突然ですが、おばあちゃんが死にました。
年齢は91歳。世の中では、大往生ってやつですか。
胃がんと知らされて、たった一ヵ月で、お見舞いに行った時はこれでもかってぐらい、痩せてました。
どんなに痩せても、あの優しい黒い瞳だけは変わってませんでした。
上品で品が良く、少年時代も、青年になっても、大人になっても、しょっちゅう会う人ではなかったけれども、自分の中ではおしとやかで大人しく、でも芯があって逞しい印象のおばあちゃんでした。
あまり覚えていないのにも、理由があります。
おばあちゃんは、いつの頃かは知りませんが自分の父親と、その妹・弟を産んだ後に離婚してました。だから、自分と名字は違いますしもちろん籍は違いましたが、自分の4分の1はおばあちゃんでいる事には違いありません。
「胃がんで入院している。」
と聞いて、その時は
「もう90歳を超えたのか、、、無理もないよな・・・・。」
が最初の率直な感想でした。
次に8月下旬、父から入っていたLINEは、
「入院中のおばあちゃんが一時危篤で逢いにいってきた。面会するのなら今の内に」
的な内容で、次の日に自分とお嫁さんと子どもで逢いに行きました。
仕事の都合上、面会の時間をとうに過ぎた時間帯だったけど、おばあちゃんの名前を伝えたら看護婦さんは電気の入っていない自動ドアを手で空けてくれて部屋の番号を教えてくれた。
連れていった子どもは夜の病院の異様な空気感に少し圧されて、思った以上に大人しくしてくれていたので助かった。
部屋に入ったら、そこは個室でやせ細ったおばあちゃんは静かに目を開いて天井をみていた。
「おばあちゃん・・・〇〇よ。逢いにきたよ。」
おばあちゃんは視えているのかいないのか分からない目を天井から離さず、混濁した意識のなかで人が来たことを察知したのか、
「苦しい。早くあの世に行きたい。なんで最後にこんな目に遭わないといけないのか・・・・」
と、小さな声を絞り出した。
自分の物心がついた時には、おばあちゃんはおばあちゃんでなくて、東京でひとりで暮らしていたらしい。
詳しい話は聞いたことなかったし、東京から福岡に戻ってきて時々、父に連れられて会うぐらい。
あとはお年玉を必ず両親に預けてくれていて、後からお礼の電話をするぐらい。
今までどこでどう暮らして来たのか、東京でどこに住んでいたのか、東京以外だとどこに住んでいたのか、何ひとつ訊かないまま、聞けないまま、最後は病院の個室でやっぱりひとりで寝ていたおばあちゃん。
何か答えてやらないといけないと思い、
「もう少しの辛抱だからね。最後までがんばってね。」
いつもはお互いに敬語だったと思うけど、最後の最後で敬語じゃなかった自分の言葉に少し違和感を覚えながら手を握るのもはばかれ、そっと布団の上に手をあてました。
「うん。うん。」
言葉は出なかったけど、こんな時も律儀にうなずいてくれたおばあちゃん。
「〇〇よ。分かりますか?」
「〇〇君。××××で働いているんでしょ?」
急に声がしっかりして、自分が働いている職場の名前を呼んでくれた。
「はい、そうです。嫁の△△と、子どもの□□と来ました。」
それに合わせて、お嫁さんも声をかける。
「△△です。がんばってください。」
「もう苦しいよ。」
お嫁さんと見合わせて、部屋を出ようとしました。
「また来るからね。」
とは言えませんでした。嘘になっちゃうと嫌だったから。
かわりに、
「ありがとうね、おばあちゃん。」
不意にでた言葉でした。
生まれてきてくれてありがとう。父を産んで育ててくれてありがとう。ウチのやんちゃな母と仲良くしてくれてありがとう。ずっと忘れずにお年玉をくれてありがとう。結婚式に出てくれてありがとう。孫(自分の子ども)を可愛がってくれてありがとう。今まで生きてきてくれてありがとう。逢いに行くまで生きてくれててありがとう。最後の言葉をきかせてくれてありがとう。
おばあちゃんの育ちがそうさせたのか、大人の事情で籍が入っていないことがそうさせたのか、常に一歩ひいてお付き合いをしていた感はありましたが、一度も大声を出したところを聞いたこともなく、怒られた記憶もない。
おばあちゃんが入院して、亡くなる少し前に父から聞いたけど
「本当は籍を戻そうって話だったけど、そうこうしている間にオヤジの方が死んでしまってね。」
という、初めて聞いた話がなんだか嬉しく感じました。
おばあちゃんは、おじいちゃんとまた一緒に暮らそうとしてたんだ・・・・
言葉に出来ない、不思議な安心感・・・?
