- 2015-08-08 (土) 10:03
- 教訓
障害をもった我が子が愛せないと悩んでいる方々へ(神様の言葉)
の個人的な訳と考えを掲載しておきます。
<訳>
子どもを「信じる・信じない」という話になると難しくなるけれど、人間として同じ肉体・同じ魂を持つ存在として考えてみれば。
植物や虫、人間以外の生き物としての違いはさまざまあっても、人間は特別にただ自覚しているだけであって、そこに”違い”以外の上下は決めきれないものがある。
ならば、一通り同じ ”人間” としてカテゴリーでくくった時に、そこにあるルールは、「人は人から生まれてきた」というだけのこと。
さらにそれが親子となれば、間違いなく父親と母親ふたつの存在から生まれてきたものであって、管理人にしてみても自分の子を見るたびに、「ここが自分と似ている、ここは嫁と似ている」といつも考えているだろ?そうやって人は、無意識の間に我が子を我が子として”認めている”作業を行っている。
言い換えれば、”信じる” とは ”認める(認めようとする)こと” からはじまっている。
これが大前提にある。
人間は、自分以外の人より認められることによってまずは存在を確認し、そこから認められることによって力も発揮できれば、自分自身への誇りともなる。
”認める・認められる” とは、新しい力や気の源ともいえる。わしら神様と呼ばれる存在も、神様と認めてくれる存在がいて、はじめて神様といわれる存在になるように。
同じく ”愛情” というものも似たような性質がある。
いくら命がけで相手に情を注いでも、注ぐ対象を正しく認めていない内は、結局自分が創り出した”相手という存在”に対してやっているのと同じことでもあって・・・・結果としては、相手に情を注いでいたはずが、自分に対して注いでいた・・・・という話になることもある。(相手を正しく認識していなかった為に、自己中になってしまいやすい?)
いくら、「神様を愛しています!」という方がいてくれても、神様はこういうものだ(こういう存在だ)という認識が欠如した、最初の一歩が間違っている人がいれば、その人が思う神様とは別のなにかに変わっている可能性が高い、、、村雲もそういう人は何人かみてきたことはあるだろう。(またそうならないようにとの戒め??)
前置きは長くなったが、この相談者の方は間違いなく我が子を愛し、慈しみをもって接していることにはわしからみても間違いはない。それがどんな形であれ、母と子は特別な関係性にある以上、それは正しいといえる。
でも、冷たい言い方にはなるけれども、この相談者やそのご主人、愛や慈しみの前に、大前提である ”相手を認める” という行為を飛ばしている。せっかくの愛も情も想いも子には伝わりにくいかも知れない。
人間が神様と一緒に行う”和”というもの、これの代表的なものに ”神祭(お祭り)” というものがある。
”和” という本来の意味は、形や中身が違うものが一つとなる作業のこと。神様という存在を認め、それを認めている自分という存在を認め、その認識があってはじめて神様に喜んでいただこう、楽しんでもらおうという人の想いがひとつの形となったものが、”神祭(お祭り)” というものである。
その ”神祭(お祭り)” を行う前に、人は体を清め、体を清めることによって心も清め、日頃の罪や穢れを取り払おうとする。(潔斎をおこなう)
その行為は、言い換えれば神様に失礼にならないように、そして神様にたった一瞬でも近づいて、たった一瞬の ”和” を得たいという願いがある。神社に参拝する時も同じこと、 口をすすいで手を洗って体を清め、鈴を鳴らして心を統一させ、少しでも神様に近づこうとする。
「和になる」「一つになる」。その作業の前に ”認めあう” という行為は、”近づく” という行為になる。
”近づく” とは、言い換えれば「同じところ(重なる部分)」をお互いに見つけあい、それを重ねていこうとする作業のこと。
それは目にみえる姿や形を近づけていくというものではなく、本来は目にみえない部分(概念とか?)を重ねていくということ。たとえ、手がない足がないという人がいても、「人間じゃない」という人はほとんどいないだろう。(だから入口は、目にみえる姿や形であっても、本質は目にみえないものとなる)
