- 2012-08-15 (水) 11:43
- 教訓
お盆が始まりましたね。あの世とこの世がより強く結ばれる時期、お盆。このお盆という行事はどうしても日本伝統の宗教を意識せざるをえない。「お盆は仏教なんでしょ??」と思い込まれている方も多いのですが、実はそこに仏教をはじめ一族の長を氏神として神様扱いした氏神信仰である「神道」やその他のいろんな宗教が複雑にまざって出来上がった『日本オリジナル』の伝統や風習に近いものなんですよね~やっぱり日本っておもしろい(笑)
では、そもそも「宗教ってなに??」という話になると、
「宗」の文字の頭についている「うかんむり」は『建物』を表す言葉。その中に「示す(しめす)」が入って宗教の「宗」の文字になりますが、この「示す」である「示」という文字。これは元々、『供物台の上に敬う対象へのお供えものがのっている形』を表します。
ようするに、「お供えものが載ってる台を囲んだ建物」「敬う対象物を守る建物」・・・・・・これが「宗」という文字。そこの後に「教え」という言葉がついてきます。なので、元々はその建物の中で教えてくれる場所のこと。では「何を?」教えてくれるかというと・・・・・・自分たち人間がいかに生きていくのか、またその生きてきた意味、日々の自分のあり方。その中で一番のベストとなるものは何なのか・・・・・・それを「教えてくれ」「考えさせてくれる」ものが『宗教』と本来は呼ばれるもの。いえば、この問題が多い社会の中で意識してもしなくても自分たちには必要なものです。
「本来は呼ばれるもの」と書きましたが、ここで大切になってくるのは宗教の本来の「考えさせる」という行為・・・・・・・・
ひとくくりにして「宗教」とは呼ばれてますが、金銭を強要したり、なんとな~く胡散臭かったり、いろんなことを強制させるものはすでに「本来の宗教の意義」とはかけ離れたところにあります。実は宗教でもなんでもない、ただの非課税の集団組織です。むしろ、コントロールしたいがために、「使われるやつらには考えさせない事に限る!」ぐらいの勢いで本来の宗教とは逆の方向に走ってますよね、、、、、、、すでに「宗教」ではございません・・・・・・・・。いい返れば、宗教を知るものはいとも簡単に人をコントロールできます。今の日本だって、ある意味1億以上の総人口が完全にコントロールされております。コントロールの手法は、宗教とほぼ同じですね・・・・・・・「うわっ、あいつマインドコントロールされてる!」と陰で笑っている人たちは、もっと深いところで自分自身がコントロールされている事に気づいておりません・・・・・・・
「いくら祈っても何も起きません。神様は本当に私の願いを聞いてくれてるのでしょうか?神様って本当にいるのでしょうか・・・・・?」
この手の質問もあとを絶ちません。気持ちも解りますし、これは非難はできないです、、、、、「道しるべ」が解らず迷うのは当たり前の話です。そこに新しい力や知恵を注ぎ込むのも宗教の主な役割の一つです。ただ、宗教や神様の捉え方を間違って斜め上を走っている方も多いのも事実。
これはちょっと難しい話になってくるんですが宗教の構成として大きく4つに分けると、
『請願態(せいがんたい)』(奇跡や救いを願う。古代の例で言えば雨乞いとかですね)
『希求態(ききゅうたい)』(自分の心の持ち方や探究心。新しい自分の発見や魂磨きなど)
『融合態(ゆうごうたい)』(神との合一や人間が神に近づくこと)
『諦住態(ていじゅうたい)』(永遠の命があると考える。たとえば、悟りの境地とか禅とか)
宗派やその教えによってどこにウエイトがかかっているのか様々で、この分量でその宗派のカラーが出てきます。その中でも一番の曲者は最初に書いた「請願態(せいがんたい)」でして・・・・・・まぁこれは、宗教を構成している一部、切っても切れない部分なんですよね~
自分よりも人生の経験が多く、勉強の量も半端なく、敬虔でまじめで信仰深く信心の強い宗教家はごまんと存在します。「感謝、感謝」といつも口にしている人たち。
