- 2020-07-02 (木) 12:54
- その他
せっかくの機会なので、改めて初心にかえり「祈りとは?」の管理人的考えをアップデートして記事に書かせて頂きます(´ー`)
とは言っても、これも通過点の1つ!として、思いつくまま、気の向くまま。
まぁ、何かの参考にして頂ければ幸いです m(_ _)m
(・・・って、突っ込まれたら面倒臭いから事あるごとに書いているんですが、これはいつも以上に参考にならない気がする(苦笑))
村雲式、祈りとは?
祈りとは、、、、
自分の想いをフワフワとした形にすること。その形を心に落とし込むこと。広い、散らばった想いをまとめること。まとめたら、大きく膨らませること。それを神様にお伝えする・・・・というより、神意に触れること。触れて反響した想いを、また自分に重ねること。
魂の奥深くを探ること。心に染みこませること(染みこませるというより、気づけば勝手に浸食しちゃっているイメージが近いかな~)
温かい息吹を感じること。自分の固い想いや冷たい想いと同化させること。時間の許す限り、共鳴させること。
知ること。まだこんな気持ちがあったのか、忘れていた想いを思い出すこと、感じること。
委ねること。怒りも悲しみも、辛さも楽しさも喜びも感謝もフラットな心で放出し、フラットな心で受け止めること。
楽しむこと。新しい想いに新しい自分。新しい今の瞬間に新しい明日から続く先へ。
思い出すこと。今の自分はこう。過去の自分はこうだった。師匠や仲間達とのその時々の想い。今までお逢いした人たち、顔も名前も憶えてなくても感覚が残っている方々など(幽霊さんも含む(笑))
感謝すること、慈しむこと。自分に対して、自分以外に対して。これはやろうとせずとも、自然に感じる、浮き上がるものが必ずある・・・これが祈りの原点ではないかと、今文字に落として感じるものです。
確認すること。今の自分の立場や想い、神様に対しての畏敬の念や感謝の想い。
決意すること。神様のお役に少しでも立てる自分や家族を守れる自分。人と分かち合える自分。豊かな未来を創造できる自分・・・・トータルして、「自分の人生を歩む」ということ。
すみません、まとめるのが面倒なのであえて思いつくまま、出来る限り率直に言葉にしてみました!
・・・・・が。
45歳にして、この表現の稚拙さと表現力のなさ、語彙不足は今さらながら自分でも驚きますが (・_・;)
イメージは・・・・一旦、すべてのものを「自己」から外して形づくり、形は出来ずともその霧のようなもので自分の心を包む、気づけば自分の心に浸透されている。神意と魂レベルで同体化する・・・・という一点に尽きます。
・・・そして、魂が求めるもののみ、勝手に刻まれているイメージ。。。。
なるべくリラックスして、なるだけ力は使いたくないのでほぼほぼ、全自動洗濯機のように最初のスイッチさえ押せば勝ってに終わって、ピーピーお知らせしてくれるイメージです。
そう言えば、昔の洗濯機は二層式で大変でしたよねぇ~
なんて事はどうでも良いんですが(笑)
せっかくなので、書いてて気づいたことをピックアップ。
〇 上記は、意識してやってることと、自然に行われている・湧き上がってくることが混ざってます(;´∀`) 今さら区別がつかん!ってのが正直な感想
〇 日常で嫌なことや辛いこと、悔しいことや悲しいことがあると入り込むのに時間が掛かる場合があります、、、、が、「今日は嫌なことがあったから手を合わせるのを辞めよう」ってのはあんまりないです。祈りで清々しさや美しさは求めていないので、むしろさっさと手を合わせてこの今のモヤモヤ感やムカつき感、すべてを『全自動洗濯機』にぶち込んでやろうか、、、ぐらいの勢い
〇 嬉しいことや悲しいことがあれば、なおさら手を合わせたくなります~
〇 ちなみに村雲自身、毎日手を合わせて毎日祈ってる。ってことは無いです(苦笑)
〇 書いてて思ったのは、「信じよう」という概念は一切、ないです
〇「ブレーキ」もありません。悲しくなればドンドン悲しくなるし、楽しい時はとことんまで楽しくなる。強いていえば、祈りを止めるタイミングの方が難しい・・・・
〇 綺麗なもの・汚いもの、すべてぶち込める万能の「全自動洗濯機」=「祈り」は間違いなく、神様から与えられたギフトではないだろうか・・・??