同じものを食べて、同じ空間で一緒に暮し、同じ体験(作業)をし、喜びも悲しみも一緒に乗り越え、はじめて少しずつでも”一つ”となっていく・・・・・これが、相手を”認める” という行為に近い。
その作業や行為を飛び越えて、わたしは子に対して愛や情が少ない、それには過去に原因があるかも、育て方を間違ってしまった、そもそも自分の親が悪い、どんな因縁があるんでしょうか・・・・・といろいろ喋っても、それは愚痴にしかならず本当の答えには辿りつかない。
わしの言いたいことはここまでだが、この言葉の通りこのご夫婦に伝えなさい。
しゃべった内容をひとつでも理解・納得し、またそうしようとしてくれる間は、わしは必ずこの夫婦の子を見守り続けると約束しよう。そう伝えなさい。
建御雷神
管理人自身、”理想の夫婦” を追求しようと努力して、目にみえるもの(相手の行動や発言)ばかりが気になって、それに振り回されていた時期がございました。
もう一つ、これは本当にみえにくかった自分が掘った自分への落とし穴でしたが、結婚当初は
「自分がこの家庭を守っていかねば・・・自分なら幸せに導けるはずだ。」
との、気負いや思い込みが強く、それが自分で気づかない内にお嫁さんに対して、
「君はこういう部分で、夫である自分や他の人より劣っている。」
という、無言のメッセージを与え続けていた・・・これでしょうね。
確かに、人に会い過ぎてきた自分と、そういう機会が少なかったお嫁さんでは、人付き合いの柔軟性においては自分が優っていた部分はありましたが・・・
そういう時に限って見えないんですよね、相手の良さが。認められないどころか、その良さを自分が殺してしまっている事にすら気づかずストレスは溜まるばかり。その落とし穴に自分が気づいてからは、特に何をした訳でもないのにある日を境にお嫁さんが輝きだしたのには驚きました。
神祭時、3時間祈っても、30分祈っても、祭りが成る(神様と重なる)のがたった一瞬・・・・・ということを考えると、その一瞬をどれだけ積み重ねられるかによって”和”というものが成り立っていくのか、、、、を考えます。
夫婦にしても、性別や生き方、環境や価値観、個性が違う二つのものが24時間死ぬまで重なりつづけるということはほぼ、不可能に近いと思います。
それでも、そうなろうとする。
それには、当たり前の話なのですが相手を”認める”という大前提があって、それを忘れたらただの自己中や自己満足になりやすく、また相手を信じる・認めるとは”想いの強さ” や ”決意” ではなく、小さな重なりを大切にして積み重ねていくこと・・・・・・
そしてその経験を得るには、自分の良さも悪さも冷静に向きあう、、、いえばそれを含めた「まずは自分自身を認めること」が大切だと、いうまでもありません。
自分の解釈は相応に浅いかも知れませんし、基本的には相談者の方に神様がくださったお手紙。その方がどう感じるかが大切でもあって真意はわかりかねますが、少しでもどこかの誰かのお役に立てられれば・・・と、今回も相談者の方と神様にわがままを言いました。
参考になれば幸いです!
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コメント:9
- おしん子 15-08-08 (土) 11:16
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「認める」難しいですね。
私の母も私の事を認めることが出来なかった一人かもしれません。
自分だけが悲劇の主人公で感傷に浸る日々もあったと思います。
本気で愛してくれる人とそうでない人。子どもは敏感でわかります。
母から産みたくなかったなんて言われたこともあります。
でも父や両方の祖母祖父・親戚・近所の人・・・それぞれの人たちの愛情のお蔭で母も少しずつ私を認め・・・変わっていったのだと思います。
それで良いと思います。
だって人間だもの(笑)
そんな感じでしたが、私の成長とともに母は母なりに愛情をかけてくれたし、今でも仲いいですよ~感謝しています。
障害をもった親御さんへ
「認める」ことが難しいと思いますが、それでも多分、子供さんは精一杯「お父さん・お母さん大好き」オーラを放ってると思います。
気づくと楽になれるのでは?