大変おこがましいのですが、そんな方々と話してて時々、自分が違和感を感じる時があって・・・・・違和感の理由は最近なんとなく理解したつもりですが、おそらくそういう方々は敬いや感謝は大きくても内心にそれを上回る「請願態」の部分が、やや、若干多いんじゃないかなぁ~と。『請願態』っていうのは、どんな人間でもどこかで等しく持ってる想い。「理想や希望」と呼んでも差し支えないものだと思います。現代で言えば、宝くじを買う時の気持ちと同じですもんね(爆)そして宗教でも『切っても切れない部分』。だから、余計に自分たちはそれぞれの宗教の中で意識してウエイトが掛かり過ぎないようにしないといけません。手元にかき集めた500万円があって、それで3億円当てようと全額で宝くじを買うようなもんです。
4つの構成する要素、これはどれが過ぎてもおかしな矛盾が出てきます。(これは宗教家を非難しているわけじゃないですよ、、、、、あくまでも”村雲的に”ってことです。そもそも、今の自分であれば見習わければいけない部分が多い(苦笑))
『請願態(せいがんたい)』が過ぎれば、先に書いたとおり。単なる待ちの人生、自分の人生に対して主導権を失う。
『希求態(ききゅうたい)』が過ぎれば、堅苦しくて辛い人生になる。答えのない問いを一生、考え続けるかも。
『融合態(ゆうごうたい)』が過ぎれば、間違ったら自分が神様になる。無意識の中で他人と壁を作ってしまうかも知れない。
『諦住態(ていじゅうたい)』が過ぎれば、頭でっかちで生きていく意味がなくなる。本当に悟りを得られるなんて何百年かに一人の割合ですよ歴史上。まぁ悟りそのものが自分にはわかりませんけど。
・・・・・・・何一つ極められない自分が言っても説得力も何もないんですけどね(爆)それでも人には「正しい宗教の使い方」であれば、それは必要不可欠のもの。人は心の支えなくして生きてはいけませんし、時には目の前の壁をいとも簡単に越えられる力を与えてくれる。その時の苦しみをすぐに癒してくれる特効薬になるかも知れない。
宗教を頭から否定する人は、「宗教に入れ」ではなく「宗教についての勉強」をまずはやって欲しいですね・・・・・・・・。ある人は、「無宗教も宗教だ」と言っておりましたが、確かに自分の経験や体験のみで凝り固まれば「正しい宗教」を知ってる人よりタチが悪い。宗教を勉強すれば、宗教の良い面を生かすことができる。機械であろうが、システムであろうが、どんなものでもまずは説明書を読んで理解しないと上手に使うことも出来なければ壊れた時に修理も出来ないってことです。世界で一番信者の人口が多いのに、宗教の名の元に戦争を起こしたり、お釈迦さまは「死んだ人には土に還るのみっ!」って言ってるのに、お坊さんだけが儲かるシステムの矛盾に気づくかも知れない(笑)
世界の宗教の成り立ちも細かく分類すれば数多いのですが、大まかに言えばナチュリズムやアニミズム、トーテミズムが基本です。(神観念や本質、時代に別ければ頭が痛くなるぐらいまだまだ別けられるのですが(苦笑))ひとつ共通して言えることは、太古の方々が視えない存在に畏敬の念をもって感謝し、自然を崇拝しはじめてくれた事は自分たち人間が生きる上での財産であり、喜びです。
それはシステムでも組織でもカラクリでもない、”作られたもの” ではなく、”「今」を生きる為に自然生まれてきたもの” です。自分たちはここいらでもう一度、「宗教」と呼ばれるものを見直さないといけない。見直すにはまず勉強して、原点に一度立ち返らないといけない時かなぁ~と個人的には思います。
しかし、それにしても昨夜の京都のカミナリは凄かったですね・・・・・・
あれをカミナリと認識せずに、「天の怒りと恵み」と捉えれば自分たちのご先祖さま方々が畏れ敬う気持ちも無理はない(苦笑)・・・・・・しっかし、あんなものと絶対に融合なんかしたくもなければ、「カミナリで死んでも、それもまた人生・・・」と悟り諦めるのもまっぴらごめん。あの轟音の中で自分の魂を磨く余裕もなければ、ひたすら「とにかく直撃だけは勘弁してね・・・・・当たるなら宝くじ、宝くじ・・・・・・・・」と必死に祈ってた管理人は、この世で一番宗教に向いていない、間違った宗教家ということになりますね(笑)
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コメント:12
- ミッフィー 12-08-15 (水) 16:19
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こんにちは。お盆の真っ最中京都にいらしているんですね。西日本は天気が不安定だとか・・・暑さや湿度も尋常ではないでしょう。