〇 今でも叶えたい理想は、山の奥深くの小さな拝殿で、好きな神様と向き合って時間や明日のことを一切、気にせずとことんまで祈りたい。想いをぶつけ合いたい。合間の休憩時間には酒を酌み交わしながら(笑)
書いてて思いだしました。
最後の、「今でも叶えたい理想」、、、、これやってたんですよ、昔。海の横の小さな古い部屋で、良いも悪いも自分にとっては神様のような大好きなあの人と。時間を気にせず、とことんまで。思い返せば本当に本当に、贅沢な時間だったんですね~今、ちょっと悲しい。
「祈りとは?」
自分にとって、『人生』です!良い事、言ったった!!!(笑)
これは冗談でも何でもなく、昔から寝ている間にみる「夢」が一番好きでした(今も好きです!)
夢の中はすべてが自由だし、不可能がない。空も飛べるし、水の中でもいくらでも潜れる。もう逢えない人にも逢える。
どんなに怖い夢でも(その時はとことん怖いんですが)いつかは醒めると「魂の片隅」ではわかっているから。
なんか途中から「人生論」になっちゃいますが(なんだか昔の自分の勉強会みたいですねぇ~。ご先祖様の話だったのに、気づいたら2時間全然違う話だったとか(苦笑))、「夢」も「祈り」も「人生」も似てて、いつか終わるとわかっているから怖いも楽しいも、とことんまで楽しんじゃおう派です(´ー`)
今、このブログを読んで下さっている方で昔やってた勉強会に参加して下さった方はどれぐらい残っているかはわかりませんが・・・・とにかく自分は楽しかったです(笑)
福岡での少人数では、マジでどうでも良い話からここだけでしか出来ない話、それぞれの身の上話を聴くのも好きでした。東京での100人近い規模での勉強会や質問会も、いろんな質問が楽しかったし、皆熱くなって途中で収集がつかなくなっちゃったり(爆)
普段の人が聞けばどーでも良いテーマをいつまでも皆で話合ってた回もありましたよねー
グループミーティングではいろんなグループの話が聴けて自分も勉強させて頂きました(´ー`)
せっかくの機会なので、生の村雲を知ってる人も知らない人も、家に神棚がある人もない人も、
「祈り」
についてのご意見。
「自分は祈ってる時はこんな気分で、こんな感じだよ~」
「祈ったことないけど、祈りってのはこういうもんじゃないの?」
なんてコメントを下されば、また読み応えがあるかな、、、ってか、自分が楽しみたいだけですけど(笑)
答えはないし、自由気ままに抽象的で構いません~そもそも、書いてる本人の説明が「これ」ですからね(苦笑)
ではよろしくです~!
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コメント:6
- ちゅみ 20-07-02 (木) 22:57
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私にとって祈り・・とは・・繋がり。
子供の頃から「祈る」と言う事を何にも考えずに行って来たような。
「いただきます」もその一つのような。「仏様に手を合わせなさい」も。手紙の末尾に「ご多幸をお祈り申し上げます」とか。
改めて「祈り」を考えると、村雲さんのように具体的に文章に出来るものが何一つ・・無い、です( ̄▽ ̄;)
眠り、夢にはどれだけ救われたか。夫が亡くなった直後、眠っている時だけが心穏やかになれました、てか、寝てるんだから(^_^;)
日が暮れる前から睡眠薬を飲んでひたすら眠っていました。
今は勿論睡眠薬は飲んでいませんが、悩みが浮上したら取り敢えずしっかり睡眠をとります。眠くなるように昼間は片付け断捨離で、なんやかや捨てまくり、夜はバタンキューを目指します。一種の現実逃避かも知れませんが。
もうすぐ七夕ですね。小さい頃から短冊に願い事を書いて笹竹に提げていましたが、書いている時は願いを込めて、提げる時は祈るようにしっかり結び付けていた様な気がします。 - kamidanaya3 20-07-05 (日) 11:06
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今 書きためた私的なノートのなかの文章に目がとまり、こちらに書いてみたくなりました。あまりに大きな問いで、その時々によって響いてくる感じは変わってくるように思うのですが、
今 思いつくままに書いてみますね。
『祈り』とは かけがえのない届かなさに 身を焦がすように
想いを馳せること。世界を包みつつ
世界に包まれていることを知っているということ。 - あ 20-07-05 (日) 23:46
