- 2012-08-05 (日) 0:58
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昔々のその昔・・・・。
今も当時も大国のA国が連合国を率いて東洋の小さな島国、N国をやっつけました。ひとたび戦争が起きれば、どちらが良いも悪いもございません。しかし、N国はA国をはじめとした連合軍を相手に小さい国ながらよく戦いました。A国は捕虜にもならず、国の為に命を捨てて突撃してくるN国の兵隊を「クレイジー」と呼びました。負けるまでのあまりのN国の精神の強さ・そこから生まれてくるしつこさにあきれ返り、命を掛けてくる恐怖を感じ、その呆れと恐怖を一言で表せば「クレイジー」。たしかに当時のN国はクレイジーだったのでしょう・・・・・・・・・
敗戦後、当時の連合軍の司令官は、N国の王がどの面下げて謝りにくるのか楽しみにしてたんですが・・・・・・N国の王が口にした言葉は命乞いではなく、お願いでした。「すべては私の責任です。私の命と引き換えに国民を虐げないで下さい。」・・・・・その瞬間、この司令官はN国を完全な植民地に出来ないことを悟りました。N国を統率していた王は私心を一切捨て、人間性を超越し、過去の2600年血統の続いた王だったからです。司令官のその日の日記には、『日本の最上の紳士』と記しました。
マッカーサー回想記 (訳文)
私は、大きい感動にゆすぶられた。死を伴うほどの責任、それも私の知り尽くしている諸事実に照らして、明らかに天皇に帰すべきではない責任を引き受けようとする。この勇気に満ちた態度は、私の骨の髄までも揺り動かした。私はその瞬間、私の前にいる天皇が、個人の資格においても、日本の最上の紳士である事を感じ取ったのである。
(付記)
マッカーサー元帥は、側近のフェラーズ代将に、「私は天皇にキスしてやりたいほどだった。あんな誠実な人間をかつて見たことがない」と語ったと言う。(当時外務大臣であった重光葵氏が、1956年9月2日、ニューヨークでマッカーサー元帥を尋ねたときの談話による。)
他にも、「一言も助けてくれと言わない天皇に、マッカーサーも驚いた。彼の人間常識では計算されない奥深いものを感じたのだ」〈中山正男氏、日本秘録98項〉
「この第一回会見が済んでから、元帥に会ったところ、陛下ほど自然そのままの純真な、善良な方を見た事がない。実に立派なお人柄である」と言って陛下との会見を非常に喜んでいた」〈吉田茂、回想十年〉などの記録がある。
マッカーサー元帥は、陛下がお出での時も、お帰りのときも、玄関までは出ない予定であった。しかし、会見後、陛下がお帰りの際には、思わず玄関までお見送りしてしまい、慌てて奥に引っ込んだ事が、目撃されている。〈吉田茂、回想十年104項以降〉。
<終戦前後2年間の新聞切り抜き帳>
http://www.asahi-net.or.jp/~uu3s-situ/00/50nen17.html
しかしA国の内情の前には、司令官の想いは戦犯として責任を問わせないことが精一杯でした。
「よし、こうなったらN国の一億以上の民をじわじわと”アホ”にしていこう・・・・」
「いや、ただのアホにしては勿体無い。彼らはとても素直で純粋で勤勉なので、アホにした挙句に自分たちの国の銀行の代わりをさせよう。とにかく稼いでもらうんだ。」
これが67年前からのながいながい、N国のトンネルの始まりです。
不幸はまだまだ続きます・・・・・・・
つづく。
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コメント:2
- しりる 12-08-06 (月) 12:36
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(^ω^)お久しぶりです。昼休みにチラ見…
残りは次の休憩に読みますが、なんか…
ちよっと今日の自分を良くしたいと思った! - 管理人 12-08-06 (月) 23:32
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しりるさん
おお!!しりるさん、お久しぶりですね!元気されてますか~仕事してる場合じゃないですよっ!!・・・・・・・・・は冗談です。自分の生活を守りつつ、もといとなってる日本を守りましょう!