を磨くことでもなく、補修することでもない。
自分の役割は、、、、自分の後ろ背に立つ神様の役割は、『出来た橋を行き来して貰う』そう考えています。
橋が何の為にあるかと言えば、それは「行き来」する為。あっちのものがこっちへ。こっちのものがあっちへ。それが「行き来する」ということ。
神様がこの世に渡ってくる、、、、それは村雲とご縁あった方々が玉石を持ち(玉石を自覚し)、玉石を磨き、玉石を輝かせ、玉石を活かす。その玉石を活かし続ける人生をその人が送れた時・・・その人の中にいらっしゃる神様が輝く時、この世に影響する時・・・・それは神様がこちらに渡ってきた証拠。その証。と言っても過言ではないのでしょうか。
そして。
人が神世に渡るとき、、、、それは、村雲とご縁あった方々が自身の中の玉石に気づき、その磨き方を覚え、その人の未知なる不可思議な力を日常の中で発揮して(決して霊能だけではなく)、その人らしい人生、豊かな人生をまっとうする時・・・・それはその人が神界に渡ってきた証。と言っても過言ではないのでしょうか。
自分は自分の役割をこのように捉えております。それが自分の魂を輝かせる方法、村雲の役割ではないかと確信しています。
神祭(しんさい)は神と人を結ぶ祭り。
そして、神世の祭であり、人世の祭である。
これは神様が祭りが終わる度に、もう口酸っぱく、、、耳にタコができるレベルで聞いてきた台詞ですが、今こうしてみると違う意味の捉え方が出来ることに気がつきました。
「神祭は神と人を結ぶ祭り」
これは言葉の通りですね。この世で神祭が行われている時は、神世でも神様がいく柱かお集まり頂き、似たようなお祭りをされている。
「そして神世の祭であり、人世の祭である」
今までの自分の解釈では、「お祭りが終わっても実はまだ終わってなくてね~神祭が終わってから、その瞬間からのあなたの人生が大事なわけであって、そう考えると日常の1日1日が毎日、あなたの神祭なんですよ~」との意味合いが深かったんですが(今でも間違いではないと考えます)
プラスして、
「毎日、ご縁ある神様とご縁あったその人を、違う界(神様は人界へ、人間は神界へ)へ行き来させないさいよ。それが神世の祭であり、人世の祭なんですから」
という新しい解釈が付けられました。
さて、肝心なのはこれから。
「いかにこの役割や思想を現実社会に反映させるか」
です。
つづく。