- 2011-12-30 (金) 20:42
- その他
つづき。
さて残す所今年も明日一日。「なぜ今、神道なのか。」をこの回でバタバタ終わらせ、明日は毎年恒例の「一年のまとめ」で締めくくりたいと思います。(あと年賀プレゼントのお知らせも(笑))
自分は常日頃、皆さんにお伝えしているのは、『神道を信仰して下さいと言ってる訳ではない。ただ、”神道人”として生きて下さい。』 という事。
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神道を学ぶとは、神様の名前を一つでも覚える事でも、本をたくさん読む事でも、より正しく祈ること・・・・・でもありません。自分の日常、オーバーに言えば”生き方”を通して神道の文化や知恵を実行していく。体験していく。その中で昔ながらの「中今」や「修理固成」を実行していくこと。
正月三ヶ日に必ず神社に行く必要はない。葬式もお経を挙げて貰っても構わないし、クリスマスだって皆でお祝しましょう!ただ日々の生活の中で、今までの自分達、日本国民を底から支えて来てくれた文化や伝統を大切に守っていきましょうね~・・・・・・と言う事ですね。それがどの様に生活に関わり、いかに大切かという事はここ数日のブログに部分的にかいつまんで、また出来るだけ分かり易く書かせて頂いていたつもりなので参考にして下さい。本当はもっともっと、伝えたい事がたくさんあるんですがキリがないですしね。より掘り下げた詳しい話は、また次回の勉強会で、という事で(笑)
あ~明日で一年終わりかぁ~・・・・・・今年も早かったなぁ~
よーーーーし。後はみかんでも食べながら、去年の今頃の日記を再度読み直して明日の総まとめのまとめに取り掛かりましょうかね!ブログってのはやっぱり便利ですね~去年の今頃、自分が何を考えて何を次の年の目標にしていたか、良く分かる(笑)明日の今年最後の記事、皆さんも楽しみにお待ち下さい!それではみなさん、風邪をひかない様に、掃除が終わってない人はしっかりされて下さいね~
気が向いたら今度は新年会をします!(笑)
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コメント:6
- たみも 11-12-30 (金) 21:55
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ここ数日、気持ちがすっきりしています。
神様をお迎えする準備にあたり、心構えができているようです。
ブログを読んでいて、よかったです。
ありがとうございます。 - りょう 11-12-30 (金) 21:59
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管理人さん、こんばんは。
この数日の日記を読ませて頂いて、自分の思ったことをコメントできなかったです、
軽くなってしまうと言えばいいのかな…。ただ、ひとつ言えることは、固まりだして何かが生まれそうな感じ。あともう少しのような感じがします、、、。
明日で今年も終るんですね今年一年は本当に早く感じました。 只今、鏡餅を見ながら一人反省会をしてました、何故に鏡餅…
m(__)m - 桃の木 11-12-31 (土) 0:45
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管理人さん、こんばんは今年一年お世話になりました。
神社・神道=文化・伝統かな?と自分は思います。
今年残り一日と来年365日精一杯生きます。
有難う御座いました。m(__)m - シルエット 11-12-31 (土) 8:31
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お早うございます。
管理人さんの「なぜ今、神道なのか。」。
神様の話とはかけ離れてしまいますが(汗)、今の時代は日本人が日本人であることを忘れがちな時代のような気がします。
第二次世界大戦の敗戦が起因しているのか?、戦後教育からは、自国の歴史が少しずつ消えていき、その代わりに社会風潮として「アメリカのように…」「ヨーロッパのように…」という言葉がまるで呪文のように唱えられ続けられて来たようにも思います。(しかし、戦前の教育などにも良い面は沢山あった筈です。)
戦後、核家族化が進められて来たせいもあるのか、「個人主義」へまっしぐら!!。そこには義務という言葉は排除され、権利という言葉だけが一人歩きしているような印象も受けます。
「道徳教育」にも変化が起きたのでしょう? 道徳教育といえば、いつの頃からか公立の小・中学校の校庭から『二宮 尊徳(金次郎)』の銅像が姿を消し。 正月。正月以外にも祝祭日などに、自国の象徴とも言える「日本国旗」すらも見かける事が少なくなりました。
自分自身は特に右翼に関係してもいないし、特に右翼思想に凝り固まっている訳ではありませんが、やはり二宮尊徳像のいない公立の小・中学校の校庭を見たり、国旗が掲げられていない祝祭日には寂しいものを感じてしまいます。
話を管理人さんの日記に戻しますが、クリスマスも結構だし、正月三が日に教会のミサへ大切な事だと思います(持論)。 …しかし、日本人が日本人である事を忘れ、自国の歴史をも忘れ去ってしまう事とは、全く別の話だと想います。
昔と違い今は「グローバル社会」海外の国々の文化や伝統、歴史や風習にも学ばなくてはならないでしょう。 しかし、自国の文化や伝統、歴史や風習を十分理解しないことには、他国の文化や伝統、歴史や風習に学ぶ事は難しい気がします。 一個人の事に例えると、「自分自身のことを自分自身で愛さない限り、身の回りにいる多くの人を愛する事が出来ないし、相手の事を理解する事すら出来ない!」という事に当て嵌まるような気がします(汗!)。
(実は現在の職場に海外のある国から移住してこられた方がいらっしゃるのですが、最近特に↑のような事を感じています。)
話の内容が管理人さんの日記から脱線してしまいましたが(汗)、この日記の中にある、>『神道を信仰して下さいと言ってる訳ではない。ただ、”神道人”として生きて下さい。』の意味の一つに、日本人である以上は、日本の文化や伝統、歴史や風習に目を背けて欲しくない。という意味合いが含まれているようにも感じてコメントさせて頂きました!
相変わらずの下手くそなコメントにて、失礼しましたmm
それでは… - coco 11-12-31 (土) 10:39
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神道人って、いい言葉ですね。
今年も1年間ありがとうございました。
村雲さんがいつもわかりやすい言葉で色んなことを表現してくださるので、とても勉強になります。
ときどき、ぷぷと笑ってしまう人間味も感じられて、ブログを拝見するのが楽しみです。
来年もよろしくお願い致します。
どうぞ、よいお年をお迎えくださいませ。 - 凡児 12-01-06 (金) 23:24
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はじめまして!!
福岡はいわゆる筑紫の国で産まれた自分ですが、一つ気になって書き込みます。
神社でお経を唱えるのは、祖神垂示の道を歩み、三大神勅や教育勅語を復活させようと心から願っている身からすれば、聖徳太子や空海が仏教を広める以前は、太陽や星、山や海、イワクラを祭祀し、今は寺が山の大半を占めていますが、神々がこれを嘆かない事はなく、日本人としては、天津日をひとつ仰ぎ信仰するのが元来の道かと思いますが如何に?!