宗教の事はよくわかりません。主人は無宗教でしたから葬儀もその通り執り行いましたし、お盆と言っても特に何もなく分骨して置いてあるお骨に語りかける日々です。
神仏に手を合わせるわけでもなく、お願いもせず、さてさて私の人生にこれから何を用意してるんでしょうかと問いかけるのみです。
ただ草木1つ1つに命があるように感じ、元気が無い時は励まし、手折る時は許しを請うています。
もしかしたら現代の宗教観からは一番遠い所にいるのかもしれません。 - とまと 12-08-15 (水) 16:29
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こんにちわ。お盆も終わりますね。いつも実家の母とお盆の準備をしていて思うのですが、お盆ってなんなんだろう・・・です。
お迎えやら、お送り、日およりうんと頑張ったお供え尾のたち、確かに心の中で「うん うん」ようれしいような、納得したような気分になりますが・・・いまいちお盆のこの世間的な盛り上がりがよくわかりません。
日頃から手を合わせそこにいるかのように話しかけているのに、「帰ってくる・・・?戻って行かれる・・・?」という言葉を使いますよね。
日々、普通に存在を思い接している母もまたそう言います。
お盆ってなんなのでしょう? - ビール 12-08-15 (水) 21:30
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はじめまして。 先日こちらのブログを拝見して
興味を持ちました。 神様やご先祖様の話、不思議な話、何より時々笑ってしまうコメントが大好きです。
今回の請願態と[感謝、感謝]のお話はとても納得してしまいました。
もちろん感謝は大切ですが…
神道について勉強したいのですが、一般の私でも勉強するのは可能ですか? - しりる 12-08-16 (木) 0:15
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村雲サン、こんばんは。
今回のテーマも難しかったですね。
…で、今回くらいついた(笑)のは、コラムを読んである有名な文明を思い出したからカキコ。
アステカ文明。
いわゆるイケニエの類を神に捧げるのですが、今では考えられないと思う人も多いと思います。
でも、それは、その時代に毎日を生きる事が、それだけ過酷であったこと。
古代と現代では比べる次元が違いますが、本来の宗教は、今日、明日、明後日を些細な怪我や病気、天災から(なんせ古代文明には病院もレスキューもない)毎日を無事に生きていくために必要だった本能からできたんじゃないかな…と思う今夜でした。 - チルルヲ 12-08-16 (木) 2:38
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こんばんわ、管理人さん。
GW以来やっとかめ(二十日目と書いて久しぶりと解く方言です)、上司の小言や取引先の無理難題などストレス社会に耐え抜くニッポンのビジネスマンに残された休息日、『オオガタレンキュー』に颯爽と騒がしく登場するチルルヲです(笑)
・・・・・・あ、なんか真面目な話している時に、ハイテンション過ぎましたかな(苦笑)
でも、字面にするとなんだかとっても難しいですよね。五輪の決勝とか見てたほうが、分厚い本読むより分かったような気になるかもしれませんけどね。ま、金メダル取れるほど、努力していないし(苦笑)
それに雷びっくりするけど、干からびた水田に雨がぶわぁーっと降り注いだ気分だと心が潤いますよ。明日のご飯だしね。
でも、あんまり続くと今度は降り止まないのかと心配になるよ(苦笑)
なんだか脈絡のない文章になりそうですが、リハビリがてらですので、今日はこの辺で。ちなみに、最近は戦国時代の攻城戦の様子と、江戸時代の庶民の暮らしを研究中(笑)
ではでは。 - ささら 12-08-16 (木) 3:56
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みんなが今の自分に感謝できたらいいね
- アストラル体エーテル体 12-08-16 (木) 23:46