面会に行った後も、お嫁さんから
「おばあちゃんに逢いに行こうよ。」
と何度か言われたけど、理由をつけては行かない自分がいました。
自分はどこかで師匠を思い出しながら、
「もう逢いたくないなぁ~・・・。」
って思いながら、結局師匠の時もそれで逃げた自分も後から後悔して、今度は死に対してきちんと向き合おう。って考えてた筈なのに・・・今は、もう一度行けば良かった。でも行かなくて良かった。と半分半分の気持ちです。
ひとつ、わかったことは。
人間、幾つまで生きても大往生はない。何かしらの想い残しや、死ぬ時だけは辛い想いもある。
自分はすべてやり切った感で死ぬのは、諦めました(笑)
死ぬ時は・・・死ぬ時こそ、流れに任せて素直な心で痛いものは痛い、嫌なものは嫌、苦しいものは苦しい・・・・いろいろ吐き出して死にたいなぁ・・・・と。
そう考えると、死ぬ前の日に、震える手を眺めて「震えが止まらん。」と他人事のような感想をいって自分にその手をみせ、痛い、苦しい、誰も見舞いにこん、と悪態をついていた師匠は愛すべき人だったのか、宇宙人だったのか、受け入れつつも死ぬ寸前まで全力だったのか、よく解らない人でした、、、、、、すべて含めて、本当に人間らしい大好きな師匠でした。
師匠が亡くなった時に、どうしても休みたくて「祖母が死にました券」を一度使っていた自分は、今回のことは職場には伏せ、代わりに友人に死んで貰いました。
職務上、人が足りずどうしても休めなかった自分は、職場には午後から休みを貰い、告別式を午後にして貰い、それでも未だに
「責任感がない。立場を考えろ。後輩にしめしがつかん。」
と未だにグチャグチャとボスは言ってますが、、、、ま、もともと嘘をついたのは自分の責任だし、正直、そこはどうでもいいや。
自分は体のあちこちを悪くしながらも、あと30年ぐらいは生きているだろうと、楽観的に考えていますが、あと30回正月が来たら自分もこの世とはさようなら、かな。
自分が本当にやりたいと思ったことをやり、楽しいと感じることをより感じ、能力を最大限に発揮して、試行錯誤のなかで自分らしさを失わず、真っすぐに生きたい。
輝ける玉石を天高く輝かせて、一瞬でもいいから次の世に光を残したい。
そして、あの世のおばあちゃんや師匠、その他大勢今から増えるんだろうから、そんな方々にあの世でも逢いたい。
おばあちゃん、ありがとう。
最後は本当に辛かっただろうけど、神様がくれたあの時の時間は決して無駄にはしないからね。
自分の4分の1はおばあちゃんで出来ています。
これからも、あの世からみながら、この世でも一緒にいろいろ体験して下さいね。
またいつか逢う日まで。おやすみなさい。

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コメント:5
- ちゅみ 20-09-09 (水) 4:28
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村雲 様
この度は 心よりお悔やみ申し上げます。
おばあさまの安らかなる眠りをお祈りいたします。 - みやパパ 20-09-09 (水) 22:37
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村雲さん
この度はご愁傷様でございます。お悔やみ申し上げます。
さて、今回の記事を読んでいて、感じたことを一つ。
人間、動く事も話す事もできなくなりボンヤリとして意識もないように見えても、聴覚は最後まで残っていると言われていますので、村雲さんが最後に伝えた「ありがとうね。」という言葉は、おばあさまにとってとても嬉しい言葉だっただろうな〜と。
喜んでいたと思いますよ(^^)
あと、これは想像ですが、文面からすると、おばあさまは癌による強い痛みや怠さはあまり強くなく、比較的穏やかに苦痛は少なく旅立たれたのではないかと思いました。 - 瀬川 20-09-10 (木) 0:04
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村雲さん
この度は心よりお悔やみ申し上げます。
大っきくなった孫の家に遊びにいらして、ご家族をみたりして安心されているのではないでしょうか…大っきくなったわね〜、と。
残暑が残る中、やっと村雲さんも体調等にお気をつけて下さい。 - 管理人 20-09-10 (木) 21:41
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ちゅみさん
みやパパさん
瀬川さん
恐れ入りますm(_ _)m ご丁寧にご返信いただき返って恐縮です(^^) 祖母の分まで人生、輝きます! - みい 20-09-12 (土) 22:21
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村雲様
この度は御愁傷様です。
心よりお悔やみ申し上げます。
以前より時折記事を拝見させて頂き
今回初めて訪問させて頂きました。
孫としての気持ちも婆としての気持ちも
解り過ぎる位、解るのも記事を読ませて頂いて切ない気持ちで一杯です。
おばあちゃん子で有った私に長女を授けて下さった分娩室で余りにも、しんどくて
おばあちゃんと呼んだのですが、
その時に大好きな祖母が亡くなりました。
祖母は入院してたのですがお腹が大きくなって来て度々お見舞いも行けなくて其だけは今も後悔しています。
皆がおばあさんの生まれ変わりだと言った
長女も遅まきながら遠く離れた福岡にご縁を頂き孫も生まれて時期に孫も二歳になります。日々、神々様に皆の健康を祈り
孫たちの健やかな成長を
お願いさせて頂く日々です。
村雲さんと同じ様に、その孫たちにも
有難うと言って貰える生き方をと。
残りの人生頑張ります。
朝晩涼しくなって来ましたが季節の変わり目お身体ご自愛下さいます様に。