- 2022-07-05 (火) 22:26
- その他
つづき。
今の自分の形。まぁ、言葉にするといろんな表現が出来ますが、欲しいものや形にしたいものは見えております。
まぁ、これは近日、公開させて頂くとして。
本当にこの先、自分がこの世から卒業した後も、これからの日本に何が必要なのか。
自分は何を残したいのだろうか?自分は何を残せるのだろうか?自分だけに残せるものは何か?
いくつかの疑問はさておき、それ以外でまとまっているものをかき集めて、そこに『感謝』というシールが貼ってあるのですが・・・・『感謝』まで行き着いた先には、やはり『恩返し』や『報いる』という言葉が適切なのでしょうか。
時々、ここまで行っている同志を見かけはするのですが、何故か人によっては「原罪」だとか「償い」だとか「贖う」、「補充する」「支払う」「勝ち取る」などとの言葉に変換されている方々を見かけるのですが、まぁ、これは生きてきた過程や経験は皆さん、プライスレスのオンリーワンなのでしょうから、これはさておき。
ただ目の前のことにやるだけやって、単純に「精一杯がんばりました!」と宣言して、「これが自分の人生だ」なんて云いたくないだけじゃないかと、最近感じております。
まだこの世に生きている間は、自分の可能性を追い求めたい。
予想通り、、、は面白くないし、別段ドキドキもワクワクもしないので、自分の予想をはるかに上回る人生を送りたい。似たような想いを持った人たちに、何かを残したい。
まだまだ可能性がいっぱいの若者や子ども達が誇りに思ってくれる、育んでくれる何かを残してやれたら最高じゃないかと思うんです。
ちなみに、話は変わりますがウチの師匠は出会ってから死ぬまで、
「おじさんはね、神様の世界とこの世に橋を架けるのが人生の仕事だ。」
と死ぬ寸前まで言ってましたね。そして死んだ後は、生まれ変わりもせず、神界に行く気なんてサラサラなく、「ただその橋の下でタバコが吸えればいい」と。なんとも意味不明な供述を繰り返しておりました。
が。その「橋を架ける作業」がいかに大変か。いかに粉々に心を砕いて、持てる情をその瞬間だけすべて搾りだし、奥歯をかみしめニッコリ笑わないといけないのか。神様の前では鬼にも悪魔にもなれる方でしたからね~・・・・その凄みというか、心の切れ味は身近で嫌というほど拝見させて頂きましたので。そして、やっちゃいけないことをやる時はこれもニッコリと心からの笑顔で、「いや、おじさんも人間だから。」と平気で本心から嘘がつける恐ろしさ、、、、、
この方が神々の信頼を得て、間違いなく神世と人世にひとつの橋を作って下さったことは間違いない事実だと思います。
さて。今はお祀りした神々様はすべて自由に空を海を大地を、この日本を走り回り、時に鎮まり時に大いにお働きになり。
さて。残った村雲は何をしようか、、、、と。自分の人生はさておき、今までの人生の中で人の情や神様の叡智、、、、目にはみえない借り物や、頂いたものが多い自分は深く考える次第でございます。
つづき。
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