- 2018-06-09 (土) 18:00
- 神様
・・・というタイトルで昔、小冊子を作ったことがあります。
まぁ、この世に残っているのか、定かではありませんが売り物じゃなかったので、手渡しで数名に渡した記憶がある(´ー`)
ってことで、今日はこの話題について。
自分の中では『八百万の神とは?』ですかね。
神社で普通に祀られているメジャー(この表現は妥当ではないかもですが・・・)な古事記や日本書紀にも名を連ねる実在した人々が昇華した神々とは別に自然界に在る火、水など俗に言う偶像崇拝もひっくるめて神と奉る思想。
世界的にも珍しい思想と思うので是非教えて欲しいですよ^^
くそっ、、、暇つぶしのリハビリの為に募集した記事なのに、妙に凝った質問しやがって・・・・
ってのは、どうでも良いとして(´ー`)
『八百万』と書いて、「やほよろず」と読む。
これ、本当に八百万柱の神様がいるって話ではなく、八は末広がりや可能性をあらわす数字。そこに、「よろず」はたくさんの・多くの・数えきれない、という意味で「やほよろず」。
なので、未だに増え続けていてもおかしくないのですよ、神様は(笑)
まぁ、管理人の好きな言葉のひとつでもありますが。
昔、昔の教科書には、『竹取物語』の冒頭で「竹をとってたジイサンが”よろず”のことに使いけり」なんて書いてませんでしたっけ??
あれが管理人、「よろず」との人生初の遭遇。
神道の成り立ちを考えれば、自然信仰や山岳信仰からはじまり、(ナチュラリズム)大自然そのものが神さまとして、対象として崇めていた時代から、、、
そこにはきっと、精霊なるものが宿っているに違いない。
(アニミズム)
それが今の神社神道の成り立ちに近い、「個性」をもって、さらに「ウチの祖先は○○の神であり・・・」なんて氏神という存在が生まれ、今にいたっておりますれば、まぁ、元をたどっていけば自然に『八百万の神々』に到達するっちゅーお話で。
んで、その「八百万の神々」はどうやって生まれたかといえば、やっぱり「ありがとう、ありがたい。」と縄文時代やそれ以前の方々が考え、その想いが発生の源だったと考えられますよね~
ちなみに、これも教科書に載ってる、
「縄文式土器」
も、土器の土の隙間に埋まっていた穀物のカスやらなんやらを分析すると、きちんと「祭祀用」と「生活用」に別れていたということですから、これまた驚き!
・・・どんだけ昔から、神様と呼ばれる『概念』があったのだろうかと不思議でしょうがない。ロマンを感じてしまう。
自分たちが努力して拾った木の実も、命がけで倒した野生動物も、すべては「ありがたく」授かったもの。
コンビニに行って、
「あれ?このお釣り、なんか少なくない?間違ってない??」
なんて邪悪な想い、古代の方が聞いたら怒り心頭じゃないですかね・・・?・・・・んなことはないか。
まぁ、質問をしてくれた人には、古代の人の想いに心をはせ・・・なんて高等なことは難しいでしょうから、せめて自分のまだ純粋だった幼年時代に心を戻して、もうフリだけはいいから、まっとうは大人として人生やり直して貰いたいものですね、えぇえぇ(-_-)
・・・ま。それは半分冗談として。
火も木も、風も水も土も、海も太陽も、それがあわさって起こる「影響」も、どんな科学をもってしても今の自分たちには太刀打ちできません。
そこに恐れも畏れも持って、無理に崇める必要はありませんがせめて大切にしたい。大事に扱っていきたい。
それを行うことによって、また八百万の神々様に力が宿り、決して神様をコントロールはできませんが、紙一重のところで神業や神威を発揮してもらえれば、、、、と願うばかりです。
結局、人のことばかり祈って申し訳ないのですが。
でも自然が自然にあってくれれば、人間以外の生き物の為にも良いハズ!
「自然」と書いて、神社の祝詞では「じねん、おのずとなる」と読んだりします。・・・ホント、大和言詞は美しいなぁ・・・・・。
話は変わりますが、六月の三日、今年初めてセミの鳴き声を聞きました。
日も伸びだした夕刻、外を散歩すれば風にのって雨に濡れた草木の匂いが懐かしくもあり、いつの時代か季節か、もう覚えていない何かを想いださせてくれる、素敵な季節ですね。
気づけば43回も、いつかどこかで匂ってきた香りなんでしょう。
最近は、春秋が年々減ってきているような季節ですが、それでも四季があるこの国、八百万の神々様に心から感謝しております。
過ぎれば本当に、なんのたいした事もやってきてない人生ですが、その一瞬に賭ける熱量だけはいつまでも、死ぬ寸前まで燃やし続けていたいと感じるこの頃です(´ー`)
耳を澄ませば、八百万の神様の唄はかならず聞こえるはずですよ。自分たちはその中で生きていますからね(*´▽`*)
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コメント:5
- らー 18-06-10 (日) 13:01
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こんにちは。お初にお目にかかります、つくもといいます。
先日ひょんなことから村雲さんのブログを見つけ、記事をたくさん読ませていただきました。かみさまにどういう姿勢で伺ったらよいか、いま一度考える機会になりました、感謝です。
村雲さまはいまは人を視るのはやめてしまったのでしょうか?自分はまだかみさまがどんなことを伝えてくださっているのか、そこまでは分かりませんので、ご縁がありましたらぜひみていただければと思ったのですが・・よろしくお願いいたしますー - 管理人 18-06-10 (日) 22:58
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らー さん
こんばんは、らーさん。コメントありがとうございます。今でも人は視てますよー一生、視ていく事でしょう、、、今は本職が忙しいので、月に数えるぐらいの人しか視ておりませんが(泣)いつかご縁がございましたらお会いしましょうね~!(^^) - 煌瀧 18-06-10 (日) 23:32
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だから~、前にも言ったけど、
ナチュリズムは裸体主義だよ。
ナチュラリズムっすよ。(笑) - 管理人 18-06-11 (月) 0:32
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煌瀧さん
ヤバい、一人でうけてる、、、ありがとう、修正しときます(´д`)
反省の意味も含めて太字にしてみた(笑) - らー 18-06-11 (月) 19:40
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こんばんは、ご返信ありがとうございます!
そうなんですねー実は干支も同じようでして、村雲さんは私の一回り先輩ということでご縁を感じております(笑)
現在は出張鑑定というか、遠方で視ていただいたり、というのはむずかしいでしょうか。むずかしいようでしたら、タイミングで福岡までゆきますので、そのときはぜひよろしくお願いいたしますー