わざわざ東京から尋ねてきてくれた人は、
「他人の子の成長ははやいですねぇ~」
とおっしゃってましたが、、、我が子でもそれは同じですよ(;´∀`) 気づいたらあと数ヵ月で2歳です。
日に日にいろんな言葉をおぼえ、喋るようになってきて・・・・イヤイヤ期も絶好調。なにか気に入らないことがあればすぐに、机の上のお皿を手ではらって落とします。
今日は「初めて」本気で叱ってみました。
せっかくお嫁さんが忙しい中、作ってくれたご飯でしたからね、、、、まだ叱れる歳ではないので、声は荒げず。子どもの目をみて、
「せっかく作ってくれたご飯を落としたらいかんよ。そのご飯はもう食べられなくなるとよ。わかった?」
まだ早いとおもいつつも、本気で叱らねばとおもった気持ちが半分。
あとの半分は、ちょっと本気で叱ったらどうなるんだろうとの興味が半分。
おどろきました、あの顔は。
なんて言うんでしょうか、まさしく「恐怖で凍りついた顔」で見つめられるわたくし。
(子どもってこんなに反応が早いんだ・・・・・)
こっちが驚きました。今までは数回、てきとうに、、、もしくは冗談半分で注意ぐらいはしたことがあるのですが、まさか半分本気で叱ると、言われた子どもはああまで敏感に察知するとは・・・・・・・
しばらく固まったのち、両手を広げて全力で泣きながら抱っこを求めてくる姿。
あんなにひとつの感情を、全身全霊であらわせたのって・・・・最後はいつ頃の話だったろうか?はかなく可愛くもあり、あの姿がふしぎと美しくも感じるんですよね、人間って不思議です。
(あああっ、申し訳ないっ!お父さんが悪かったよぉ~~~(泣))
って、一瞬のうちに罪悪感いっぱいですぐに抱きしめたのですが、抱きしめたまま二瞬目からは、「いかんいかん、叱る時はちゃんと叱らないと!」とわけの分からん勝手な大人の理屈を思いだして、、、、とりあえず落としたお皿だけは拾わせました。
東京でも福岡でも、他県を飛び回っている時でも。離婚して元嫁さんに渡した子どものことを考え続け、戦い続けるあの友人。
複雑な想いが交錯しながらも、冷酷に神様の言葉を読み上げる自分は鬼なんだろうか、悪魔なんだろうか、しょせん仲執持ちなんだなぁ~・・・・・とつくづく感じる。
いつもおどけた顔をして、おどけてばかりで少々、疲れることも・・・・多々あり・・・・だけれども(;´∀`)
縁があって、それが続いてお互いに歴史を語りあって、今を知って、綺麗なところも汚いところも知って、一度前の家の時には息子さんを連れてきてくれたなぁ~あの時はほんとうにやさしいお父さんの顔だったなぁ~
考えれば考えるほど、なにが正しくてなにが悪いのか、まだまだ人間的に未熟な自分は師のように自信と恐れと、愛と怒りをあわせもって、ゆっくり丁寧に「言葉をはっする」、時には「断言する」ことができない。
おたがいに疲れ切っている身の中、みじかい筆書きを読み上げてほんとうに困ったあの人の顔は一生忘れないだろうなぁ・・・・・
なにが良くてなにが悪いのか、自分にはよくわからない。
結局、そこには答えなんてないんだろうけど、いつか神様がどういう形かで、どういう答えかをだしてくださるのでしょうね。
「仲執持ち」の役は役としておいといて、自分もなにも分からないなりにその瞬間、一緒に悩みたい・少しでも力になれればと思える友人と呼べる人もこの歳になり、生きた歳月とともに多くなってきました。
せめて我が子と、また今を生きる同級生の子たちが大人になって、自分の信念をもって、はっきりとゆっくりと話せる大人に成長しますように。そういう人生を歩めますように。
いや、丸投げはイカンイカン(苦笑)
その前に今を生きる大人ですね。失敗は多くあっても、なにか一つでも託し、伝え残せる大人にならなければ。
人間はやれることをすべてやって、あがいて、その中で神様に ”託す” 生き物のような気がします。けっして、「願いっぱなし」ではない。
そして神様も「願いを叶える」存在ではない。やっぱり今のところ一番適した言葉は、『見守る』かな?
人間は全力で生きて、あとは結果はどうであれ、結果にかかわらず、 ”託す” 生き物なんですよね。あとはそれを全力で受け止めるだけ。水と火。
今日わかったのはそれだけです。
おやすみなさい~明日もよい一日にしましょうね!(´ー`)
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コメント:4
- ひろ 16-05-30 (月) 14:14
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タイムリーな記事でした。
叱るって親も心が痛みますよね。
しかし、大好きな我が子だからこそ大人になってからも人に愛される様に、人から嫌がられて親から叱られるより何倍も悲しい思いをしない様に、と叱りしつけるのですね。
託して見守りつつ、いつか託した花が綺麗に咲きます様にと願ってやみません。 - 千恵 16-05-30 (月) 16:19
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( ^ω^ )村雲さん、、カッコいいパパです!
>しばらく固まったのち、両手を広げて全力で泣きながら抱っこを求めてくる姿。
>あんなにひとつの感情を、全身全霊であらわせたのって・・・・最後はいつ頃の話だったろうか?
>(あああっ、申し訳ないっ!お父さんが悪かったよぉ~~~(泣))
最高に温かいシチュエーションに感動の涙が出ちゃいました!
2人の間には誰も入れる余地がないと思いました。
最近、気分悪いことの連続だったんで、、(;^ω^)
村雲さんのおかげで、心が晴れて澄み渡るように感じました。
ありがとうございました。 - ちゅみ 16-05-31 (火) 17:48
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何時でしたか、記事の中で村雲さんがお父様といついらいハグをしていないだろうかと・・そう書かれておられましたが、お父様とのハグは久しくなってもちゃんと息子さんに温もりを継承していってるんですよね〜。あったかくてチョッピリしょっぱい景色が見えるようでした(*^^*)
そして何十年後かに今度は息子さんが、今の村雲さんのセリフを言うんでしょうね(^^)
だけど村雲さん、今私が誰かに叱られて、シジミのような目に涙をいっぱいためて両手を広げてその人に迫ったら・・
千パーセント、ケツまくって一目散に逃げられるに決まってますから、やっぱりそれは正真正銘純真無垢な心を持った子どもだけが許される行為ですね(≧∇≦)
心は・・できるだけ、なるだけ・・鋭意努力し、誰かの心に遺していければ良いなぁ(^^) - はぐれ雲 16-06-06 (月) 11:53
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自分は父が小さい時にいなくなったので…顔も思い出せませんが、一度だけ叱られたというか、諭されたことが今でもうれしいです。
年に一度か二度しか帰ってこなかった父が…お盆の頃だったか…友だちを連れてきたことがあって…父も珍しく上座に座っていて、上機嫌だったのを感じていました。
めったに帰ってこなかった父を見るのも新鮮で、…夏だったので…父のお友達の前のテーブルにはスイカがのせられていました。
自分は父の前で気をきかせようと…いつもやっているように…皿にのったスイカ全体にに塩をふりかけたのです。
そしたら、父がすかさず…「人には好みってもんがある!」って強い口調で自分を叱りました。
叱られたのも初めてで…その理由も道理。…叱られたのにとっても心の奥が嬉しかったのを覚えています。
どんな父であっても誇りにもちたい想いが子供心にもあったのかもしれません。
父の強い口調を聴いたのもあの時が最初で最期。
あの言葉はいつまでも忘れません。
感謝してます。