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池上彰×マツコ・デラックス(体罰の問題について)

池上彰×マツコ・デラックス(体罰の問題について)。これはどうなんだろ・・・・学生時代の頃は、何かあればすぐに職員室の隣にある『生徒指導質』でボコボコにされてた苦い経験があり・・・・・・・割と今でいわれる「体罰」を受けて、それを体罰と思わず育ってきた人間なので今のところ何ともいえませんが、、、、今でいう「体罰」には実のところ、感謝しております。・・・・・が、間違ってほしくないのは自殺者まで出した今回の(いや、これも昔から続いてる?)「事件」とは状況も現状も違い、一概に同一には語れないということ・・・・・・う~ん、難しいですね・・・・・・・・でも最後にマツコが言ってるように、これから先もしっかりとその都度当事者を含めたすべての関係者(広い意味で自分たちも含めて)が話し合っていくことが何よりも大切なことだと思います。


マツコ:これ、だから、みんな多分なんて本質を言ったらいいのかわからないから、逃げ口上の1つとして使ってるんだろうけどその体罰に愛はあったのかそれとも愛情のない体罰なのかみたいに言うでしょ。私ね、それはねそれはもう、その人が、どう…。やられてる方がどう受け取るか以外にそれを判別する方法なんてないと思うんですよ。

池上:そのとおりなんだよね。

マツコ:だから、その人が体罰だって言えば、もう体罰だしその人が、体罰じゃないですこれは、愛情のこもった私に対する鉄拳ですって言えばそれだけの話で。その受けていた側がこれは体罰だったあれは体罰に準ずる卑劣な行為だったと言った場合は多分、体罰だったんですよ。

池上:そういう事だよね。でもね、その一方で、つまり愛情があって私のためにやってくれた事ですってそういう信頼関係が出来てればね手を上げなくなってさ教育出来てるんじゃないの?

マツコ:そうですよね、うん。

池上:そこで手を上げちゃうっていうのは実は指導力不足じゃないか。

マツコ:いってみりゃ、簡単ですからね。

池上:ねえ、そう。

マツコ:ビシッとやるだけで説明をする必要がなくなるわけじゃないですかその時点で。じゃあ、もう手を上げるという行為は全て、もういらないですか?

池上:そこがまた難しいところ。

マツコ:難しいんですよね。

池上:言い切っちゃうと、なんか待てよ、おい、それでいいのか?っていうところにこの難しさがあるんだけど。

池上:有形力をともなった云々かんぬんって、訳のわからない文部科学省の局長のインタビューがあったけど。あれは例えば、子どもが教室の中で暴れ回ってるのをちょっと待ちなさいって押さえ込んで、席に着けさせる。つまり、その子に触れて力を加えてその子を動かしている。でも、これは体罰ではありませんよっていう事なの。昔でいえば、それこそ引っぱたくんじゃなくても無理やりグッとやったらそれは体罰だって言われたけどいや、それは体罰ではないよっていう事を…。

マツコ:説明していたわけね。

池上:説明したって事。更に言えば、例えば、長時間廊下の外に立ってなさい。これは、殴ったわけでも触ったわけでもないけどこれは体罰だろうって事になってるわけ。でも、教室の中で、短時間そんな、いたずらばっかりしてちょっと立ってなさいっていうのは
体罰ではないよという事にしたって事なんだよね。

マツコ:それも受け取る側によって違うと思うんだよな。ちょっと…多分教室の中で立ってるだけでも恥をかかされて屈辱的な思いだったっていうちょっと精神的に弱い子だったらそれは十分ひどい体罰になるし。「あー、まだかよ」って言って廊下で立っててもまあ、俺、ひでえ事したしなって思える子だったらそれは体罰じゃないし。どうしたらいいの?

池上:という事になるんだよね。正解がないんだよ、これも。

マツコ:だから、もう、さっきのいじめの話もそうだけど面倒くさがらずに今、目の前で起きている事をそれに関係している当事者たちだけじゃなくて先生も親御さんもみんな含めて真っ当に解決しようっていってその都度対応するしかないんだよね。

池上:そうなんだよね。なんか教育評論家みたいなコメントになってきたね(笑)

マツコ:何も評論してないですよ!このやり方ダメよ、池上さんの(笑)


最後は、池上彰×マツコ・デラックス(ゆとり教育について)です。

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コメント:4

ブーシュカ 13-04-05 (金) 18:49

体罰という看板を持って暴行になるのはおかしいのですが、ここでの、ちょっと立たせることにも、体罰か否かと考えだすと、賞罰につながるような気がします。
自分の行ったことへの責任を負わせることを、小さなことから身につけさせるのは、我が子数人を育てる家庭ならいざ知らず、ひとクラスを任される教師が、どう運営していくのか。

学校は集団行動を学ぶ場でもありますよね。罰を与えられたときの本人の受け取り方を慮りながらも、集団を乱すような、そういう間違った行動をとったときの責任の取り方は、どう学習させるんでしょうね。

本人の成長という視点がこの書き下しの部分だけでは自分は見とれませんでした。

管理人 13-04-05 (金) 19:36

ブーシュカさん
おそらく、はじめからこの書き下しには「本人の成長うんぬん」は書かれてないと思いますよ~(この場合の成長は子供?それとも先生?それ以外を示しているのでしょうか??)

行う側(先生や学校)と受け取る側(生徒・子供)だけで判断するにはあまりにもケースが多く状況によっても違うので、内々だけで判断・理解しようとせずに「正解がないから、面倒くさがらずに今、目の前で起きている事をそれに関係している当事者たち”だけ”でなく先生も親御さんもみんな含めて真っ当に解決しようと、”その都度対応する”しかないんだよね。」・・・・・・・・・・・ってことが、この話の主旨じゃないでしょうか。上記を踏まえて言えば、、、『ひとクラスを任される教師が、どう運営していくのか?』・・・・・・「どう運営していくの?」ではなく、その都度親や社会(世論)も含めて ”話し合う機会” があるだけでもぜんぜん変わってくると思いますし、話し合いが双方の成長の鍵を握るんじゃないかと。「運営はどうなの?」「そんじゃ家庭内の教育は?」はあくまでも結果であって(下手をすれば水掛け論の責任転換にもとられてしまう)、そこまでに行く過程に問題解決の種が眠っている気がします。

ブーシュカ 13-04-05 (金) 20:14

成長は、子供です。
そうですね。
子供の健やかな成長に学校と家庭とで連携しながら関わっていく、そこには、話し合いは、欠かせない要素ですね。
すっかり立たせたこと(教師とこども)だけに目がいってしまってました。
そうですね、その機会がちょうどに持てたら、子供はその自分の世界での面子を保ちつつ、責任というものを学ぶことができそうな気もします。

  13-06-13 (木) 7:05

信頼関係が築けてない状態で暴力をもって指導するから問題になるんだと思うな。
昔は先生も露骨に好きな生徒を贔屓したりバカな生徒に対するイジメに参加してたから、クラスで大きなピラミッドができて信頼関係ができてたから問題が表面化しなかったとも考えられる。
現代でそんなことが許されるわけがないのだから、教育関係者以外の人間の手を借りて意識改革をするべきだと思う。

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