- 2016-07-26 (火) 11:31
- 教訓
「鳥の目、虫の目、魚の目」 これ、ビジネス関連や経営論、人生の成功論などによく使われる言葉。
大空を舞う「鳥の目」は物事を俯瞰的に。大空を飛び回りながらジャングル全体をマクロな視線でとらえる目。全体を把握する。
地べたをはう「虫の目」は下から見あげて上からだと視えない視界がえられる。現場を直視して、現実を把握する目。ポイントを絞れば、狭く・深く・・・・ミクロ的な意味合いがあります。
「魚の目」は水の流れを読む目。動いていないとおもわれる水の中も、目視できない流れがあります。たとえば、流行り廃りやら、時代の流れやら。
・・・・・とまぁ、ここまでは良く書かれている話なんですが。
ひとつ付け加えるとすれば、『スピリチュアルの目』(笑)
これは、視えないものを視る目・・・・・というより、”感じる”目。
もちろんこれは、超主観的な、根拠もなく理論や理屈が存在しない、ご本人の 『直感』 や 『第六感』 といっても過言ではない目、、、、なのですが、事実かなりあやふやではございます。
霊能者と呼ばれる存在や、「霊感~」とつくものは大抵、これで商売しております。
単純に「占い師」と名をつけるよりも、「”霊感”占い師」のほうが神秘的で売り上げもあがりやすかったり(-_-)
細木数子さんのように、「占い(データ)」を扱う人間が、
「どこどこで修行した。」
なんて”後づけ”でだしてきた方が信憑性があがったり(汗)
「鳥の目、虫の目、魚の目」・・・・これは確実に比喩表現なんですが、どれも『目』であれば「なにか」をみているはず。どこかに焦点をあわせている。
その、「なにか」・・・・
「なにか」・・・・どこに焦点をあわせているのかは、その人の人間力だったり経験だったり、器によって違う。
たとえば、同じ「鳥の目」でもスズメがみる世界と鷹がみる世界はどちらが良いか悪いか、優劣も関係せず、ライフスタイルによって違う。
本人の”生き方” や ”目的” によって変わってくる。
ここ(生き方や目的)に自信がない方(はっきりしていない方や迷っている方)は、自分らしく生きるために”必要”であっても、決して”万能”ではない 『第四の目=スピリチュアルの目』 だけに”依存”しやすくなる傾向があるとつねづね感じます。
この4つの目(4つの視点)はどれ一つ欠けても生きる上では勿体ない?大切なものだと思います(´ー`)
怖いのは、どれか一つに「偏ること」。
または、どれか一つに「固執すること」。
(”確証バイアス”と呼ばれるもの)
ようは『バランスの問題』なのですね(^^)
自分の心から尊敬できる方々はどれか一点の「目」が優れているようにみえても、他の3つの目もほとんどスキがない(-_-;)
「自分の中の真実と世間の事実をまずは切り分けること」
「とにかく目の前のことに集中して」
「アンテナをもっと広く。君は新聞をちゃんと読んでいるのかね?」
「もっと単純に生きろ。時には神様に身をゆだねるのも良いもんだ(笑)」
・・・・これ、それぞれの「目」のプロフェッショナルと感じる別々の人から自分が直接言われた、それぞれのセリフですが・・・それらの方々はたいてい他の3つの目もカバーしていたりする(-_-;)
どこを突いても、納得のいく答えが返ってくる。
ただし、
「3つの目+1つの目」を一度に目の前にだされても、
「どれが一体、本当の話なんだーーーー!」
と、パニックになる必要もなければ、
「ひとつの目もない自分はダメだ、、、、」
なんて、卑屈になる必要も自己嫌悪も必要ないですよ~(´ー`)
なぜならば。
ひとつの目を「真剣に考えて向上させれば」おそらく他の3つの目ももれなく付いてくる・・・・のが正解なのかな?