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こんばんわ 管理人様お盆も終わりですね親の実家を思い出します 和尚人が一軒ずつ回ってお経を拝み、庭に竹を二本立て花をさして、夕方火を燃やして、先祖様を迎える様に、どこの家もやります、16日までなので、今日は送り盆で竹を川に流して先祖を送ります 皆、揃ってお墓参りお掃除します、宗教ってなに 難しいですね 自分は無宗教なんですが
地蔵菩薩様が大好きで 牛年なので勢至菩薩様が好きです
勝手な個人の考えですが神様は頑張ってる人がいつもの用に力が出なかったり
した時 ちょと助けて力を貸してくれると 勝手に思ってます - アッちゃん 12-08-17 (金) 17:07
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今日初めてブログを拝見させていただきました。
只今アメリカに住んでおります。今年の春こちらにくる前に、伊勢神宮で御祈祷して頂き、横丁で木彫りの龍を購入し、こちらへ持ってきました。御祈祷の札はまだ出しておらず、木彫りの龍には毎朝、水を添えているだけです。祝詞をあげようかと思っているのですが、どんなのが適切なのかわからないのですが、アドバイスいただければ幸いです。御祈祷と木彫りの龍の購入したのは、水を扱う事業を立ち上げたからです。 - アッちゃん 12-08-17 (金) 17:31
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我が家は祖母祖父が神道でした。祖母は私が生まれる前になくなっていますが、氏神様の社を立てています。そこでは、毎年春と秋に御祈祷します。祖父は朝晩かかさず、自宅の神棚に何かやってました。私にとって祝詞はみじかなものでしたが最近まで全く興味がありませんでしたが、神様って必ずいると思います。
お盆についてですが、こちらにいると終戦記念日だなー。って感じます。お盆に終戦記念日ってやっぱり意味があるのかなって凄く思います。日本人が忘れてはならない御先祖様があって今の私たちがいるということ。 - 金シャチ 12-08-17 (金) 20:29
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こんばんは
『宗教ってなに?』
どなたかも云われていましたが、本当に難しい…
「本来の宗教の意義」とはかけ離れたところにある宗教まがいの物に、まるで人生を掛けるような生き方をしている若者達…
なーーんで気付いてくれないんでしょうネー
神様、仏様はお金も建物も要求されて無い事を…
たくさん信者を増やした人が良い信者?
自分一人がしっかり立てずに、他人を導き支えることは出来るのでしょうか?
本当に『宗教ってなに?』って疑問に思います。 - りょう 12-08-17 (金) 21:44
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こんばんは、管理人さん。
京都にいらっしゃるんですか、いいですね京都。いつか行きたい場所です…。
お盆も無事迎える事ができました、数年ぶりにお墓とお寺にも行くことが出来て嬉しいかったです。
お盆って素敵な行事だと思います、各家庭に親戚が集まって近所が賑やかになりお仏壇に沢山の供物や灯籠が着いて綺麗で、年に数回しか見れない光景で小さい頃から賑やかになる仏壇の光景が嬉しくて、今は見る事がないですが灯籠流しを見ると淋しい気持ちになりました。
宗教。最近は宗教と聞くと拒絶反応がでます…。
宗教が嫌いな訳ではなく
そこに携わる熱狂的?な信者さん宗教家さん……が嫌いです……。 - じょん 12-08-18 (土) 5:43
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仏像・仏具コレクションが趣味の御夫婦宅の掃除を、義務付けられていた頃を思い出しました。
「少しでも時間があれば、ここに来て修行(掃除)する。
供養や供物に掛かる費用は、何倍にもなって返る。
ここに来た人は救われる。」
毎週のように、幼い子供達が、親の「修行中」、広告の裏に絵を描いて時間を潰してましたねぇ・・・。
私も心から信じていました。
今は、知識と責任無しに自由はないと子供に言ってます。騙されるほうも悪いって部分も、ないことはないので。