それと村雲さんに相談しようと決めた時点で、良い方向へいってると思います。
四国の相談されたご家族の皆様が毎日笑顔で過ごされることをお祈りします。
生意気いってすみませんでした。 - 真心 15-08-08 (土) 21:37
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村雲さま…こんばんは。
また、貴重な神様の御言葉…お伝え下さり、ありがとうございます。
神様の御言葉は、深く、重く、優しく、また…人として大事な教訓ですね。
認めるという事についてですが、身なり等が、変わったりしていると、見かけの違いは・・認めない…に変換する世の中の様な気がします。
群から外れた人は、負け組であり、協調性が無く自己中心的…で、社会は思考を停止してしまう。
差別や虐め、パワハラ等の事は、認めない…から、くるものに感じます。
きっと、神様にご相談された方は、そういった社会のご相談された方への虐めみたいなものもストレスに感じておられ、…経験の無い私には、掛ける言葉も無いほど、御疲れだったのではないか…と想像しました。
神々様の御言葉が、広く世間に根付き、神々様中心の世間になれば、人も変わり…良き世の中になっていくのかもと願うこの頃です。 - ちゅみ 15-08-09 (日) 6:01
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おはようございまっす(*^^*)
いやいや村雲さんはやっぱりすごいです(*^^*)
ご自分の心内を文章にされてその流れを説明、改善、そして結果。
人って、特に主は(まぁ私の知る父という主は、かもしれませんが)無意味(≧∇≦)なプライドが邪魔をして、なかなか出来る事では無い様な気がします。
これ迄も奥様とのお話を書かれていて、ほのぼのと男女関係、家族関係、人間関係の勉強をさせて貰っています(*^^*)
村雲さんご自身は、ほのぼのとはいかない時もお有りでしょうけど(≧∇≦)
この度の神様の御言葉を伺えたのは村雲さんの想いに応えて下さった、神様と四国のご両親様のお陰ですね。
ありがとうございました。心から感謝申し上げます。
そして村雲さん、いつもありがとうございます*\(^o^)/* - しまけん 15-08-09 (日) 18:41
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ん~
耳が痛い。。
できるところからぼちぼちやっていきます。 - 匿名 15-08-10 (月) 22:57
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そういう時
相手の欠点ばかり目について非難し、自分の欠点、短所には気づきにくいですよね~ - 管理人 15-08-11 (火) 18:52
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おしん子さん
そうそう、「人間だもの(笑)」ホント、その通りです。良いも悪いも、人間なんですよね。
真心さん
いえいえ、お礼は公開を許可してくださった方に。しかし、世間の中心はやっぱり人間ですよ~神様の”教え”をいただき、それを実行(”道”)に移す人間。ここはしっかり自覚して頂いていた方が良いかなぁ~といらん一言ですが。
ちゅみさん
ほのぼのといかない事の方が多いかなぁ~皆にほのぼのしてもらおうと、かえって自分の首を締めたレベルじゃなく、心臓を一突き!(笑)なのでちゅみさん、自分の代わりにしっかりほのぼのしてくださいね~(苦笑)
しまけんさん
でしょ~?(でもね、時々はあえて離れることも大切ですって!)(爆) - 管理人 15-08-11 (火) 18:54
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匿名さん
そう、そういう時は気づきにくい・・・・あとは双方、何に気づいて何を実行するかでしょうね。がんばれ匿名さん、がんばれ自分!(笑) - もっさん 15-08-13 (木) 13:00
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最近自分の身体がしんどいから、子供との1日1日をただ乗り越えようとしか考えていなかったなぁ…。
認めるって言っても人それぞれ捉え方は違うだろうし、自分自身の解釈で正しいのかどうかはわからないけど、なんとなくこうかな?って事を自分のペースで実行して行こうと思います。
今の自分が忘れてる事を思い出させてくれる記事でした!ありがとうございます! - fey 15-08-13 (木) 15:21
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今まさに悩んでいる方達には、キレイゴトにしかきこえないかも知れませんが・・・。(私も昔そうだったので)
息子は、出産時の事故で身体等二つの障害名を持っています。
私の場合はすぐに子どもと離されたので(救命処置で)、どんどん産んだ感覚も薄れていく中、医師からの将来予想される子どもの困難について訊き、「そんな状態になるのなら何故助けたのか!!」「私には育てられない」と本気で思いました。でも、旦那が「俺たちの子どもでしょ」と言ったんですよね・・・。私は、自分が母親だということを思い出しました。お恥ずかしいですが。
子どもの困難等をなかなか直視出来ない親御さんが多いですが、その気持ちもよくわかります。
親が受容できるまでの時間は人それぞれで、長くかかる場合もありますが、その間も子どもはその子なりに成長します。
専門病院に母子入院している時も、葛藤で苦しむ親御さんと延々と話合いました。障害が重いか軽いか、入院期間が短いか長いかで、親同士のトラブルもありましたが、子どもはそんなことにかまわず、泣いたり笑ったりしています。
でも、誰か信頼できる人に話すことは良い事だと思います。
息子は今、全国の様々な障害を持つ青年達と、活動をしています。もめ事はあるし色々ぐっちゃぐちゃですが楽しそうです。そんな中で「障害者であることに誇りを持って生きている」人達がホントに沢山いるのです。
社会…環境の中にその人達には大変な困難が沢山あるけれど、皮膚感覚で時計から時間を読み取る等すごい全盲の人もいますし、哲学してる人、会話はできないけど絵が上手な人、息子はいつまでたっても幼くて不器用だけど発想が面白かったりしますし、様々です。
反対に親に認めてもらえず、こうした場所に自分の居場所を求め来ている子達も居ます。
様々な困難は勿論沢山ありましたし今もちょこちょこありますが、私も子どもと一緒に日々成長しています。多分…
そんな息子は、毎日神様に感謝しています。もう18歳なんですが、そんな姿を見るとかわいいですよ。
それと…奇跡って本当にあるんだな…って事も沢山経験しました。沢山あったら、奇跡って言わないかもしれないけど。
過去記事に長文コメントを載せて、すみません。