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いやあ、勉強になります。
自分の心、気持ちって、中々に気付きにくいもので、外に出すと言えばいいか、誰かれ、相手へ向ける事や、言葉にする事によって、形が見えて来やすくなるような気がしていて、その一過程が祈りの一側面である、というのは考えた事がありませんでした。
そこを踏まえてみると、自分自身にとっての祈りは、「代謝する事」とでも言いますか、「自身の変化を伴う、エネルギーが行き交う状態」ってイメージですかね。
そうなってくると、生きている事そのものが祈りになってしまうんですが、「神様(への感謝)」とのエネルギーの行き交いというか…
上手く言えないんですが、行き交う事で神様と一体化していると見なされる(波長が合う?)というか、そこが祈りと、代謝を分ける部分ではないかと、勝手に思いました。
場合によっては生きている事そのものも、祈りになり得る、と思ってます。
因みにですが、「思う」という事は、それに合わせた思考回路を使うという事でもあり、使う事で「その思いに染まる」という事でもあると思うので、日本人のやってきた感謝や祈りは、「慈悲の瞑想」に近い影響をもたらしていたのではないかという気になったりもしますね。
そう思うと、古来から、人間という生き物そのものの能力と向き合ったノウハウが、祈りという形で受け継がれているのかもしれないなあと感慨深くなります。
人間、己が第一であるが故に、保身に走りがちで、他者を排斥しがちになる傾向への対処法や、心の守り方、体と地続きの心との向き合い方を、賢い先人たちは残してくれていたのやもしれませんね。
…長くなりましたが、まとめると、要は、「心の開き」なのかもと思いました。 - seco 20-07-08 (水) 0:23
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私もふわふわっと書き込みさせて頂きます。私は、おはようございます❗ 等、さりげない日々の挨拶に、祈りを込めてます。
- 希映 20-07-10 (金) 23:37
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お久しぶりです。
最近、また、ちょこちょことブログを見させていただいてます。
思いきって、祝詞をメールで聞いた時が懐かしいです。
お師匠様の件は遅くなりましたがお悔やみ申し上げますと共にご冥福をお祈り申し上げます。
また、最近、彦様のお祀りされてる神社にも縁がありお参りさせていただきました。
なんだか、おじいちゃんに会うような気持ちにさせられて、嬉しい思いをしました。
少し遅れてしまいましたが、祈りについて僕も考えてみました。
祝詞を教えていただいてからは必ず、唱えさせていただいてます。
お祈りでは、ぼやきに近いような感じです(笑)
その時その時で努力していること、困っていること、望んでいること、神様の前にお参りさせていただき、心の中にある思いの澱を眺めてふわっと浮かんできたものを言葉にして自らで眺めて、神様の前で一体、自分はどう感じてどうしたいのかを確かめながらぼやいています。
自分のことについては宣言で、他者のことであればお願いになり、少しでも物事が善くなるように、その時の自分の在り方が気持ちが真であるのか確かめながら、自分の気持ちや望み、願い、祈りを神様に判じていただくようにしています。
また、せっかくお参りさせていただいてるのだから、少し喜んでもらいたいと思ってお酒を持っていきます。
大事な時はお酒を選んだりして、楽しみながらお参りをしてお祈りしています。
そんな感じのことが僕の祈りとしています。 - みやパパ 20-07-20 (月) 4:36
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村雲さん、ご無沙汰してます。お変わりないようで何よりです。
ここのコメにまだ管理人からのレスが入っていなかったので、遅い入力ですが、いつも通り生存確認も兼ねてコメさせて頂きました。
私が考える”願い”とは、内容は私事であれ公であれ”私”が比較的多く入っている願い事。”祈り”とは、感謝を込めつつ極力”私”が入っていない願い事。
みたいに思ってます。
予想通り、コロナ感染患者がまた増えてきて、梅雨も終わる気配のない、大変な今日この頃ですが、お互い自分の体調に気をつけて乗り切っていきましょう(^^)