ひとつにしがみつくのと、ひとつを丁寧に向上させるのとは天と地の違いがありますよね~ここ、間違っちゃもったいないポイント。
できればバランスよく。
コツは、焦らず、ひとつひとつを個別に考えて丁寧に磨いていくことしかないような気がします(´ー`)
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コメント:4
- あ 16-07-26 (火) 19:16
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一芸を極めると他の事にも通じる、みたいな言葉もありますね。
本気で何かに打ち込もうとすると、多分いろんな「目」が意識せずとも必要になってくると思うので、自ずと様々な目を使う事になって、場合によっては目を変えたり焦点を変えたりする事や他を補う方法なんかを知らず知らず培って行くのかも知れません。その経験値が他の底上げにも繋がるという感じですかね?(まるで学校の勉強みたいだな…)
何か一つに全体重を掛けてしまうと、自らが立ち上がる力を自分から無くしてしまう(或いは全体重を掛けた反発力に押し潰される)かも知れませんが…その危うさをわかった上でなら、あえて全体重を掛けて本気で喜んだり悲しんだりするのもいいのかも知れないと思いました。(偏る事であっても固執や執着する事ではなく、選んだ責任を受け入れられる?から)
…ぶっちゃけ、バランスに気を掛け「過ぎても」個々が立たない事がありますから、気を付けたいですね。…程々に(笑)
程々過ぎるのもまた困る事があったり、人が感じるものと自分が感じる「過ぎる」の違いというややこしさもあったり。
向上や満足に果てがないからなのかも知れませんが、広大すぎて道がわからない。なので何かに、親に対してのように寄り縋る事で、自立や道筋を学ぶ事もあるかな、と思ってみたり。
もちろん、寄り縋りすぎて周りが見えなくなるのは…ポケ○ンG○みたいで危ないですが(苦笑)
(失礼、書き進めている内に自分で何書いてるのかよくわからんようになったので、ここまでで笑) - 管理人 16-07-27 (水) 0:10
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あさん
大丈夫です、あさんは自ら立ち上がる力をなくしたり、反発力に押しつぶされたり、バランスもとれないことも、程々過ぎたりも心配いりません。これは決して悪い意味ではいのですが、多分あなたは合理的主義すぎて「やれない・やらない人」だからです。これが鑑定依頼メールの返事だったりしますm(_ _)m - あ 16-07-28 (木) 8:57
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ご返答ありがとうございます。
お気遣い嬉しく思います…が、上記のコメントは悩んでいるというか経験をもとに考えながら書いたので、ほぼ大丈夫です。…多分(笑)語りたくなっちゃったんです。語れる程長く生きてはいませんけれど(そんなこと言ったら殆ど誰も何も言えない笑)
村雲さんの仰る「やれない、やらない」ですが、恐らく自分でもわかってて、そういう意味でも瀬戸際かもしれません。働いていない事に関しては、自分で決めたラインがあるので、気持ちの整理や雇用の窓口を広げる意味でもそれが終わってからですかね。
引きこもりからのニート生活が続いたからか、そもそも何かをしたい気持ちが枯れ木のようになってると感じているので、今は療養中といった所でしょうか(苦笑)
正直鑑定依頼のメールに何を書いたかあまり覚えていませんが、正しさ等を見直したい、というか、自分の中にそういう芯があるともないとも言えない心境でして、不安とも不安じゃないとも言える状態で。添え木というか参考の1つにさせて頂ければと思いまして、少しずつでも人の持つものというか、に触れて形成する腹づもりでございます(変に畏る)
話は変わりますが、個人的に神様関連で聞いてみたい事があるので、お時間がありましたらその時は、またよろしくお願いいたします。(自分も今は法事の為に帰省していて少し忙しいので)
ありがとうございました。 - パイ生地 16-07-29 (金) 15:57
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こんにちは
ひとつの目を「真剣に考えて向上させれば」
私は 鳥の目 を養いたいです
全体を把握する力 がまず足りないと思っています
と 言うか 読んで一番に興味持った部分だったり 笑
合言葉は 鳥の目 でいきます
暑くなってきました 皆さん体にお気をつけ下さい